第33話 シルキオの正体

「おじいちゃん!」


 シルキルの声にヒラクはハッとして我に返った。


「おじいちゃん、しっかりしてよ!」


 シルキルの話すセーカの言語がわからなくなっていることで、ヒラクはもう自分がシルキオと呼ばれた人物の中に入っていないことを知った。


 寝台に押さえつけられているシルキルの祖父は、相変わらず目を見開いたまま硬直したように動かず、シルキルに体を揺さぶられている。

 緑の光を放つヒラクが自分の実体を失い、シルキオという人物の中に入り込んだ時からほとんど時間が経過していない。

 ヒラクは夢の中で夢から覚めたような気分でシルキルとシルキルの祖父の様子をぼんやりと眺めた。


 その時、突然、ヒラクはまた誰かに呼ばれたような気がした。

 それはシルキルの室の寝台で眠っていた自分を呼び覚ました声だ。

 ヒラクは全身でその声を感じ取ろうとした。


 すると急にヒラクはシルキルの祖父の寝台の枕もとに置かれていた木箱が気になりはじめた。それは木をくりぬいて作られた、細かな線模様が掘り込まれたふたつきの箱だった。


 ヒラクはその木箱に手をのばそうとした。

 すると、木箱はガタガタと揺れ始めた。

 ヒラクは思わず後ずさりした。


 突然、ふたが勢いよく飛んだ。

 中から女の手がのびてヒラクの腕をつかむ。

 ヒラクは恐怖に声も出なかった。

 だがその耳ははっきりと声をとらえた。


「ザカイロ!」


 女の手は緑の光を放ち、形を失っていく。

 同様に、女につかまれたヒラクの腕も光と混ざりあうように溶け出していった。

 ヒラクは自分がその女に取り込まれていく気がした。


(やめろ!)



           

 全身で緑の光を拒絶したヒラクは、汗まみれで目を覚ました。


 そこはシルキルの寝台の上だった。


 ヒラクは寝台に横たわったまま、自分の手をじっと見た。

 緑色の光が放たれていないことにヒラクはほっとした。


 ヒラクは寝台から起き上がると、両腕を高く上げて伸びをした。

 夢の感覚がまだ生々しく残っている。

 シルキルの祖父の興奮した様子、それをなだめるシルキルの姿、シルキオと呼ばれる人物の中に入って交わしたザカイロとの会話、前老主との会話、そして、木箱の中から出てきた女の手が自分の腕をつかんだ感触……そのすべてを、ヒラクはしっかりと思い出すことができた。


(あれは一体何だったんだろう?)


 ヒラクは考え込みながら、シルキルのへやを出た。

 通路を挟んで向かい側の室はシルキルの祖父の室だ。

 入り口は布で完全にふさがれていて、中の様子は見えない。

 ヒラクがシルキルの祖父の室の入り口をじっと見ていると、通路の先から声がした。


「目が覚めましたか?」


 通路のあなの向こうからセルシオが顔をのぞかせた。

 ヒラクは孔の向こうのへやに入った。

 そこにはセルシオとシルキルの母親の姿があった。

 二人は床の敷布の上に座り、向き合って食事をしていた。

 セルシオはヒラクに声を掛けてきたが、シルキルの母親の方はまるでヒラクを見ようとはせず、せっせとパンを口に運んでいる。


「おなかはへっていませんか?」


 セルシオがそう言うと、シルキルの母親は立ち上がり、食べ終えた器を片づけた。

そして水と小麦粉を混ぜて薄くのばし、かまどの上に乗せて焼き始めた。


「どうぞおかけください」


 セルシオにうながされ、ヒラクはさきほどまでシルキルの母親が座っていた場所に腰を下ろした。


 ヒラクが席につくと、シルキルの母親が、温めた牛乳にくずしたいもを入れたスープを盛った器を床の上に置いた。

 それをじっと見ながら、ヒラクはまだぼんやりしていた。


「いよいよ明日は分配交換の儀式ですね。昨夜は緊張であまり眠れなかったのではないですか?」


「うん、まあ……」


「食事をとれば少しは気分も落ち着きますよ。さあ、どうぞ」


 ヒラクは、勧められるままに、焼きあがって出された薄いパンをぱりぱりと食べた。

 味などよくわからない。まだ夢の中にいるかのようだ。

 それでも持ち前の好奇心がヒラクの中でうずきだす。


って誰のこと?」


 ばかばかしいと思いながらもヒラクはセルシオに尋ねた。

 だが、セルシオは目を丸くしてヒラクを見た。


「なぜ、父の名前を知っているのですか?」


 そう聞き返すセルシオの言葉にヒラクは逆に驚いた。

 シルキオとは、シルキルの祖父のことだったのだ。


「じゃあ、ザカイロっていうのは?」


 ヒラクの問いに、セルシオはさらに驚いた。


「なぜその名を? 父と話したのですか?」


「そういうわけじゃないけど……」


 ヒラクはなんと言っていいのかわからず口ごもった。


「また父が夜中に興奮して叫んでいたのですね。向かいの室ではうるさくて眠れなかったでしょう?」


 セルシオに聞かれて、この際そういうことにしておこうとヒラクは思った。


「……で、ザカイロっていうのは?」


「ザイルの父であり、ミカイロの祖父である者の名です」


 その答えにヒラクは驚きながらも、自分が体験したのはただの夢の中の出来事ではないのだと確信した。


「おれ、ちょっとシルキルの様子見てくるよ」


 ヒラクは立ち上がり、シルキルの祖父が眠る室に入っていった。

 すべての悲劇の発端が明かされようとしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シルキオ…プレーナ教徒セーカの歴史研究者。ザカイロを慕う。

セルシオ…シルキオの息子。狼神の使徒の一人。ザイルの親友。

シルキル…セルシオの息子。小柄で巻き毛の少年。カイルの仲間。


ザカイロ…ヒラクが『井戸の間』で見た青年。恋人キルリナはプレーナへ旅立つ。

ザイル…ザカイロの息子。母は狼神信仰の祖である一族。父親を憎んでいる。

ミカイロ…ザイルの息子。父親を殺し狼神の使徒の中心人物となる。


【現在の動向】

ヒラク…現在はシルキルの家。シルキオの記憶の中へ入る。

ユピ…狼神復活の儀式で何者かに目覚める。地下で所在不明。

カイル…狼神復活の儀式から消えたテラリオの行方を追っている。

テラリオ…分配交換の儀式まで地下潜伏中。

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