第34話 懺悔

 ヒラクはシルキルの祖父のへやの中を見渡した。

 初めて入ったはずの室は、やはり、眠りについたはずの自分が入った場所と同じだった。

 真ん中にある寝台には疲れきった顔で眠るシルキルの祖父シルキオがいる。

 そのかたわらには寝台にもたれて眠るシルキルがいた。  


 ヒラクは枕もとにある木箱に目をやった。

 そっと近づくと、ヒラクは木箱のふたに手をかけた。

 鼓動が高鳴り、全身が心臓になったように感じる。

 中から何が飛び出すのか……。


 ヒラクは恐怖と期待の入り混じる思いでふたをはずそうとした。

 けれども、ふたははずれなかった。

 よく見ると、ふたはしっかりと本体にはめこまれている。

 ヒラクは木箱を抱きかかえるように押さえつけながら、力づくでふたをこじあけようとした。


「やっと来てくださったのですな、ヴェルダの御使みつかいよ……」


 その声にヒラクはぎょっとして寝台を見た。

 シルキオが体を横に向けて、ヒラクの顔をじっと見ていた。

 ヒラクは戸惑った様子でいたが、シルキオは会話を望むように枕辺に手をついて体を起こした。


「この日が来るのをわしはずっと待っておりました」


 憔悴しきった様子ではあるが、シルキオは眼光鋭くヒラクをみつめる。昨夜とはまるで別人のようだ。


「貸してください」


 シルキオは手をのばす。

 ヒラクが木箱を手渡すと、シルキオはふたを横に動かし、ゆっくりとずらしていった。

 そのようにあけるものとは知らなかったヒラクは、その様子を固唾をのんで見守った。

 広がる隙間から一体何が飛び出してくるのか……。


 だがそれはただの道具入れだったらしい。

 シルキオは隙間に手を入れ、中のものを探っている。

 ヒラクは拍子抜けした。

 しかし中から取り出されたものを見てヒラクは驚いた。


「これをあなたに……」


 それは、シルキオが前老主から受け取った水の入った小瓶だった。


「これは、ザカイロがもらうはずだった小瓶……」


 ヒラクは手渡された小瓶をしげしげと見た。


「お許しください。わしは、とうとうそれをザカイロに渡すことはできなかった。わしが悪いのです。プレーナに呪われた我が身を今さら救ってほしいなどとは思っておりません。ただもうザカイロに渡すことができぬ今となっては、せめてあなたにお返ししたい、ただひたすらにそのことだけを願ってきたのです、ヴェルダの御使いよ……」


 シルキオは肩を落としてうなだれた。


「何があったのか全部教えて」


 ヒラクはシルキオに言った。


 シルキオは、今目の前にいるヒラクをヴェルダの御使いと信じて疑わず、乞われるままに語り始めた。


「わしは、自分の研究のために老主を利用しました。以前から彼と接触し、相談役としてプレーナの資料を作り上げていましたが、老主は判断力に乏しく、指導者には向かない人でした。そのため、常にわしの判断を求め、わしの助言に従って動いていました。

 分配交換の場で、わし小瓶を託された際にも、老主はまずわしに相談に来ました。わしにとってザカイロは幼い頃からよく知っている人物でしたが、わしはその小瓶を利用して生命の水を得ようと思いつきました。以前から、プレーナそのものといわれる生命の水を手に入れることはわしの願いでした。

 しかし、老主はそれを許しませんでした。彼はプレーナへの信仰心から、生命の水を得るまでは、わしが小瓶をザカイロに渡すことを許さなかったのです」


 ザカイロがヴェルダの御使いからたった一人特別な水を与えられたと思った前老主はすっかり人が変わってしまった。

 それまで前老主は、分配交換で与えられた生命の水を御使いの聖室と老主の聖室に祀り、残りの水を井戸に注ぐことによってプレーナ教徒全体のものとしていたが、その時以来、聖室に祀ることも井戸の水に注いで分配の水とすることもやめ、自分のみが摂取するために保持するようになった。


「前老主に生命の水を与えられぬまま、わしは小瓶を持ち続け、やがてザカイロは死にました。ただ、信じてほしいのは、わしはいずれザカイロに小瓶を渡すつもりであったということです。だからこそ生命の水であるかもしれない小瓶の水には一切手をつけようとはしなかった。だが、すべてはもう遅い。取り返しのつかぬことです……」


 今やもうすべてをあきらめたような目で、シルキオは淡々と語った。その言葉に嘘はないとヒラクは感じた。


「おじいちゃん、今の話は本当?」


 いつから目を覚まして聞いていたのか、寝台の脇にもたれかかって眠っていたはずのシルキルが言った。

 これまでの話を聞いて、シルキルはすべてを理解した。なぜ祖父がプレーナを異常なまでに恐れ、毎晩悪夢にうなされて寝つけずにいたのかを。祖父は、誰にも言えない後悔を木箱に閉じ込め、そこから解放されることなく、自責の念に押しつぶされそうになっていたのだ。


「どうして今まで誰にも言わずにいたの? ぼくらがどれだけおじいちゃんを心配してきたと思っているの? 母さんはいつもつきっきりで疲れ果てて、ぼくだって……」


 シルキルに責められて、シルキオは申し訳なさそうに目を伏せた。


「おまえたちには申し訳ないと思っている。だが言えなかった。わしの罪の深さはそれだけではないのだ……」


「どういうこと?」


 ヒラクが尋ねると、シルキオはこれまで誰にも言えなかった思いを吐露した。


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