第16話 罪深き信仰者

カイルの前に現れたのはテラリオだった。


「糸をたどってきてみれば、おまえに行き着いたってわけか」


 テラリオは、口の端をねじあげてにやりと笑い、指先につまんだ緑の糸をカイルの前につきつけた。


「アクリラは近くにいるのか?」


 テラリオはアクリラが飛び込んだ空洞のあなを見た。

 そこにはヒラクがいる。

 その糸をそのままたどればテラリオも入ってくることになる。

 ヒラクは息を呑んだ。


 けれどもテラリオはヒラクがいる空洞を調べにこようとはしなかった。

 そのかわり、それまで使っていたセーカの言語からヒラクも知っている言語に切り替えた。


「俺の話を聞け」


 テラリオは神帝国の言語を発した。


「……なんだよ、急に。その言葉……」


 カイルはいぶかしげにテラリオを見た。


「アクリラに聞かせたくないだろうからな」


 テラリオが言うと、カイルは軽くため息を吐いた。


「……なんだよ、話って」


 カイルの言葉を聞いてヒラクは驚いた。

 テラリオがユピの話す神帝国の言語を話せることにも驚いたが、神帝国の人間を毛嫌いしていたように見えたカイルまで同じ言語で話すのは意外だった。


「いいかげんプレーナ教徒のふりをするのはやめろ」


 テラリオの顔からは人を小ばかにしたようないつもの笑いは消えていた。


「おまえはアクリラが信じるものを自分も信じたいと思っているだけだ。アクリラが信じればあのガキもヴェルダの御使みつかいになるし、アクリラの願いを叶えるためならば、俺のやることさえ見逃してくれるってわけだ」


 テラリオは不愉快そうに顔を歪ませた。

 カイルは何か言いかけたが、そのまま言葉を飲み込んだ。


「どうした? 言い返せないのか?」


 何も言おうとしないカイルを見て、テラリオはますます苛立つ。


「いつかおまえは神帝国に生命の水を運び出すことは自分への裏切りだと言った。その裏切りとは何だ? 何の裏切りだ? アクリラへの裏切りか?」


 テラリオはカイルにつめ寄って、たたみかけるように言うが、その言葉の一つ一つにはどこか必死さを感じさせるものがある。


「俺たちはずっと自由を夢見てきたんじゃないのか? この罪の意識が充満した窒息しそうな地下世界から抜け出して、太陽のある広い世界に飛び出そうとしていたんじゃないのか? そのためなら手段は問わないと誓ったじゃないか、忘れたのか」


「……忘れてなどいない」


 カイルは気まずそうに目を伏せた。


「じゃあ、なぜここにとどまろうとする? プレーナへの信仰を捨てられないというおまえの言葉を、そのまま俺が信じたと思うか? おまえが捨てられないのはアクリラだ。あの女さえいなければ……」


「テラリオ」


 カイルは憎々しげに言うテラリオの言葉をさえぎった。


「アクリラに近づくな。彼女に何かあったら、俺はおまえを許さない」


「カイル……」


 テラリオは悲しげにカイルを見る。

 カイルは表情を硬くしたまま、顔をそむけた。


 二人の脳裏に浮かぶのは、ともに夢を語り合った無邪気な子ども時代の思い出だ。閉ざされた地下生活にあって、未来を悲観することはあっても、今のように二人が反目しあうなど夢にも思っていなかった。


 カイルとテラリオは、プレーナ教徒の間では禁じられている「労働」に代々携わる家系に生れた。狼神ろうしんの旧信徒たちから食糧を受け取り、管理するのが彼らの主な仕事だったが、彼らの労働を監督することはもちろん、プレーナ教徒の居住区の見張りや地上の偵察も任せられ、朝から晩までプレーナ教徒たちのために働いた。


 労働を禁止されているプレーナ教徒たちの間で、彼らは「罪深き信仰者」と呼ばれ、表向きは敬意を持たれていたが、実際は蔑まれてもいた。


 狼神の旧信徒たちのうち、ほとんどの男たちは南へ移動し、家畜の放牧や農耕をする。女たちは地下で織物製作やチーズやヨーグルトなどの食糧加工、炊事場での労働などを「罪深き信仰者」たちの監督のもと行っている。

 狼神の旧信徒の女たちはいわば人質のようなもので、外に労働に出る男たちは、家族の命を「罪深き信仰者」たちに預けていることになる。


 同じプレーナ教徒たちの蔑みを受ける「罪深き信仰者」たちは屈折した特権意識を持ち、カイルの父親の世代までは、狼神の旧信徒たちへの差別意識が根強くあった。


 そんな中、セーカの民の「労働」に大きな変化が訪れる。


 彼らが労働の場としていた南の地は神帝国の領土となり、神帝国の人間に雇われて働き、収穫の一部を神帝国に納めるようになったのだ。

 狼神の旧信徒たちの不満は、神帝へ向くと同時に、プレーナ教徒たちにも向いた。

 セーカの収穫が少なくなったしわ寄せは狼神の旧信徒たちにそのままきたからである。


 プレーナ教徒は分配交換でヴェルダの御使いから渡される生命の水を何より尊んだ。生命の水への感謝の印である食糧や家畜などの捧げものは決して減らすことがあってはならないと考えていた。

 さらに狼神の旧信徒たちのプレーナ教徒への食料供給も必要な奉仕と考えている。狼神の旧信徒が過酷な労働で苦しもうと、食糧不足にあえでいようと、それはプレーナに背信した彼らの罪深さのためと、プレーナ教徒たちは信じて疑わない。彼らの罪が軽減するようプレーナに祈りを捧げることが自分たちのすべきことだとプレーナ教徒たちは考えている。


 年老いた狼神の旧信徒たちの中では、プレーナも神帝も打ち負かす狼神の復活を願う気持ちが日に日に高まっていった。

 しかしその一方で、若者たちの間では罪と差別の意識は希薄になりつつある。なぜ自分たちだけが不条理な労働を課せられなければならないのかと疑問を抱く者も少なくない。彼らはプレーナ教徒たちが使う「祈りの言葉」よりも実用的な神帝国の言語を好んで学んだ。いつかセーカを脱出し、神帝国で自由に生きていくために、彼らには神帝国の言葉が必要だったのだ。

 プレーナ教徒とはいえ「罪深き信仰者」として窮屈な思いをしているカイルとテラリオもまた、外の世界への憧れを募らせていた。


「罪の意識から逃れ、自由が得られるのならば、神帝国に身を売ってもかまわない。利用できるならプレーナでも狼神でも利用する。そう決めたじゃないか」


「ああ、だけど、俺はおまえほど、割り切って物事を考えられないんだ」


 カイルの言葉に、テラリオは少し傷ついたような顔をした。


「すまない、テラリオ。おれは、セーカを捨てることはできない。自分だけが自由になろうとは、今はもう思えないんだ……」


 カイルは申し訳なさそうに言った。


「カイル……。それなら俺が今、おまえをここにつなぎとめる糸を断ち切ってやる」


 テラリオは、懐から取り出したナイフで指につまんでいた緑の糸をすくいあげた。

 それは、アクリラが入り口から伸ばしてきた糸だった。

 その糸をたどって初めて元来た道を引き返すことができる。

 それが断たれるということは、まさに命綱を絶たれるに等しいことだった。


「テラリオ、何する気だ」


 カイルはさっと表情を硬くした。

 テラリオはにやりと笑った。

 その顔は狂気と絶望に歪んでいた……。


《セーカに関わる三大神と関係図》

https://kakuyomu.jp/users/ginnamisou/news/16817330654841698819


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