第11話 セーカの二神


 「老主の聖室」から「井戸の間」を通り抜け、数名の屈強そうな男たちが控える室を通り、右へ進むと、広々としたへやがある。そこは「老主の」と呼ばれている。

 そのへやは床全体が低くなり、通路と段差がついていて、中央には床から掘り出したような大きな石のテーブルがある。

 テーブルの周囲には厚い羊毛の敷物がしかれていて、ヒラクは老人にそこに座るよううながされ、腰をおろした。


 老人はヒラクの向かいに座ると、室の右隅にある通路口に向かって手を二回打ち鳴らした。


 それを合図に二人の中年女が室に入ってきた。


 赤茶色の髪、黄土色の瞳の女たちはやせてはいたが、アクリラのように貧弱で病的な感じはしない。服装も少しちがう。誰も白い布を頭からかぶってはいない。丈もそでも短い一つなぎの服を着ている。腕にも腰にも緑のひもは巻きつけていないが、代わりに両手両足に石の輪のようなものをはめていた。

 彼女たちの表情は暗く、どこかくたびれたような印象を与える。

 女たちは通路の入り口でひざをついて顔を伏せた。


「おなかがすいたでしょう。今、食事を用意させますよ」


 老人は無表情のまま、子どもの機嫌をとるように声を和らげて言った。


「いらないよ」


 そうは言うが、ヒラクのお腹は正直で、空腹を訴えるように、大きな音をたてて鳴った。それをごまかすかのように、ヒラクは声をかぶせて言う。


「ユピだっておなかすかせているかもしれないのに、自分だけ食べるなんてできないよ」


「ユピ?」


 老人はのんびりと聞き返した。


「知らないの?」


「ああ、一緒にセーカに入り込んだという神帝国人のことですか」


「ユピはどこ?」


「まずは私の質問に答えるのが先です」


 老人はゆっくりとした口調で言った。


「質問って何?」


 ヒラクが言うと、老人は通路の入り口に控えていた女たちに目配せして奥にさがらせた。


「あの人たちは?」ヒラクは尋ねた。


「大罪をはらわんとする者たちです。老主である私に仕えることは、すなわちプレーナの下で働くということ。彼女たちの罪を祓えるのは偉大なるプレーナのみ」


「老主って、さっきのおじいさん……いや、死体のことでしょう?」


 ヒラクは老主の聖室にいたミイラのことを思い出して言った。


「老主は肉体の死からプレーナの生へと移行する者。彼は旅立ちの段階の者であり、私はそこへ移行する段階の身です」


「なんかよくわからないけど、あんたもまた老主ってことか」


「ええ。私もあと少しすれば、聖室に入ることになるでしょう。そこで肉体は朽ちはじめ、生命の水そのものになるのです。そしてプレーナと一体となることが叶うのです」


 老主は抑揚のない声で答えた。


「なんかよくわかんないけど、ここにいるみんながそういうふうにプレーナと一体になって死んでいくの?」


 ヒラクが尋ねると、老主は、おかしそうに笑った。


「ご冗談を。老主とは、罪深きセーカの民とプレーナをつなぐ祈りの主です。民の祈りを一身に請け負い、プレーナの慈悲を求め、そして罪深き者たちに慰めを与えているのです。いわば特別な身分なのですよ」


「そんなのおかしいよ。なんで一人だけ特別なんだよ」


 ヒラクがそう言うと、老主は気分を害したように微かに顔を歪めた。

 そんな老主の一瞬の表情の変化にヒラクは気づかず、さらに質問を重ねる。


「そもそも罪って何のこと?」


「やれやれ、あなたにはどこから説明すればいいのか……。こちらから質問する以前の問題ですね」


 老主は大げさに息を吐いた。


「セーカの民は、プレーナの怒りを買い、住み慣れた土地を奪われました。光りなきセーカの民ももとは地上の住人。地上がまだ肥沃の地であった頃、セーカの民は羊などの家畜を放牧して暮らしていました」


「ヒツジって何?」


 ヒラクは山に住む野生動物以外は知らなかった。

 老主はめずらしいものを眺めるようにヒラクを見た。


「羊を知らないのですか……。羊とは、密集した白い毛におおわれた哺乳動物のことです。乳も飲めますし肉も食べることができます。毛は織物に利用され、古くからセーカの民の生活にはなくてはならない家畜でした。その羊の群れを野に放して飼育していたのが羊飼いです」


「ふうん」


 ヒラクは羊というものがどういうものか想像もつかなかった。

 老主はかまわず話を続ける。


「当時の羊飼いたちは、山からやってきては羊を食い荒らす狼を怖れていました。羊飼いたちは山の向こうに狼たちをあやつる恐ろしい存在がいると考えるようになりました。それが『狼神ろうしん』と呼ばれる神です。彼らは狼神に定期的に羊を差し出すことで、山の狼たちの襲撃を緩和しようとしました。やがて狼神は大地の神として崇められるようになり、人々の信仰の対象となっていきました」


「狼神……」


 ヒラクは山から自分をここまで導いた銀の毛色の狼のことを思い出した。


「セーカの民がもともと信仰していたのは、命の源である水の女神、プレーナです。地に湧き出る水こそプレーナの恵み。それなしでは生きられないのです。……しかし人は愚かです。あたりまえにそこにあるものへの感謝は次第に薄れていきます。やがて、セーカの民の中から、プレーナに背信し、狼神に忠誠を誓う使徒たちが生まれました。日々の生活の糧、目先の利益となる羊を何より第一とする者たちの間で狼神信仰が広まり、いつしかプレーナまでもが狼神に従属するものとして扱われるようになったのです。このままではプレーナの怒りを買ってしまうと、当時のプレーナ教徒たちは怖れました。そしてそのとおりになってしまった」


 老主の目が鋭く光り、ヒラクはごくりとつばを飲んだ。


「プレーナは怒り狂い、肥沃の大地を一夜にして不毛の砂漠に変えました。何もかもが一瞬で奪われた。すべてはプレーナへの感謝を忘れたセーカの民への罰なのです」


 その言葉で、ヒラクはアノイの老人たちの言い伝えを思い出した。

『今ここにある恩恵の数々に感謝して生きねばならない。神々の怒り一つですべては一瞬でなくなってしまうのだから』


 それはアノイの老人の口癖のようなものでしかないと思っていたが、もしかしたら、山の向こうが一瞬で砂漠になったことについて言っていたのかもしれない。

 そう考えるとヒラクには納得がいった。

 なぜ山の向こうが禁忌の地とされていたのか、なぜアノイの人々は山のこちら側の自分たちの生活を頑なに守ろうとしていたのか。


「それからというもの、セーカの民はプレーナの怒りがとけることをひたすら願い、地下で暮らしているのです。セーカの民は生まれたときからプレーナへの罪を贖う生活をしています。己の罪を自覚し、ひたすらプレーナへ祈りを捧げる。地上に出ることは叶わず、太陽の光を存分に浴びることすら叶わない。それが罪とともに生きるセーカの民のあり方なのです」


「へんなの。自分で自分のことをいじめて何になるんだ」


 ヒラクの言葉を聞いて老主は眉根を寄せた。

 ヒラクは気にせず、さらに言う。


「大体さ、外に出られないっていうなら、どうやって食糧を調達してくるの?」


 狩りや木の実の採集で食糧を調達しているアノイのヒラクにとって、それはとても不思議なことだった。


「それはさきほどの女たちの一族、狼神の旧信徒の役目です。彼らは代々プレーナ教徒への労働奉仕が義務づけられています」


「狼神の旧信徒?」ヒラクは老主に聞き返した。


「狼神の信徒とは、かつて狼神信仰が栄えたときに狼神を崇拝していた者たち、もしくはその中枢にいた狼神の使徒たちに従った者たちのことです。彼らは、狼神を信仰しない者を『いけにえの羊』と称し、信仰を名目に命を奪ってきました。彼らの過激な信仰が、多くのプレーナ教徒を追いつめ、堕落させました。彼らの一族は、その大罪のために、自ら外の世界へと赴きます。そして我らに食糧や物資を差し出すことで、プレーナの罪を贖うすべを得ているのです」


「でも、その狼神の旧信徒たちだって、同じセーカの民じゃないか」


「同じではありません」


 老主は間髪いれずに否定した。


「我らと彼らとでは生まれがちがいます。彼らは悪しき一族の血統。さらなる罪を負うべき者たちなのです」


「そんなの、なんだかまちがってる」


 ヒラクは、まっすぐな瞳で老主を見てきっぱりと言った。

 老主は一瞬不快そうに顔を歪めたが、すぐに取り澄ましたような表情を繕った。


「……確かに、プレーナの目から見れば、我らも彼らも等しき者かもしれません。だからこそ彼らの冒涜が、セーカの民全体を危険にさらすことになる」


「どういうこと?」


「狼神の使徒はいまだ暗躍しています。そして封印された狼神の復活のときを待っているのです。ただ、それが誰であるのかはわからぬところ。それに、狼神の旧信徒たちの働きにより、セーカの町が地下生活を営める環境にあることも確かです。ですから彼らを一掃するわけにもいかない。ただ、狼神の使徒につながると思われる疑わしき者を罰するしか手立てはないのです。それに……」


 老主は声をひそめた。


「彼らは神帝国と深くつながっています」


 その時、ヒラクは急にユピのことが心配になった。

 

 その頃、ユピはまさに狼神の使徒に囚われていたのだが、そのことは知る由もなく、ただただ「狼神の使徒」という言葉に不吉な胸騒ぎを覚えていた。



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