第12話 プレーナ・狼神・神帝

 プレーナ教徒の教主であるこの老人は、プレーナ教から分派した狼神の旧信徒たちを蔑みつつ、今なお暗躍している「狼神の使徒」を警戒していた。それは彼らが神帝国と密接な繋がりを持つからだという。


「シンテイコクって何?」


 カイルはユピのことを「神帝国人」と言った。ヒラクはそのことが気になっていた。

 ヒラクの父イルシカは、プレーナにとどまろうがユピの国で暮らそうがかまわないとヒラクに言った。だが、そのユピの国について、ユピはこれまで何も語ろうとはせず、どこにあるかもまったくわかっていなかった。


 老主ろうしゅは、たるんだまぶたをわずかに持ち上げてヒラクをじっと凝視した。


「神帝国の者を供にしているあなたが神帝国をご存じないと?」


「知らないよ、神帝国なんて」


「……ほう」


 老主はまためずらしそうにヒラクを見て目を細めた。


「神帝国とは南方にできた新しい国の名称です。今から三十年ほど前になるでしょうか。神帝を名乗る男がこの地に現れました。彼は自分を神だという。その神帝の信奉者たちが、どこからか次々とやってきて、その数は増すばかり。今では強大な国となりつつあります。彼らはセーカの地をも我が物にしようともくろんでいます」


 老主の目が鈍く光った。


「だが真の神、偉大なるプレーナの存在が、神帝の野望を阻止しているのです。しかし、プレーナの怒りの地である砂漠の南は、今ではほとんど神帝国が支配しています。その神帝国の地で働くことで、狼神の旧信徒たちは食糧を得ています。彼らは、太陽の下に身をさらすことに加え、プレーナを冒涜する新たなる存在の下で働くことを、さらなる罪として自分たちに課していると言います。ですが、本当のところはどうでしょうか……」


 老主は探るような目でヒラクを見るが、ヒラクはきょとんとしている。


「どうって?」


「彼らは神帝国とつながり、我らを裏切る気かもしれません。もともとプレーナを裏切った者たちの一族です。プレーナを滅したいとする神帝に加担しても不思議ではありません」


「ふうん」


 今までの話を、ヒラクは大ざっぱにしかとらえていなかった。

 ただヒラクの頭にある図式は、まず「プレーナ」、「狼神」、「神帝」という三つの神がいること、そのそれぞれの信者が「老主を筆頭とするプレーナ教徒」、「狼神の使徒とそれに従う狼神の信徒」、「神帝を信奉する神帝国の人々」であることだ。


 プレーナ教徒も、狼神の使徒も信徒も、同じセーカの民である。

 だが、狼神はプレーナに封印され、神帝はプレーナを滅ぼそうとしていて、今なお残る狼神の旧信徒たちはそれに協力しようとしているかもしれないと老主は疑っている。


「なんだかよくわかんないけどさ、とりあえず、その狼神の旧信徒たちと仲良くしないと、食糧が手に入らないんだろう? だったら仲良くすればいいじゃないか。みんな同じセーカの民で同じところに住んでいるんだから」


 ヒラクの気楽な口調に老主はあきれて物も言えない様子だ。


「話は終わり? じゃあ早くユピのところに連れて行ってよ」


 そう言って、ヒラクは立ち上がるが、老主はその場を動こうとはしない。


「私の質問がまだです。ここまで話してみてわかったのは、あなたが何も知らないということだけです。それで、あなたはどこから来たのですか? なぜ神帝国人と行動を共にしているのです?」


「山の向こうだよ。神帝国のことは知らない。これでもう答えただろう。ユピはどこ?」


 老主は何も答えない。


「ユピはどこ? 教えてよ!」


 ヒラクは大声を上げた。

 その声で隣の室に控えていた男たちが入り口からなだれこんできた。


「あなたはご自分の立場というものがまるでわかっていないのですね」


 老主は数名の男たちに取り囲まれたヒラクを見て笑った。


「そもそもなぜあなたが老主の聖室にいたと思うのですか?」


「そんなの知るか」


 ヒラクは老主をにらみつけた。


「あの聖室はプレーナに許された者しか立ち入ることができない神聖な場所。そこであなたをプレーナの裁きにかけたのです」


「何それ?」


 ヒラクは怪訝な顔をする。


「もしもあなたがヴェルダの御使みつかいでないのなら、プレーナはあなたを受け入れることはないでしょう。あなたが本物であるならプレーナの仲介者として、老主である私に啓示を告げることでしょう」


 ヒラクには老主の言っていることがさっぱりわからなかった。


「……なんでそんなことになってるの? おれ、アクリラの母さんのところに連れて行かれようとしていたんじゃ……」


「アクリラの母親は死にました」


「え? 死んだって……」


 ヒラクは驚いて老主を見た。


「アクリラの母カトリナは、今朝息を引き取りました。すでに彼女は三階層の墓地で眠っています」


 それを聞いて、ヒラクは黙り込んだ。自分がどうにかできることではなかったが、それでもなぜかいたたまれない思いだ。


「カトリナはプレーナの熱心な信仰者でした。彼女は、自分の病はプレーナから受けた罪の証だとして、治療を一切拒んでいました。ただ分配の水だけを飲み、裁きをプレーナに委ねたのです。アクリラは母の病の回復を祈りながら、何度も私のもとを訪れては、生命の水をカトリナに与えるよう訴えました」


「『分配の水』と『生命の水』って何がちがうの?」


 ヒラクの質問に老主は日ごろから言い慣れているかのように答える。


「生命の水とはプレーナそのもの。この地上の砂漠のどこかに存在するプレーナからのみ得られるものです。生命の水は満月の夜にだけ、ヴェルダの御使いにより分配されます。分配された生命の水は老主の聖室と御使いの聖室にまつられ、残りは『井戸の間』の湧き水に注がれます。井戸の間に湧き出す水はプレーナが罪深き我らにわずかばかりの生きる糧として与えるもの。この水に生命の水を注ぐことによって、プレーナ教徒の飲み水はプレーナの息吹が宿った分配の水となるのです」


 「老主の聖室」で緑の女の幻を見た場所にあった水がヴェルダの御使いが運んだ生命の水であり、さらにヒラクがヴェルダの御使いの天井画のある「御使いの聖室」で見た、銀の器に入っていた水も生命の水ということになる。

 そして、キルリナとザカイロの幻影を見た場所に湧き出していたのが「井戸の間」の湧き水であり、そこに生命の水を注ぐことで、その湧き水が分配の水と呼ばれるものになるということだった。


 だが、次から次へと疑問が湧き、関心事がすぐに変わるヒラクは、前の質問を理解する前にさらに次の質問をしてしまう。


「そもそもそのヴェルダのミツカイって何?」


「……同じことを私はずっとあなたに対して思っておりました」


 老主はもう口元に笑みを作ることはなかった。


「あなたがヴェルダの御使いであるなら、すべてをご存知のはず。だがあなたは何も知らない」


 老主は目を閉じた。そして自分に言い聞かせるようにつぶやく。


「それでもあなたは老主の聖室でプレーナと対面しておきながら裁かれることもなかった」


 老主は再び目を開けると、じっとヒラクを見た。


「あなたは一体何者です?」


 ヒラクは冷たい敵意のようなものを感じた。


「羊も知らない。神帝国も知らない。見たこともない服装をしている。あなたは一体どこから来たのですか?」


 ヒラクは老主を警戒し、むっつりと黙り込んた。


「……しかたありませんな」


 老主はあきらめたように言った。

 だが、その言葉には冷淡な響きがある。


「あなたは啓示をくださるどころか、あまりにも何も知らず、何も答えもしない。黒装束の民ならば、あなたの身の処置を指示してくださることでしょう」


「黒装束の民?」


 それは、キルリナとザカイロの会話にも出てきた名前だ。キルリナは、黒装束の民によってプレーナへと導かれる娘たちのうちの一人だった。


(黒装束の女……)


ヒラクはふと父の言葉を思い出した。


『まず砂の地に出る前に、山を下りたところで狩り小屋を作り、そこで満月を待て。黒装束の女が現れるはずだ。その女がプレーナへと導き、母親に会わせてくれるだろう』 


 黒装束の女について、父はくわしく話さなかったが、砂漠には「黒装束の民」と呼ばれる者たちがいて、彼らはプレーナに通じているということはヒラクに伝えていた。


「その黒装束の民はどこにいるの? 会える?」


 ヒラクは老主につめ寄った。老主は侮蔑するような目でヒラクを見る。


「黒装束の民のことも知らないような者をヴェルダの御使いと思うとは……」


「いいから教えてよ」


「……月が満ちる日の夕暮れに分配交換が行われます。黒装束の民を従え、ヴェルダの御使いが我らに生命の水を与えにくるのです。我らの捧げものに、このたびはあなたも加えることにしましょう」


「月が満ちる日……。満月になればかならず黒装束の民に会えるんだね」


「ええ」


 老主は目を細め、貼り付いたような笑みを向ける。

 そこにある残酷な思惑にヒラクは何も気づかない……。



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