第26話 父と息子

 シルキルの父セルシオは、突然、自分が九人の狼神ろうしんの使徒のうちの一人だと告白した。

 カイルは自分の耳を疑った。


「ばかな。もともと狼神の信徒の家系でもない、異流の信徒ともいえるあなたが狼神復活の儀式に関われるはずがない。ミカイロがそんなことを許すはずは……」


「そのミカイロもまた、異流の使徒だったとしたら?」


 その言葉に衝撃を受けながら、カイルは何か言おうと口を開きかけたが、セルシオはさらに言葉を続けた。


「狼神復活の儀式自体、異流の使徒の手により生み出されたものだ」


「そんな……」


 驚きのあまりカイルは完全に言葉を失った。

 ヒラクは、呆然とその場に立ち尽くすカイルを押しのけるようにして、セルシオの前に出た。


「そんなことより儀式の場所を教えてよ。ユピは狼神じゃないんだ。そんなものに巻き込まれるなんておかしい。ぶち壊しに行ってやる」


「いいからおまえは黙ってろ。おまえが出るとややこしくなる」


 カイルはヒラクを後ろに下げ、セルシオにつめ寄った。


「テラリオをあなたの代わりに狼神の儀式に参加させたっていうのはどういうことなんだ」


「狼神復活の儀式は九人の狼神の使徒たちがそろって初めて執り行われる。儀式に血肉を捧げるいけにえといった方がいいかな。だが残念ながら私は、狼神に喜んでこの身を捧げるほどの忠誠心は持ち合わせてはいない」


「だからかわりにテラリオを行かせたのか」


「彼はミカイロのもとに行きたがっていた。十人目の器たる神帝国の人間を取り戻すためにね。だから私は彼を儀式に忍び込ませてやったんだ」


「あなたは命惜しさに何も知らないテラリオを身代わりにしたのか」


 カイルは握りしめたこぶしを震わせた。


「何も知らないのは彼だけじゃない。ミカイロに集められた他の八人の使徒たちでさえ、復活の儀式がどういうものであるかを完全に理解している者はいない。九番目の使徒であることを望むミカイロにとって他の者はただの血肉のいけにえにすぎない。私同様にね」


 セルシオは表情を曇らせた。


 ヒラクたちがセーカに入り込んだとき、テラリオはユピを捕らえてミカイロに引き合わせた。その場にいた八人の使徒たちの中にセルシオもいた。気を失ったユピがうわごとのようにつぶやいた言葉を、ミカイロだけでなく、セルシオも聞いていた。



『時は来た……目覚めの時だ……。偽神を払い、真の神となれ……』


 その時ミカイロの口元に悪魔のような笑みが宿った。


『今のを聞いたか? まちがいない。これこそ求めていた器だ』


 ミカイロは、セルシオの耳元でささやいた。


『時は来た。いよいよ狼神の目覚めの朝が訪れる』


『ミカイロ、まさか……』


『九人の使徒がそろい次第、復活の儀式を執り行う』


 ミカイロは頬を紅潮させ、狂気に満ちた目を輝かせた。


『あなたの忠誠心がどれほどのものか知る機会ができたというわけだ』


 ミカイロは顔をぐっと近づけて、ヘビのような目でセルシオの目をとらえて言った。


『逃げようとしても無駄だ。あなたには二つの選択肢しか用意されていない。自らを狼神に捧げる高貴な死を選ぶのか、裏切り者として無残な死を選ぶのか。……あなたの親友のようにね』


 そう言って、ミカイロはぞっとするような笑みを見せた。



 その時のことを思い出すセルシオの額に汗がにじみ出た。

 シルキルは心配そうに父の顔をみつめる。


「いいかい、カイル」


 セルシオは、意思を込めた目でカイルを見る。


「テラリオは私のかわりとして儀式に向かったが、彼の目的は神帝国の少年の奪還にある。器がなければ儀式は執り行われることはない。彼が目的を果せるかどうかは彼自身の問題だ。それが果せたとしても果せなかったとしても、ミカイロは私に死を迫ることになる。私はテラリオを身代わりにして助かろうとしたわけではない。ただ時間を稼ぎたかっただけだ」


 セルシオはきっぱりと言った。


「私は、の神が同時に現れたことで、どのような変化と混乱がもたらされるのかを見届けたいのだ」


 父の言葉にシルキルも深くうなずいた。


「そんなのおれたちに関係ない」


 ヒラクはセルシオをにらみつけた。


「分け身の神だか何だか知らないけど、おれもユピもそんなんじゃない。狼神復活の儀式なんていうのになんでユピが関わらなきゃいけないんだ」


「器たる者かどうかは儀式が始まればわかることです」


 シルキルは口を挟むが、ヒラクににらまれて目を伏せた。


「儀式はもう始まっているのか?」


 カイルが尋ねると、セルシオはうなずいた。


「おそらく、私のかわりとして行ったテラリオが最後に到着することになっただろう。九人の使徒がそろい次第、儀式は執り行われる」


「それじゃもう……」


「わかっただろう。今さら君にできることは何もない。だからこそ、シルキルはここに君を連れてくることにしたのだろう」


「シルキル、おまえ……」


 セルシオの言葉を聞いて、カイルは入り口の階段近くから遠巻きに見ているシルキルを振り返り、にらみつけた。

 シルキルは後ろめたそうに目を伏せる。

 そんな息子をかばうようにセルシオはカイルに言った。


「もう変化と混乱は目前に迫っている。私たちにできることは何もない。目先のことにとらわれずに全体を見るんだ」


「そんな言葉を聞くために俺はここに来たわけじゃない。今からでも止めにいく。テラリオを見捨てるようなまねはしたくない」


「……わかった」


 そう言うと、セルシオは壁にかかる地下地図のある地点を示した。


「四階層の食糧室はわかるね? そこからこの石扉の間に行くんだ。儀式が行われる場所に通じている」


 地下地図は入り組んだ蟻の巣のようで、ヒラクが見てもさっぱりわからないものだったが、カイルは一目で理解し、すぐに室を飛び出していった。


 ヒラクはあわてて後を追おうとしたが、シルキルが出入り口のあなの前で両手を広げて立ちはだかる。その顔は青ざめ、指先は小刻みに震えていた。


「そこをどけ!」


 ヒラクに怒鳴りつけられても、シルキルは頑としてその場から動かない。


「ど、どきません。それに、どうせ無駄です。儀式には間に合わない」


「だったら、どうしてカイルを行かせた」


「引き止める理由がないからです」


 セルシオが二人の間に入って言った。


「だから彼の気のすむようにさせた。それだけです。でもあなたはちがう」


 セルシオは鋭いまなざしをヒラクに向けた。


「少しお話を聞かせていただけませんか。あなたとあなたの大切なその神帝国人のことを。分け身の神とされる者同士がつながりを持つとはたいへん興味深い」


「そんなこと話してるひまはない。おれはユピを助けに行かなきゃならないんだ」


「……ならばここにいるべきでしょう」


「え?」


「テラリオがもし器の奪還に成功すれば、ここに戻ってくることになっています。テラリオの計画に手を貸すと言ってありますから」


 その言葉を聞いて、ヒラクはわけがわからないという顔をした。


「まあ実際そんなことはしませんけどね。ただ、どのような流れになるのかを克明に記すためにテラリオを戻らせるだけです」


「戻らなかったらどうするんだ」


「いずれにしても、ミカイロが私を殺すためにここに来るのは間違いない。器がどうなったかは直接本人に確かめればいいでしょう」


「そんなのんびり待ってられないよ。ユピの命がかかってるんだ」


 ヒラクは激昂した。


「あんただって、自分が殺されるかもしれないっていうのに、なんでそんなに落ち着いていられるんだ」


「しかたありません。これも混乱と変化の流れの中で起こること。これから起こる出来事を正確に記録し、未来につなげていくことができれば本望です。それこそが私が私の人生で求めてきたものなのですから」


 セルシオは静かな中にもどこか力強さを感じさせる口調で言った。

 そばにいるシルキルは不安と怖れの入り混じる表情で、そんな父の様子をじっと見ている。

 父の望む人生を全うさせ、後の仕事を引き継ぐこと、それこそがシルキル自身の望みでもあり、一族としてやるべきことだった。

 だがそれとは別の、息子としての感情が、シルキルに迷いを与えている。

 分け身の神と思われるヒラクを父に引き合わせたのは、父の仕事を完遂させるために役立てばという理由からであったが、それと同時に、ヒラク自身に、ある種の期待を抱いたためでもあった。


『何が流れだ、そんなもの逆らえばいいだけだ』


 ヒラクの放った言葉は、シルキルの心を揺さぶった。

 自分は父の死をも歴史の必然的な流れとして受け止めていたが、本当はそれに逆らいたい気持ちがあるのではないか? 

 歴史の大いなる流れの中では無力とあきらめてはいるが、それで本当に納得しているのか? 

 ヒラクが分け身の神であるにしても、それまでの混乱や変化とはちがう何かをもたらすのではないか……。


 シルキルがヒラクの前に立ちはだかったことにシルキル自身が一番驚いていた。

 シルキルは、自分がとっさにした行動で自分の本心に気がついた。


「父さん、ぼくは、本当は、父さんをこのまま死なせたくなんてない……」


 胸に秘めていた思いを口にした途端、シルキルの目に涙があふれた。


「シルキル……」


 セルシオは息子に歩み寄り、その胸に抱き寄せた。


 ヒラクはアノイの村にいる父のことを思った。


 アノイの村を出たのは一ヶ月ほど前のことだ。

 それなのに、もう長く父と離れているような気がする。

 旅立った朝、ヒラクがいない家で、父は一人で目を覚まし、一人で食事をしたのだろうか。また深酒をしてそのまま寝てしまったのだろうか。

 そんなことを思いながら、ヒラクはシルキルが父を案じる気持ちが痛いほどわかるような気がした。


 セルシオはヒラクを見て弱々しく微笑んだ。その目には、すべてを受け入れる覚悟が感じられた。


「本当なら、私はミカイロにとっくに殺されていた人間です。だが、私は死をいさぎよしとしなかった。今と同じく、自分の仕事を引きのばすために、命乞いをしたのです。結果的に親友の死を見過ごすこととなりました」


「……あんたの親友はミカイロに殺されたのか?」


「ええ、そうです。私の無二の親友であり、そして……」


 セルシオは口に出すのもおぞましいというように、ためらい、それでもはっきりとこう言った。


「ミカイロの実の父親です」


 それぞれに自分の父親の身を案じているシルキルとヒラクには、とても信じられない衝撃的な言葉だった。


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【三神関係図】https://kakuyomu.jp/my/news/16817330655333099336 


【登場人物】

ヒラク

山の向こうからやってきた緑の髪の子ども。母はプレーナの信仰者だった。同じ髪の色をしていることからプレーナの眷属とされる「ヴェルダの御使い」に間違われる。地下で離ればなれになったユピを探している。


ユピ

ヒラクと共に育った銀髪碧眼の美少年。その容貌は神帝国の人間の特徴とされる。ヒラクと共に山を越えてきたが、テラリオにより狼神の使徒の元に連れ去られる。


カイル

プレーナ教徒でありながら労働に従事する「罪深き信仰者」であり、狼神の旧信徒の若者たちの仲間でもある。自由を求めてテラリオと共に神帝国に逃れようとしていたが断念。暴走するテラリオの身を案じている。


テラリオ

「罪深き信仰者」であると同時にプレーナ教徒でありながら狼神を信仰する「異流の使徒」として狼神の使徒に近づく。


シルキル

狼神の旧信徒居住区に住む小柄な巻き毛の少年。代々学者の家系で歴史に詳しい。


セルシオ

シルキルの父。歴史研究家であり九人の狼神の使徒のうちの一人。


ミカイロ

狼神信仰の中枢である狼神の使徒の中心人物。神帝国とも裏で繋がりがある。ユピを狼神の器とみなし、狼神を復活させようとしている。





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