第19話 脱獄
互いに裁くことを許されないプレーナ教徒たちが、審判をプレーナに委ねるために罪人を放り込んだ地下の迷宮、それが審問の牢獄だ。無事抜け出すことができれば、それは罪が許されたという証。ただし、初めて投獄された人間に脱出はほぼ不可能なこととされている。
その審問の牢獄を出るために、ヒラクとカイルとアクリラは歩き出した。
アクリラは、先を確かめながら糸を静かに巻いて、ここまで来るのに自分が通ってきた空洞を引き返していく。
カイルとヒラクはその後に続いた。
ところどころ明かりはあるが、出口はわからずずっと同じところを歩いているような感覚だった。
これならば暗がりをただひたすら前に進む地下通路のほうがよっぽどましだとヒラクは思った。
ここには前も後ろもない。
暑さも寒さも感じない。
時間が進んでいるのかも止まっているのかもわからない。
薄暗さと閉塞感が断続的に続く中、疲労だけがじわじわと蓄積されていくようだった。
糸が切れてしまわないように慎重にたどりながら歩くので急ぐことができない。神経を使い続けるアクリラに疲れの色が見える。
「アクリラ、少し休もう」
真ん中の柱に置かれたランプに照らされた空洞で、カイルは腰を下ろして言った。
「ねえ、早く行こうよ」
ヒラクは座り込むカイルを見て、焦れた様子で言った。
「そんなに行きたかったら一人で行け。迷子になっても知らないけどな」
「だけど、こうしている間にもユピが……」
「いいから座れ」
カイルはヒラクの腕をつかんで座らせた。
「心配するな。分配交換の儀式までにはまだ時間がある。それまではあいつも動かない」
ヒラクは渋々言うことを聞いて休息をとったが、焦りや不安は増すばかりだ。
「ねえ、分配交換ってどんなことするの?」
カイルはヒラクを相手にせず、話すのもめんどくさそうに固く目を閉じた。
「分配交換のことだったら私が……」
カイルの隣に座っていたアクリラがカイル越しにヒラクに言った。
「分配交換は満月の夕べにおこなわれます。プレーナの仲介者であるヴェルダの御使いが老主様にお会いになり、捧げものと引き換えに生命の水を与えてくださいます」
アクリラはプレーナ教徒として模範的な回答をした。プレーナのこととなるとアクリラは饒舌になる。
「ささげものって何?」
ヒラクは続けて尋ねた。
「おもに羊などの家畜や麦や野菜などの食糧だと聞いています。
アクリラの言葉に、ヒラクは聖地プレーナへ向かわんとするキルリナも含めた七人の娘たちのことを思い出した。彼女たちは黒装束の民に導かれてプレーナを目指すと言っていた。
(黒装束の民が望むもの……)
「ねえ、黒装束の民ってどんな人?」
ヒラクはアクリラに尋ねた。
「黒装束の民は、ヴェルダの御使いに付き従う聖者です。ヴェルダの方をお守りする方々のことです」
そこまで言って、アクリラは、先ほどから思っていたことをおそるおそる口にした。
「あの、あなたは、本当に何も知らないのね……」
アクリラの口調は自然と子ども相手のものに変わっていた。
それでもまだヒラクがヴェルダの御使いであることを疑ってはいない。
ヒラクの無知は幼さからくるものだとアクリラは誤解していた。
「黒装束の民は、ヴェルダの御使いの下で聖地プレーナを守っているの。彼らは荒ぶる神の民とも呼ばれ、粗暴で気性も荒く、聖地に足を踏み入れようとする侵入者をことごとく打ち払うというわ。ヴェルダの御使いしか彼らを統率することができない。でも、あなたにはまだ早いのではないかしら」
「さあね」
ヒラクはどうでもいいことのように聞き流した。
「それよりさ、プレーナって神さまなんでしょう? 生命の水ってのもプレーナだっていうし、聖地って場所もプレーナなんだよね? どういうことだか全然わからないよ」
「プレーナは、世界にあまねく行き渡る偉大なお方。生命の水はあの方の一部であり全体です。それは形を持たず、分断されることもなく、永遠に湧き出す泉のようなもの。祈りは私たちを満たし、祈りそのものであるプレーナに還元され、私たちもまたあの方の一部となる。地上のどこかにいらっしゃるあの方の居所こそ聖地。プレーナはその場所に、生命の水の源として存在しているの」
よどみなく話すアクリラの様子をヒラクは呆気にとられて見ていた。
「もういいだろ。行くぞ」
カイルはそう言って立ち上がった。
「そうね、もう行かなきゃ。老主様の誤解をとかなきゃいけないわ」
アクリラが言うと、カイルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「俺は老主のところには行かないぞ」
「カイル……」
アクリラは悲しそうな目でカイルを見た。
「あなたが老主様の誤解を受けたことで傷ついているのはわかるわ。でも、ヴェルダの御使いはあなたを救いに現れたのですもの。ヴェルダの御使いのお怒りなんてありえない。ね、あなたも一緒に行ってくれるでしょう? そして老主様の誤解をといてくれるわよね?」
アクリラは自分の申し出は当然受け入れられるだろうといわんばかりだった。
だがヒラクは即座に反発した。
「冗談じゃない! おれは今すぐユピに会いたいんだ。それに、あのくそじじいには何言ったって無駄だ。あいつは自分さえよければそれでいいって奴だ」
「それには俺も同感だ。忘れたのか、アクリラ。老主はいくら頼んでも一滴たりともおまえに生命の水を分け与えなかったんだぞ」
「でもカイル……それは、だって、私の方が無理なお願いを……」
アクリラは困ったようにうつむいた。
「それに、老主が俺をここに放り込んだのは、俺が狼神の旧信徒たちとともに働いていたからだ。老主は、いまだに狼神の旧信徒たちのことを狼神を信仰するプレーナへの反逆者として見ている」
「カイル、そんなことないわ。狼神の旧信徒たちは己の罪を悔いて働いているじゃない。それに私たちプレーナ教徒はみんな『罪深き信仰者』たちを尊敬している。老主様だって感謝しているわ。あなたたちは罪を深めながらも、セーカの民の祈りの生活を守るために働いてくれているじゃない」
「……ああ。そうだな……」
カイルはばつが悪そうに目をそらした。
アクリラと話していると、カイルは自分の考えの方が間違っていて、ねじまがった心から事実を歪めてみてしまっているのではないかと錯覚してしまう。
実際は、事実を事実として受け入れていないのはアクリラの方だった。
それでもカイルはアクリラが信じる世界をそのままにしておいてやりたいと思った。
「行くぞ」
カイルはそれ以上何も言わず、アクリラに糸を手繰り寄せさせながら先へ進んだ。
「ねえ、その糸どうして緑なの?」
何度目かの休憩で、ヒラクはアクリラが持つ糸巻きの糸をじっと見て言った。
「これは御使いの御髪とも呼ばれる糸で私たちが体に巻きつけているものと同じものよ」
アクリラは、白い衣服の上から腕と腰に巻きつけた緑のひもを示して言った。
「私たちが罪の意識を忘れず、プレーナの拘束を望む証でもあるの。とても丈夫で、きつくしめれば体に痕が残る。それはプレーナが私たちに与えた罪の刻印でもあるの」
アクリラの言うことを聞いて、ヒラクはやはりプレーナ教徒は自分で自分をいじめるのが好きなのだと思った。
「この糸にはプレーナの力が宿っているのよ。だからきっとここから出られる。だいじょうぶよ」
アクリラは、ヒラクを力づけるように言った。悪い人間ではないと思うのだが、ヒラクは話していて少し面倒に思い始めていた。
その後は黙って先へ進んだ。
ランプの灯る室がほとんど稀になり始め、じわじわと真の暗闇に圧迫され始めてきた。
カイルはアクリラの肩を抱き、糸の先を慎重に手繰り寄せながら暗闇を共にゆっくりと進んだ。ヒラクは二人のそばを離れないよう呼吸に耳を傾けながら歩幅を合わせる。
迷わなければ、出るまでに一日もかかることはない。
そもそも罪人が自ら奥へ奥へと進むように、投獄される場所は実はそれほど出入り口から遠くはないところにされているのだ。
だが、時間と距離の感覚を狂わされているヒラクたちは、そのことには気づかない。出入り口までの道のりが果てしないものに感じられる。
もう手に持つランプもとっくに消えていた。
なかなか次のランプの室までたどりつかない。
暗闇の中、細い糸だけが三人の命綱だった。
そうしてどれほどの時間が経過しただろう。
三人はやっと、連なる空洞を抜けようとしていた。
《セーカに関わる三大神と関係図》
https://kakuyomu.jp/users/ginnamisou/news/16817330654841698819
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます