第30話 記憶の中へ
地下世界では夜明けを確かめることはできない。
セーカの民は大小さまざまな砂時計で時を知る。一日の経過を示す砂時計を反転する数を数えながら、ヒラクはシルキルの家で分配交換の日を待った。
アノイの地を離れてからすでに一ヶ月以上が経過していた。
出発の日は月が満ちる前だった。
山を越えたときにはすでに月は欠け始めていた。
そしてまた満ちていく月……。
地下世界では明けない夜を延々と過ごしているような感覚で、ただ長い一日が果てしなく終わらないように思えた。
その夜もヒラクはシルキルの室の小さな石の寝台の上に寝転がり、敷布と掛布に挟まれてじっと目を閉じたが、ユピのことが気にかかり、なかなか寝つけないでいた。
やっとうとうとしかけたとき、ヒラクは誰かが自分を呼ぶような声を聞いた。
目を覚ましたヒラクは寝台の脇に立っていて、暗がりの中で横たわる自分を見下ろしていた。
(これは……おれ……?)
寝台の上で背を向けて寝ているのはヒラク自身だった。
触れて確かめようと手をのばしたとき、ヒラクは、自分の手が、腕が、緑色に発光していることに気がついた。
(何これ? この手は? 一体誰の……)
その時、室の外からうめき声が聞こえた。
その声のする方に行こうと思っただけで、ヒラクはすでにもう別の場所にいた。
そこは今まで自分がいた室とはちがう
寝台にもたれてシルキルが眠っている。
うめき声をあげているのは、その寝台で眠る人物だ。
横たわっているのは小柄な老人だった。
老人は死んだ魚のような目をしてぼんやり宙をみつめながら、ぶつぶつと何か言っている。
ヒラクはその人物の顔をのぞきこんだ。
すると老人はカッと目を見開いた。
そしてぱくぱくと口を開け、すぐには物も言えない様子で顔をひきつらせた。
「おおおおお! お許しを……!」
老人は震える手をのばし、やっとの思いで声を発した。
「どうしたの! おじいちゃん」
シルキルは目を覚まし、祖父の異変に気がついた。
「わかんないけど、なんかおれの顔見て急に……」
ヒラクは自分の横にいるシルキルに声をかけるが、シルキルはまったく聞こえていない様子だ。
「おじいちゃん、落ち着いて! だいじょうぶだよ、いつもの夢だよ」
シルキルは起き上がろうとする祖父の肩を必死に押さえつける。
ヒラクもそれに手を貸そうとした。
するとシルキルの祖父は凍りついたような目でヒラクを見た。
「わ、わしが悪かったのです、全部わしが……。許してくだされ」
「何言って……」
ヒラクはハッとした。
シルキルと一緒に老人の体を押さえているはずの自分の手が形を失っている。
自分から発している緑の光が腕からのび広がるようにして、シルキルの祖父の体を包んでいる。
ヒラクは驚いてシルキルを見た。
そして確信した。
シルキルには自分の姿は見えていない。
「おじいちゃん!」
シルキルは、何かにおびえたように目を見開いたまま硬直している祖父の体を揺さぶった。
シルキルの祖父はただじっとヒラクの顔をみつめている。
だがシルキルの祖父の目には、ヒラクの顔のあたりがもっとも強い光を放っているように見えて、それが誰であるかまではわからない。人の形をした緑の光が水のようにうねりながら自分を包み込もうとしていることに、シルキルの祖父はおびえていた。
ヒラクは、体が溶け出す感覚と同時に、何かちがう者の意識が自分の中に入り込んでくるのを感じた。そしてヒラクはまるで自分の記憶を思い出すように、流れ込んできたシルキルの祖父の古い記憶を回想していく。
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