第37話 祈りと現実

 審問の牢獄、そこは罪を裁くことが許されないプレーナ教徒たちにより生み出された罪人の処刑の場だ。


 そこは、天井と床をつなぐ柱が連なる奇妙な空間で、小さな部屋のようになった空洞が連続していた。それぞれの空洞の中心には柱があり、中央には四角い孔が空けられ、ランプが置かれている。しかし、空洞によって孔の向きや灯りの当たる方向が異なり、方向感覚を混乱させるようになっていた。


 老主の手下の男たちは、ヒラクを審問の入り口の前に連れてきた。


 そこはかつてカイルと共にアクリラの導きでたどり着いた横長の小部屋だ。


 そのとき、ヒラクはあるものを目にした。


 閉ざされているはずの円石には人一人通れるだけの隙間があき、緑の糸巻きの糸を巻きつけた弓矢が挟み込まれている。


「何だこれは……」


 男たちが注意を向けた隙に、ヒラクは自分をかついでいた男の顔をひじで殴り、地面に放り出されると、もう一人の男に向かっていった。

 男はあわてて応戦したが、狭い室の壁が邪魔になり、うまく槍を操れず、ヒラクのすばやい動きに翻弄された。


「このガキが!」


 ヒラクに殴られた男が、背後から迫る音を立てながら襲いかかってきた。

 ヒラクは反応する間もなく振り向いたところで、もう一人の男が槍を手に挟み撃ちにしようとした。しかし、ヒラクは驚異的な反射神経で槍を見切り、すばやく身をかわした。

 その瞬間、後ろから襲いかかってきた男がヒラクの首を両手でつかみ、急激に体を持ち上げた。ヒラクは苦痛の表情を浮かべ、息を詰める中、背後からしめあげる男の腕に必死にしがみつきながら宙を舞った。

 息を切らしながら、ヒラクは何とか反撃しようとしたが、その男の力はあまりにも強大で、彼の抵抗はかすかなものにすぎなかった。


 そのとき、ヒラクを持ち上げていた男が、急にぐらりと体を傾けよろめいた。

 そして男がひざをついたと思うと、そのままうつぶせにどっと倒れこんだ。


 倒れた男の背中には小刀がつきたてられている。

 その場に放り出されたヒラクを一人の若者が抱き起こす。

 もう一人の男もすでに二人の若者たちにおさえつけられ、地面に伏せさせられていた。

 ヒラクは自分を助け起こした若者の顔を見て叫ぶ。


「カイル!」


 声を出したと同時に咳き込んだヒラクの背中をカイルがさする。


「大丈夫か?」


 もう一人の男を押さえつけているのはカイルの仲間のサミルとジライオだ。おろおろした様子のセミルもそばにいる。


 カイルは倒れこんだ男の背から小刀を引き抜き、押さえつけられている男につきつけた。


「やめて!」


 叫んだのは、アクリラだった。その顔は恐怖で凍りついている。その手から緑の糸巻きが落ちた。

 倒れている男の背に赤い血が染み広がる。

 アクリラは目の前で何が起きているのかわからずに、呆然と立ち尽くしている。


「カイル……何をしているの? 一体何が起こっているの? なぜ、こんな恐ろしいことが……」


 アクリラの言葉を聞きながら、カイルは苦痛をこらえるかのようにきつく目を閉じた。

 そして迷いを振り払うように小刀を握る手に力を込めた。

 次の瞬間にはもうカイルは、押さえつけられている男の頭上に小刀を振り上げていた。

 アクリラが声にならない悲鳴を上げる。


「だめだ!カイル」


 ヒラクは思わず叫んだ。

 カイルは硬直したように動きを止めたと思うと、腕をだらりとおろして大きく息を吐き、疲れたような表情でヒラクを見た。


「あきれた奴だな。こいつはおまえを殺そうとした奴だぞ。それに、生かしておけば、俺たちの身が危なくなる」


「でも、ダメだ」


「……アクリラのためか」


 カイルはアクリラをちらりと見たが、アクリラは顔をこわばらせて目をそらした。 

 それを見たカイルは寂しそうに小さく笑う。

 ヒラクにはカイルの方がアクリラよりもずっと傷ついているように見えた。


 カイルは肩を落として深く息を吐き、倒れた男の衣服の布を切り裂くと、サミルとジライオに言って目の前の男の手足を縛り上げ、声を出せないように布で口をふさいだ。


 アクリラは、血を流して倒れている男の止血を試みるが、それも手遅れとわかると、プレーナへの祈りの言葉をくりかえしつぶやき始めた。


「アクリラ、行くぞ」


 そう言って、その場を去ろうとするカイルをアクリラが引き止める。


「だめよ、カイル、祈らなくては。あなたの罪は消えないわ。ああ、どうか、プレーナよ、この者をお助けください。罪深きカイルをお救いください」


 アクリラはそばにいるヒラクにも懇願した。


「ヴェルダのかた、どうか、この者を助けてください。カイルを助けてください」


「……そんなの無理だよ。そもそもおれはヴェルダの御使みつかいなんかじゃない」


 ヒラクが言うと、アクリラはまるで理解できないといった顔をする。

 そんなアクリラにカイルは言う。


「アクリラ、たとえヴェルダの御使いでもすべての者を助けることなんてできない。いくらおまえが祈ってもおまえの母親は助からなかった。神はすべての者を平等に救うわけではないんだ」


 そんなことは言いたくなかったとでもいうように、カイルは後ろめたそうにアクリラから目をそらした。

 アクリラは納得のいかない表情ながらも静かにうなずく。


「そうね、カイル。プレーナはきっと私たちにはわからないお考えをお持ちで、救うべき人間を選んでいらっしゃるのだわ」


「そんなのおかしいよ」


 これにはヒラクが納得できない。


「アクリラの母さんは自分で病気を治そうともしてなかったんだろう?」


 そう言って、ヒラクは血を流して倒れている男に目をやった。あまりいい気分ではなかった。

 けれどもカイルがいなければ、ヒラクがその場に血を流し、倒れていたことだろう。


「よくわからないけど……」


 ヒラクは考え込むように言った。


「神さまが救う人間を選んでいるとは思えない。何かを選んでいるのはいつだって人間なんだって思う」


「……あなたが言っていることは、私にはよくわからないわ」


 アクリラは困惑顔でヒラクに言った。


「おれもわからないことだらけだよ」


 そう言って、ヒラクはアクリラに笑いかけた。

 ますますアクリラは困ったような顔をする。

 隣でカイルがヒラクに言う。


「何かを選ぶのは人間か……。まあ、わからなくもないけどな」


「カイル」サミルが声をかけた。「とにかく早くここを出よう」


「こいつらは審問の牢獄の中にぶち込んでおこうぜ」


 そう言いながらジライオは縛り上げた男をひきずり、倒れた男はカイルとサミルとセミルが三人がかりで運んだ。

 その様子をアクリラが非難めいた目で見ている。けれどもその口からはもう祈りの言葉は出てこなかった。


 審問の牢獄の入り口である小部屋を出るとき、ヒラクはカイルにそっと言った。


「ありがとう。カイルのおかげで助かったよ」


 その言葉は、カイルの心を軽くした。

 それでもヒラクは考えていた。

 生きるためには誰かを殺さなくてはならないこともあるのか? 

 立場や考えがちがわなければ、そもそも争うことなどないのではないか……?


(神さまもバラバラだから、争いが生れるのかな……)


 そんなことすら思ったが、ヒラクはすぐに考えるのをやめにした。

 今はそんなときではない。ユピを助けることだけが、今、自分がやるべきことだと、ヒラクは自分に言い聞かせた。



 そしていよいよ月は満ち、すべての運命が動き出す。

 

 満月の夜、分配交換の儀式を迎える時が来た。


 一体何が起こるのか。


 それはセーカの誰もが予想もできないことだった。

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