第20話 食糧庫へ
三人はやっと
最後の空洞の
無事にここまで糸を切らずにたどりついたことにアクリラはほっとした。
地下生活に慣れているカイルやアクリラでさえ、一日がまるで一年にも感じられるような長い道のりに思えた。
それでもカイルはまだ警戒を緩めない。
「見張りはいないんだな?」
カイルはアクリラに言った。
「カイルを連れてきた看守が出ていったばかりって聞いてすぐに来たから大丈夫よ。灯り番は一日に二度入るというけれど、目や耳が不自由な人たちだって聞いているわ」
セーカでは、生まれつき体に不自由のある人間はそれだけ罪が深いのだと考えられ、罪の軽減を祈ることすら許されていなかった。
灯り番とされた者たちは、一度中に入れば数日間は延々と牢獄の中をさまよわされるが、中には戻って来れない者もいる。
それもまた罪の裁きだと老主は言うが、このような現実があることを、ほとんどのプレーナ教徒は知らされていない。
「……ずいぶんくわしいな」
カイルは苦虫をつぶしたような顔で言った。
「テラリオが教えてくれたのよ」
アクリラが言うと、カイルは「やっぱり」というように舌打ちした。
テラリオはアクリラを利用したのだ。おそらく糸巻きの糸をのばしながら進むことを提案したのもテラリオだとカイルは思った。後から自分がそこをたどれば間違いなくカイルに行き着ける。それが果たせなくとも糸を切ることで邪魔なアクリラは始末することができる。テラリオはそこまで考えたにちがいない。
そう思うとカイルは怒りを感じずにはいられない。
だが実際は、テラリオはアクリラも連れ出せと言った。そこには、カイルとここから出たいというテラリオの強い願いがあり、駆け引きのない必死さがあった。それを思うと怒りはひいて、かわりに不安がカイルの心を占めた。
「とにかく出よう」
カイルはそう言って、アクリラにかわり、今度は自分が先を行き、小部屋からのびる通路を進んだ。
横にのびる別な通路に行き当たると、カイルは十分辺りに注意を払い、狭い孔から飛び出した。
そして、誰も近づいてくる気配がないとわかると、手招きしてアクリラを呼んだ。
通気孔のような壁の横穴から、アクリラに続き、ヒラクが飛び出した。
「よし、とりあえずだいじょうぶみたいだな。行くぞ」
カイルの言葉にうなずき、アクリラは通路を右方向に進んだ。
反対に進めば下の階の老主の間につながる。
ほとんどのプレーナ教徒はこの通路の存在を知らない。
灯りのない通路を壁に触れながらヒラクは進んで行くが、暗闇に慣れたアクリラたちの歩く速さには追いつけない。
闇の通路は上り坂になっていて、ヒラクは何度も前のめりになってつまづいた。
そのたびに、舌打ちしながらカイルが戻ってきて声をかける。
しまいには、カイルは自分の服のすそをつかませて、ヒラクの前を歩いて誘導した。
やがて通路の出口の先が明るく見えた。
「これをかぶって」
アクリラは立ち止まり、自分がかぶっている白布をヒラクの頭からかぶせて身を覆わせた。
アクリラが通路の
「……こんなところにつながっていたなんて」
孔から出たヒラクは驚いた。
そこは町の広場だった。
ヒラクが初めてここにきた朝よりも、さらに多くの人の姿が見られる。
数ある通路からは人々が入れ替わり立ち代り現れては消えていく。
ヒラクたちが出てきた孔も、それらの通路の入り口の一つにしか見えない。
「ねえ、ここにユピがいるの?」
今にも広場に飛び出して探しに行こうとするヒラクの腕をカイルがつかむ。
「待て。またここで騒ぎを起こすわけにはいかない。いいからおまえはこっちに来い」
カイルはヒラクの手を引き壁沿いを歩く。
「カイル、どこに行く気?」
アクリラはカイルの隣を歩きながら尋ねた。
「食糧庫だ」
食糧庫は狼神の旧信徒たちの居住区へ続く
居住区へ続く孔は円石でふさがれている。
円石のすぐ向こうには調理場がある。
「罪深き信仰者」たちは毎日決まった時間に食糧庫に保存している食糧を狼神の旧信徒の調理番に渡し、そして、調理された食事を彼らから受け取る。
食事は朝晩決まった時間に広場の中心にいくつかある大きな石の台に運ばれ、プレーナ教徒たちに配分される。
労働を罪とするプレーナ教徒たちは食糧庫に近づくこともなく、罪深き信仰者たちでさえ、見回りと点検の決まった時間以外は立ち入りを許されていない。
アクリラは躊躇しながらも、カイルの後に続き、チーズや穀物や加工肉などの食糧が保存された広い
食糧庫に人が来ないことを確認して、カイルはアクリラに言った。
「アクリラ、よく聞け。神帝国がセーカに攻撃をしかけてくるかもしれないんだ」
アクリラは小さく驚きの声をもらし、両手で口元をおおった。
「食糧配分の時間に広場の
カイルの言葉にアクリラは心得たようにうなずいた。
「そうね。彼らも今はプレーナを信仰しているのですもの。ヴェルダの御使いが言ってくだされば、きっとプレーナ教徒を守ってくれるわよね」
カイルは困ったようにうなずいた。
「……ああ、そうだな。すべてうまくいくさ」
「老主様にご報告は……」
「それはいい」
カイルはアクリラの言葉を退けた。
「ヴェルダの御使いが一刻を争うときだと言っている」
カイルはヒラクを振り返って言った。
「おまえ、老主のところになんて行きたくないよな」
ヒラクはもちろんだと言わんばかりに何度も大きくうなずいた。
「わかったわ。ヴェルダの御使いはあなたを救いに現れたのですもの。老主様ではなくあなたに使命が下ったということなのね」
アクリラは微笑んで、栄誉を讃えるような目でカイルをみつめた。
カイルはその言葉を聞き流し、アクリラに指示を与える。
「とにかくそういうわけだ。それより、サミルとジライオを呼んでくれ。くわしいことは俺が話す」
いまやそれはヴェルダの御使いの命令とばかりにアクリラは黙ってうなずくと、食糧庫から出て行った。
サミルとジライオもまたカイルたちと同じく親の代から引き継いだ「罪深き信仰者」だ。カイルやテラリオと一緒に神帝国に逃亡する気で行動を共にしていたが、カイルがテラリオから離れたとき、彼らもまた逃亡をせずにプレーナ教徒として生きていく道を選んだ。狼神の旧信徒たちと行動を共にしていたカイルたちをよく思っていない「罪深き信仰者」も多いが、カイルを中心にした若者たちのグループの結束は固かった。
広い食糧庫の中で、積み上げられた粉袋の隙間に身を隠しながら、ヒラクとカイルは休息した。
その間、カイルはヒラクに食糧庫に保管していた水をヒラクが持っている水袋に入れて渡した。
「少しずつ飲めよ。渇きで死なない程度にな」
「カイルは飲まないの?」
「俺たちは多少飲まなくても平気な体をしてるんだよ」
「ふーん」
プレーナ教徒は一人一人飲むべき水の量も決まっている。ヒラクに与えるということはその分誰かの水が減るということだ。カイルはその分自分が飲まないつもりでいた。
水の飲むと、ヒラクはいつのまにか眠ってしまったが、カイルはまんじりともせず、仲間の到着を待った。
カイルがしびれを切らした頃、サミルとジライオがやってきた。サミルの弟のセミルもいる。
カイルから事情を聞くと、三人は他の若者たちが集ってくる前に食糧庫を出て、狼神の居住区に続く
サミルたちが円石を動かすと、近くにいた広場の人々はクモの子を散らすようにいなくなった。プレーナ教徒は狼神の旧信徒を汚れた者と見る者が多く、なるべく関わり合いを持たないようにしているのだ。
人々が遠ざかる中、ジライオが合図すると、カイルはヒラクの手を引き、食糧庫からすばやく出て、円石の向こうに入り込んだ。
広場の端でその様子を遠目に見ていたアクリラは、胸の前で手を合わせ、プレーナへの祈りの言葉をつぶやいた。
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【登場人物】
ヒラク
山の向こうからやってきた緑の髪の子ども。母はプレーナの信仰者だった。同じ髪の色をしていることからプレーナの眷属とされる「ヴェルダの御使い」に間違われる。地下で離ればなれになったユピを探している。
ユピ
ヒラクと共に育った銀髪碧眼の美少年。その容貌は神帝国の人間の特徴とされる。テラリオに狼神の使徒の元に連れて行かれる。
アクリラ
敬虔なプレーナ教徒。病の母親のために生命の水を分け与えてほしいとヒラクに懇願。ヒラクをヴェルダの御使いと信じて疑わない。母親のために危険とされる地上に出てヒラクを地下に導いたり、カイルを助けるために脱出不可能とされる審問の牢獄に入るなど、弱々しそうな見た目に反して大胆で無謀な面がある。
カイル
労働を禁止されるプレナー教徒の中でも、狼神の旧信徒たちの労働を管理し地上で働く「罪深き信仰者」。その立場を利用し、自由を求めてテラリオと共に神帝国に逃れようとしていたが断念。アクリラと共にプレーナ教徒として生きる道を選ぶ。
テラリオ
カイルと同じ「罪深き信仰者」であると同時に、プレーナ教徒でありながら狼神信仰を表明する「異流の使徒」として、狼神の使徒に近づく。カイルの心を奪ったアクリラを憎むが、カイルにアクリラを連れてセーカを出るよう言い残し、姿を消す。
老主
プレーナ教の教主。セーカの最高権力者。ヒラクをヴェルダの御使いとは思っておらず、怪しんで捕えていたが逃げられる。狼神の旧信徒たちを蔑みながらも、その中心である狼神の使徒を警戒している。
罪深き信仰者について解説と三神の関係図https://kakuyomu.jp/my/news/16817330655076705634
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