第25話 九人目の使徒
「ここがぼくの住んでいる場所です」
シルキルは細かく仕切られた石室の一つにヒラクとカイルを連れてきたが、薄暗い空間はただがらんとしていて、足元に無造作に置かれたランプ以外は何もない。
「ただいま、帰ったよ」
低い天井を見上げてシルキルが叫ぶと、天井の一部にあいた孔を覆っていた厚布が取り除かれ、ランプの灯りが上から差し込み、縄ばしごが下りてきた。シルキルは、するするとはしごを上っていった。
そしてシルキルが下ろした縄ばしごを上り、ヒラクとカイルも上にあがった。
上にはさらに
セーカの民は、それぞれ割り当てられた居住区の室で、岩盤に敷物を敷き、そこで起居している。セーカ伝統の織物は色も明るく華やかで、岩壁の暗い室に暖かみを与えていた。
床の真ん中に敷かれたジグザグ模様の布の上にはランプや器や衣類などが雑然と置いてある。
むき出しの岩の壁際には、素焼きの水がめや臼があり、そばには石のかまどがあった。背後の壁と天井に通気孔があいている。
室は他にもあるらしく、今いる室を挟んで向き合うように縦長の出入り口がある。
狼神の旧信徒たちの居住区は三階層にあるが、シルキルの住居はさらに地上に近い二階層に作られていた。同じ階層には家畜場がある。
シルキルの隣には、シルキルの母親らしい小柄な女性がいた。
シルキルとよく似た顔立ちをしていたが、やつれて疲れた様子だった。
カイルはシルキルの母親に挨拶をしたが、シルキルの母親は顔をそむけたまま、横目でヒラクをちらちらと見ている。そしてシルキルに何か耳打ちした。
「……だいじょうぶだよ」
そうシルキルが答えても、母親は不安げな様子で、左側にある縦長の出入り口の
下の階層にはしごを下ろす
「こっちだよ」
シルキルはそう言って右側の
カイルもその後に続く。
だが、ヒラクは、シルキルの母親が入っていった左側の孔の向こうを気にしていた。そこから人のうめき声が聞こえてくる。
「おい、何やってるんだ」
カイルが右の孔の前でヒラクを振り返る。
シルキルはすでに先を行っている。
ヒラクはあわててカイルの後に続いて右側の孔に入った。
ヒラクたちがシルキルの家まで来たのには理由がある。
テラリオやユピの居場所について知る人物に会うためだ。
「父さん」
シルキルが声をかけると、布の向こうから男の声がした。
「シルキルか? 入れ」
「一人じゃないんだ」
シルキルが言うと、布の端がわずかにめくれ、男の片目が様子をうかがった。そしてその目はまっさきにヒラクをとらえた。やがて布の向こうから、シルキルの父セルシオが姿を現した。
「ようこそ」
シルキルと同じ赤みがかった栗色の髪は首の後ろできちんと束ねられ、他の狼神の旧信徒同様、白い衣服を体に合わせて動きやすいように上衣とズボンにわけて着ている。プレーナへの服従の証ともいえる緑のひもで体をきつくしばるということもしていなければ、老主にかしずく女たちのように手足に石の輪をはめてもいない。
「ヴェルダの
セルシオは弱々しく笑い、口の周りの無精ひげをなでさすった。
セルシオは、あごは細く、額は広く、まなざしは穏やかで、物静かで知的な印象だ。
「やあカイル、久しぶりだね」
セルシオはカイルに視線を向け、ゆったりと挨拶をする。
だがカイルはそれに応えるのももどかしいとでもいうようにセルシオの前に進み出た。
「狼神復活の儀式が執り行われるということをシルキルから聞いた。テラリオの行方も知っているんだろう? 頼む、教えてくれ」
切羽詰まった様子のカイルを見ても驚くふうもなく、セルシオはゆっくりと視線を床に落とした。
「聞いたのか……」
セルシオはシルキルをちらりと見た。
シルキルは心配そうに父親の目をじっと見る。
セルシオはやれやれというように目をつぶり、大きく息を吐いた。
「まあしかたない。もはや傍観者とはなれない状況だ」
そう言って、セルシオはカイルに目を移した。
「テラリオは先ほどまでここにいた」
「ぼくが父のところに行くよう言ったんだ」
シルキルは父の言葉に付け加えた。
「どういうことだ? おまえ、最初からテラリオの居場所を知っていて言わなかったのか?」
カイルは鋭いまなざしをシルキルに向ける。
シルキルは伏し目がちに言う。
「時間が必要だったんだ。ミカイロが神帝国の人間を引き渡す気がないことをテラリオに教えたのもぼくだ。父がそう言っていたからとテラリオには言った。くわしくは本人に聞くといいって」
「テラリオにここに一人で来てもらう必要があったんだ」
息子を助けるようにセルシオが言った。
「私の代わりに狼神復活の儀式に参加してもらうためにね」
「父さん……」
「後は私が話そう。もう充分時間は過ぎた。後は状況を見守るだけだ」
心配顔の息子に父は深くうなずいた。
カイルは困惑していた。
先ほどからセーカの言語で話されているのでヒラクには何が起こっているのかもわからない。
「ねえ、おれにもわかる言葉で話してよ。テラリオはどこ? ユピは?」
「これは失礼しました。ヴェルダの御使いよ」
セルシオは柔らかい口調でヒラクに言うと、ヒラクも理解できる「祈りの言葉」で話し始めた。
「テラリオは狼神復活の儀式に参加しようとしています。あなたがお探しの神帝国人もね」
「だから狼神復活の儀式って、一体なんなんだよ!」
ヒラクは苛立ち声を荒げた。
「狼神復活の儀式は、ミカイロを中心とする九人の狼神の使徒により執り行われます。狼神は復活の際、十人の生き血を必要とする。十人目は復活の器となる者で、土の器と呼ばれ、狼神が仮の姿であるとされています。狼神復活の条件は土の器の破壊と構築であり、九人の使徒たちが順に血肉を捧げていくことにより、土の器から狼神が真の姿で復活するのです」
この狼神復活の儀式は、古くから残る文献の一節がもとになっている。
『
器を破壊し構築する
血肉で満ちた器に
神は再び甦る』
この言葉をもとに、狼神復活を願った一人の男が狼神復活の儀式を作り上げ、狼神の旧信徒たちに狼神復活を強く唱え始めた。
男は復活の儀式を夢に見たという。
その夢では、大きな土の器に向かって、九人の狼神の使徒たちが縦一列に並んでいた。
男たちは一人一人順に器の前に立つと、両手を前にのばした。
すると、両手のひらから血が流れ出し、器の中に血がたまっていった。
最後の一滴まで血を流しつくすと、使徒はそのまま自らの血に飛び込むように、器の中に落ちていった。
次に並ぶ男も前の男と同じことをくりかえし、順番に八人の男が自らの血の中に飛び込んでいった。
九番目の男は夢見ている男自身だった。
男は両手を器の上にかざした。
すでに土の器は血肉で満たされている。
男の血がぽとりと器の中に落ちると、器は脈打ち、ぐらぐらと煮え立つように気泡が湧き出た。
そしてそこから狼神が姿を現した。
狼神は男に言った。
『我は姿を変えし者。時を越え、場所を変え、この身が何者となろうと、我はただ一つ偉大なる者』
男は自分こそが狼神を復活させる最後の使徒に選ばれたのだと思った。
目が覚めると、狼神の姿がどんなものだったのかは男にはどうしても思い出せなかったが、神の真の姿を自分は見たと、男は強く確信した。
だが、男は儀式を果すことを夢見て叶わず、最期の時を迎えた。
それでも、その思いは時を超え、一人の男の中で生き続けた。
「なぜあなたがそこまで儀式のことを知っているんだ。それに、テラリオがあなたのかわりに儀式に参加するとはどういうことなんだ」
混乱するカイルをみつめるセルシオの目が鈍く光る。
「私は九人の狼神の使徒のうちの一人だ」
ここにも九人目の使徒が一人いた。
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【三神関係図】https://kakuyomu.jp/my/news/16817330655333099336
【登場人物】
ヒラク
山の向こうからやってきた緑の髪の子ども。母はプレーナの信仰者だった。同じ髪の色をしていることからプレーナの眷属とされる「ヴェルダの御使い」に間違われる。地下で離ればなれになったユピを探している。
ユピ
ヒラクと共に育った銀髪碧眼の美少年。その容貌は神帝国の人間の特徴とされる。テラリオに狼神の使徒の元に連れて行かれる。
カイル
プレーナ教徒でありながら労働に従事する「罪深き信仰者」であり、狼神の旧信徒の若者たちの仲間でもある。自由を求めてテラリオと共に神帝国に逃れようとしていたが断念。暴走するテラリオの身を案じている。
テラリオ
「罪深き信仰者」であると同時にプレーナ教徒でありながら狼神を信仰する「異流の使徒」として狼神の使徒に近づく。
シルキル
狼神の旧信徒居住区に住む小柄な巻き毛の少年。代々学者の家系で歴史に詳しい。
セルシオ
シルキルの父。歴史研究家であり九人の狼神の使徒のうちの一人。
ミカイロ
狼神信仰の中枢である狼神の使徒の中心人物。ユピになみなみならない関心を抱く。謎の多い人物。
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