第23話 分け身の神

 カイルが心配したとおりだった。


 テラリオはミカイロを後ろ盾にユピを利用して神帝国を揺さぶろうとしている。しかもたった一人で……!


 カイルの予想通り、ミカイロがテラリオの思ったとおりに動かないというだけで、テラリオが駒としている若者たちの結束力は弱まった。

 このへやはテラリオが狼神の旧信徒の若者たちと密談をするために利用している場所だが、今日、この場に集められた若者たちの半数以上が、カイルが現れる前にすでに姿を消している。


 カイルは嫌な予感がして、すぐにその場から駆けだそうとした。


「待って」


 シルキルがカイルを止めた。


「どこに行くの?」


「ミカイロのところに決まってるだろう。テラリオが危ない」


「大丈夫だよ、今はまだ」


「どういうことだ?」


「理由が知りたければ、まずは僕に話をさせて」


 カイルとの会話ではセーカの言語を使用していたシルキルは、ヒラクと話すために「祈りの言葉」に切り替えた。


「テラリオの話によると、あなたは神帝国の人間と一緒にここに来たそうですね。あなたたちは北の山から来たのではないですか?」


「なんで知ってるの?」


 ヒラクは思わず驚いて聞き返した。


「北の山は古来から聖所とされてきました。分け身の神が現れる場所ともいわれているのです」


「ワケミの神って何?」


「神の本体でありながら、分かれて同じく存在したものといいましょうか……」


 シルキルは、何かわかりやすい例えはないかと少し考えた。


「ええと、あなたは木を見たことがありますか?」


「木? あるよ。あたりまえじゃないか」


 地下深く暮らすセーカの民のほとんどは、実際に地上の木を見たことがないということを知らないヒラクは、不思議そうな顔をした。


「木を神の本体として考えてみてください。小枝を『分け身』ととらえます。小枝は木の部分でありながら、木から切り離して土に植えれば根を生やし、そっくり同じ木に成長します。つまり、部分であり本体であるということです」


「じゃあ、『の神』っていうのは、神とそっくり同じ姿の神ってこと?」


「いいえ。ここで言っているのは、目に見える形のことではないのです。そのものが持っている性質のことです」


「性質?」


「つまり、木であり小枝であるというものは姿形として見えるものではないということで、一見まるで異なるような形のものが、その性質はまるで同一のものであるということなのです」


「ふうん。たとえば、雨も雪も見た目はまったくちがうけど、鍋で沸かせば同じお湯っていうようなことかな……」


 ヒラクは気づけばシルキルの話に関心を奪われていた。


「で? その『の神』ってのは、おれと何か関係があるの?」


 ヒラクが尋ねると、シルキルは力強くうなずいた。


「もちろんです。あなた自身のことですから。あなたはヴェルダの御使いではないという。でもそんなことは大した問題ではない。なぜならヴェルダの御使いもプレーナの分枝体と考えられる分け身の神です。つまり小枝から木となったものであり、その小枝もまた木である。あなたもまた小枝であり木といえるものなのです」


「えーと、ヴェルダの御使いはプレーナと同じで、おれもヴェルダの御使いと同じで……」


 混乱するヒラクを見て、シルキルは困ったように笑う。


「プレーナの分け身なんて言われてもぴんとこないでしょうね。『プレーナの子よ』……こう呼んでみたらどうですか?」


「プレーナの子……」 


 その言葉は、ヒラクの遠い記憶を呼び覚ます。


『ヒラク、あなたはプレーナの子。いつか必ず私の元に戻ってくる。プレーナと一つになるために。今のあなたは仮の姿。いつか本当の姿に戻る時、あなたは自分が何者であるかを知るわ』


 忘れかけていた母の声、自分の額をなであげる細くひんやりとした指先、別れの朝を迎える前夜のことをヒラクは思い出していた。


「今から三十年前、ヴェルダの御使いが初めてセーカの民の前に姿を現したときに言ったとされる言葉の記録が残されています」


「それは……?」


 ヒラクはシルキルに聞き返した。「プレーナ」が気になってしかたない。


「『その時御使いは言われた

 我は偉大なるプレーナの子

 プレーナと一つとなるべき者

 仮の姿で使いとなりて姿を現したる者なり』」


 シルキルの言葉は、母が言った言葉と同じようなものだった。


「それともう一つ、その同じ三十年前に現れた者がいます」


 シルキルが言うと、カイルはすぐにそれが誰なのかわかった。


「シルキル、それは……」


神帝しんていです」


 カイルもまたシルキルが語る内容にすっかり引き込まれていた。神帝や神帝国については、セーカの民はほとんど何も知らされていない。


「神帝が現れ、神帝国の支配が始まり、プレーナと神帝の対立が続き、プレーナ教徒と狼神ろうしんの旧信徒の関係も悪化しました。狼神の旧信徒たちは狼神復活を望む者、狼神を裏切り神帝に走ろうとする者に分かれ、セーカは崩壊の危機を迎えている……これに似たことがかつてあった」


 シルキルはその情景を想像してみようとするかのように目を閉じた。


「もうずっと前のこと、セーカの民が地上を追われることになった直接の原因ともいえる狼神の出現です。でも狼神はプレーナの後に現れたわけじゃない。その原型といえる神が北の山の聖所に住んでいたという記録が残されている」


「そんなこと知らなかったぞ」


 カイルが驚いたようにシルキルに言った。


「狼神は唯一無二の神と言われてきた。本質が同じでそれそのものであったとしても、狼神以前の神というものの存在を狼神の使徒は認めたくなかったんだろうね」


……」


 ヒラクはつぶやいた。


「そう、狼神もまた神の分枝体。そしてプレーナもそうでないとはいえない」


「ちょっと待てよ、シルキル。プレーナもまた何かの分け身の神だというのか? それならヴェルダの御使いはさらにその分け身ってことになるじゃないか」


 カイルは腑に落ちないといった様子だ。


「ぼくはただ、プレーナは本来この地にいた民の自然信仰から派生した水の女神をもとにしているんじゃないかと思っているだけだ。でもそんな細かいことを今言おうとしているんじゃない。全体の流れを見ているんだ」


「どういうことだよ」


 カイルはシルキルに聞き返す。


「分け身の神が現れるとき、必ず大きな変化と混乱が生じてきた。現れる分け身の神はいつも一人じゃない。だからこそ争いが生まれてきた。狼神とプレーナの争いによりセーカの民は地下に追われた。神帝の出現によりセーカの生活はさらに悪化し、狼神の旧信徒は飢え、神帝に打ち勝つ存在としてのプレーナを崇めるプレーナ教徒の信仰心は罪の自覚をさらに深めさせ、肉体の病が蔓延している」


 プレーナ教徒の病の蔓延は、セーカの中でも深刻な問題となりつつあった。

 アクリラの母カトリナもそれにより死んだ。

 不思議なことに罪の意識の強い者ほど重い病で命をおとしていった。

 そのため、病そのものをプレーナへの強い信仰の証として神聖化する者たちもいた。そのことが病が病を呼ぶ結果にもなっていった。病を得ようとするものほど心を病み、肉体を蝕んでいったのだ。

 それでなくとも地下の生活は人々に強い精神的不安や苦痛を与える。聖なる病とも言われるこの死に至る病は、精神を蝕むのと同時に肉体をも急速に衰えさせ、生きる希望を失わせるものだった。


「そして今、再び分け身の神が現れた」


 シルキルはヒラクをじっと見る。


「『神は再び現れる

 分け身の神が訪れる

 真の神は偽神を払い

 新しい世界を切り開く』」

「世界を…『ひらく』……」


 カイルはちらりとヒラクを見た。


「ぼくのひいおじいさんがネコナータの民から聞いた言葉を記録したものさ。本来は神帝国の言語で語られているんだ」


「ネコナータの民?」


 カイルはシルキルに聞き返した。


「神帝国人の祖先だよ」


 神帝が現れる前、自らを「ネコナータの民」と名乗る人々が、南方の地に小さな共同体を作って住み着くようになった。

 狼神の使徒たちは彼らを奴隷として扱い、生活を保障した。

 今のように狼神の旧信徒たちがプレーナ教徒や神帝国の労働力として働き食糧を配分されるという関係とはまったく逆だった。

 ただ、狼神の信徒たちの中には、ネコナータの民たちと友好的に関わる者もおり、シルキルの曽祖父もその一人だった。彼はネコナータの民に興味を示した。

 そして彼が知り得たことは、彼らはネコナータという今は滅んだ国の民族であり、自分たちの国を失ってからは流浪の民として生きているが、かつての王が復活すれば国を復興することができると信じているということである。彼らはその王を神として崇めていた。そして約束の言葉として祈るようにくり返したのが、シルキルが今口にした言葉だった。


「ネコナータの民は北の地こそ王である神が復活する約束の地であると信じていた。彼らは南の方から海を渡って来たらしい。北の地に神が現れるというのも、北方を聖所としてきたこの地の歴史に通じるものがあるんじゃないかな」


「そして約束どおり神帝が現れたっていうわけか」


「神帝は神さまなの?」


 ヒラクはカイルに尋ねた。


「そんなわけあるか。少なくとも神帝は人間だ」


 セーカでは人間は神に仕える者だとされている。人が神を自称することは冒涜に値する。


「神帝もまた何かの分け身の神かもしれないね」


 シルキルは興味なさそうに言った。


「重要なのは分け身の神が同時に現れたとき、大きな変化や混乱が生じてきたということだよ。注目すべきはもう一人の分け身の神だ」


「もう一人ってこいつと……」


 カイルはヒラクに目をやった。


「ユピ……?」


 ヒラクはシルキルに聞き返した。


「少なくともミカイロはそう思っている。それがずっと彼が望んできたことだから」


 やはりシルキルはそのこと自体には興味はさほどなさそうだ。


「歴史は人によって作られてきた。人が生きてきた痕跡だ。ぼくはこう思う。二つ以上の分け身の神が現れるとき、混乱や変化が生じるのは、人々の心が惑うからだ。ぼくは、その分け身の元となるものが知りたいと思う以上に繰り返される歴史の大きな流れに関心がある」


 さきほどからシルキルの話を聞いていたヒラクは、分け身の原型となるものの正体が何なのかを知りたいと思っていた。だが、そこに注目していないシルキルの言葉からは、知りたい答えは得られない。


「もういいよ、ようするにおれとユピが一緒にここに現れたことで何か厄介なことになりそうだっていうんだろう? それならとっとと出て行くから、ミカイロって奴のところに連れて行ってよ。そいつがユピをどうにかしようとしているんだろう?」


「でも、流れはもう止められない……」


「何が流れだ、そんなもの逆らえばいいだけじゃないか。おれは川の流れに逆らって泳ぐのは得意だ!」


 ヒラクは、知識があるだけで何もしようとはしないシルキルに少し苛立った。

 予想外のことを言われて戸惑うシルキルにカイルもしびれを切らしたように言う。


「シルキル、ミカイロは一体何をしようとしているんだ? テラリオはそれに巻き込まれようとしているんじゃないのか?」


「巻き込まれるかどうかはわからないけど、ミカイロがしようとしていることを止めようとしているのは確かだろうね」


 シルキルは、やはり興味なさそうに目をそらす。

 ヒラクはそんなシルキルの態度がもう我慢ならなかった。


「早く教えろ! おまえのいう混乱がどんなものかは知らないけど、おれは大混乱を引き起こすのは得意なんだ。今すぐ大騒ぎにしてやってもいいんだからな」


 ヒラクはシルキルの両肩を揺さぶりながら、かみつくような勢いで言った。ヒラクの行動にシルキルは動揺した。もともとシルキルはおとなしい性格で、争いごとは避けてきたため、こういったときにどう対処していいのかわからない。


「やめろ」


 カイルはヒラクの後ろえりをつかんでシルキルから引き離した。

 シルキルは胸に手をあて、ほっと息をついた。


「それで? ミカイロは何をしようとしているんだ? はっきり言わないとこいつをまた放すぞ」


 野犬を扱うようなカイルの言い方にヒラクは腹を立てたが、その言葉はシルキルには効果があったようだ。


「……ミカイロは、狼神復活の儀式を執り行う気だよ」


「何だって!」


 ハリルとクライロは震え上がった。

 ヒラクは、そんな二人の様子を不思議に思いながらシルキルに尋ねる。


「何? その儀式って?」


「知りたければ、ぼくについてきてください」


 そう言ってへやを出て行くシルキルをヒラクとカイルも慌てて追った。

 ハリルとクライロは、狼神復活の儀式のことを聞いただけで怖気づき、どうしていいかもわからずに、その場にとどまっていた。


 暗い通路を進みながら、ヒラクはアノイのクマ送りの儀式のことを思い出していた。檻の中に閉じ込められた熊のヌマウシがユピの姿に置き換えられた。


 じわじわと侵食してくる通路の闇がヒラクの心に不安の影を落としていた。


三神相関図

https://kakuyomu.jp/my/news/16817330655333099336

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