第31話 シルキオの記憶1


 いつのまにかヒラクはそれまで自分が寝ていたシルキルの室に戻っていた。

 ヒラクは、ランプの置かれた低い石の机に向かってせっせっと何かを書き綴っている。


(何これ? おれは一体誰?)


 ヒラクは自分が何をやっているのかまるでわからない。

 第一ヒラクは読み書きなどできない。

 ヒラクは自分の意志とは関係なく動くペン先を見ながら、自分が今、誰かちがう人間の中に入り込んでいるのだということを知った。


「ずいぶん熱心だな」


 背後から声をかけられてヒラクは驚いたが、ヒラクが入り込んでいる人物はうれしそうに振り返り、声の主を見た。


「ザカイロさん」


 ザカイロと呼ばれた青年は親しげに笑った。

 傲岸な口元と鋭いまなざしが印象的な青年で、自尊心の強さが顔全体ににじみ出ているかのようだったが、その目の奥はひどくさびしげに見えた。


「いつ帰ったの?」


「さっきだ。おまえの父さんも一緒だ」


「ネコナータの民の調査で新たな発見はあった?」


「あいかわらず好奇心旺盛だな」


 ザカイロは、ヒラクが入り込んでいる人物の肩に手を置いた。

 二人はかなり親密な様子だ。

 ただ、それとは別に、ヒラクはさきほどから、どうもザカイロという名前に聞き覚えがあるような気がしていた。顔もどこかで見たことがあるような気がする。


「ぼく、早く父さんやザカイロさんみたいに、外に調査に出たり、古い文献を読んだりしたいんだ。セーカの歴史の過去と未来を探る立派な仕事をやり遂げるんだ」


 ヒラクは、自分の口から発する言葉を、自分の耳で改めて聞く思いでいた。

 二人はセーカの日常言語で会話しているというのに、言葉がわからないはずのヒラクはなぜか話の内容が理解できた。


 ザカイロは複雑そうな表情で目を伏せた。


「俺は、おまえやおまえの父さんとはちがうよ。俺はただ多くの資料や情報の中から、自分が求めるものだけを選び出そうとしているだけだ。立派でもなんでもないさ」


 ザカイロは自嘲するように笑ってみせると、ヒラクが入り込んだ人物の髪を荒っぽくなでた。


「シルキオ、おまえ、ずいぶん大きくなったなぁ。一丁前のこと言うようになりやがって」


「ぼく、もう十二だよ。いつまでも子ども扱いしないでよ」


 ザカイロは、振り払われた手を口元に持っていき、おかしそうに笑った。


「昨日までは一人じゃ寝られなくて、俺に添い寝させていたくせに」


「一人じゃ寝られないってわけじゃないよ」


 ヒラクが入り込んでいる少年は口をとがらせた。


「ザカイロさんが寝るときにいつも聞かせてくれるお話がおもしろいから、つづきが聞きたくてそばにいてもらったんだ」


「あんな話がおもしろいって?」


「うん。悪い魔物に囚われた女の子を救うために、幼なじみの男の子が、眠りについている別な魔物を呼び出そうとするんだよね? もしもその魔物が呼び出されたら、女の子を放そうとしない魔物はやっつけられちゃうんだよね? そしたら女の子は男の子のところに帰ってこられるんだよね?」


 ヒラクは、シルキオという少年の口から出る言葉を聞きながら、何かがひっかかるような思いでいた。


「さあな、実はその男の子は、眠りから覚めたがっている魔物に利用されているだけなのかもしれないしな」


「何それ? 新しい展開?」


 シルキオがわくわくとした思いでいるのを、ヒラクもまた感じている。

 ザカイロは暗い目でシルキオを見た。

 シルキオの目を通してザカイロをみつめているヒラクは、シルキオとはまったく別の思いで、何か嫌な胸騒ぎを覚えた。


「本当の魔物は男の子の中にひそんでいるってことだよ」


 そう言って、にやっと笑ってみせるザカイロの目の奥に、ヒラクは邪悪な光を見た。

 以前ヒラクが見たときには、ザカイロはそんな暗い瞳をした青年ではなかった。赤茶色の鋭い瞳には激しくほとばしる情熱が宿っていた。


 ヒラクは思い出していた。

 前にザカイロを見たのは「井戸の間」だ。

 ザカイロは、プレーナを目指そうとするセーカの娘キルリナを引き止めようとしていた。幻というにはあまりにも鮮明だった。


 さらに今、ヒラクはシルキオという少年の中に入ってザカイロと接触している。

今のこの光景は一体何なのか? 

 目の前のザカイロはヒラクが最初に見たときよりも年を重ねたように見える。

 ヒラクはこの二つの出来事を自分の中で整理できずにいた。

 混乱するうちに、すべてが闇に落ちた。


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