第4話 夜明けの奇襲

 夜が明けきるのも待ちきれず、ヒラクは井戸を探していた。


 井戸らしきものをみつけても、水は干乾びてしまっている。手持ちの水はほとんどない。それでも乾きに耐えられず、ヒラクは携帯していた残り少ない水に手をのばしかけた。


 そのとき不意に視線を感じた。


 周辺の奇岩住居の窓の一つ一つからヒラクを刺すような視線の数々……。

 浴びせられる殺意にヒラクの体が総毛立つ。


 ヒラクはゆっくりと後ずさりし、岩壁に背中をつけて、矢筒から取り出した矢を弓につがえた。


 すると突然ヒラクの右耳で、ひゅっという音がした。


 ヒラクに向けて放たれた矢が岩に跳ね返って地面に落ちた。


 ヒラクはとっさに隣の奇岩住居に身を隠し、身をかがめたまま、入り口から外の気配をうかがった。


 相手が何者か確かめようとヒラクが身を乗り出そうとしたとき、再び矢が飛んできて、石の矢じりが岩にはね返った。

 まだ明けきらない朝の薄暗い中で、相手は正確に矢を放ってくる。


 ヒラクは、もう少し明るくなれば反撃ができると思った。

 明るみに身をさらせば、自分もまた標的になりやすいということまでは考えが及ばない。


(どういうつもりか知らないけど、このまま黙っていられるか!)


 緊迫した空気の中、辺りが明るくなりはじめると、突然、ヒラクは外に飛び出した。


 ヒラクは弓をかまえ、自分を狙うそれぞれの奇岩の窓穴を順に狙うように矢じりの先を向けた。


「どうした! 来い!」


 弦をひきながらヒラクが叫ぶ。


 砂漠に昇る太陽の光が奇岩の隙間から射し込み、弓をかまえるヒラクの姿を照らし出す。


 ヒラクの緑の髪が明るく輝いた。


 それを見た一人の男が奇岩住居の一つから姿を現した。


 ヒラクは警戒し、弓を向けたが、男はまるで無防備で、呆然とした顔をしている。

 男は、ひざのあたりまでくる白い上衣を身にまとっていた。腰の辺りとズボンの膝からすねにかけて衣服をおさえつけるように緑のひもでしっかりと巻きつけている。袖も同様に、手首からひじにかけて緑のひもをきつく巻き、二の腕の辺りは布がたるんでいる。


 他にもさらに二人の青年が姿を現した。

 赤茶けた髪と黄土色の瞳、それが彼らに共通した特徴だった。骨格のしっかりとした体つきだが小柄で、ひもをしばりつけた腕も足も棒のように細く、どこか不健康そうな印象だ。


 ユピともまるでちがう、異民族の彼らの風貌をヒラクは物めずらしげに見た。

 すると突然、最初に出てきた男がよろめきながらその場にひざを落とした。

 そして、ヒラクに手のひらを見せるようにして、両腕を下にのばした。手に武器は持っていない。だが、ヒラクは男が何をしだすのか警戒し、かまえる弓をおろすことができなかった。


 男は歓喜と恐怖が入り混じったような表情で、両手でわんの形を作り、何かをすくい取るような動作をしてこうべをたれた。

 そして椀を形作った手を頭上に掲げると、そのままの形で手のひらを自分の方に向け、顔をぬぐうようにおろしながら口の前で止めて目を閉じた。

 男は隠された口元で何かをつぶやくと、そこからさらに両手を下げ、胸を押さえながら再び頭を下げた。


 他の者たちもヒラクに向かって同じ動作をした。

 気づけばヒラクの前には十名ほどの者たちが集っていた。

 男たちはヒラクに敬服するように頭をたれ、目を伏せたまま静止している。

 ヒラクはわけがわからなかったが、彼らに戦意がないことを見て取ると、ゆっくりと弓をおろした。


 だが、ほっとしたのも束の間、突然、ひざまずいていた若者の一人が、ヒラクの後方の気配に殺気立った。その視線の先にはユピがいる。


 若者はさきほど投げ捨てた弓を拾い、ユピを狙った。


「やめろ!」


 叫び声と同時に矢が放たれた。


 はじけ飛ぶように、若者の手から弓が落ちた。


 矢を放ったのはヒラクの方だった。


 腕を負傷した若者がヒラクに向かって何かわめいている。その言語はヒラクが理解できないものだ。

 若者よりも年が上らしい男がわめきちらす若者をなだめる。


 ヒラクは男たちを威嚇するようににらみつけると、くるりと向きを変えてユピのそばに駆け寄った。


「ユピ! だいじょうぶ?」


 ユピは青ざめた顔でヒラクを見た。


「僕は、だいじょうぶだよ。それより、あの人たちは……」


 ユピは赤茶色の髪の男たちに目をやった。

 男たちは困惑した様子でヒラクたちを見ていたが、何事かを話し合うと、一部の男たちは負傷した若者を抱えて前方の小山のような奇岩住居の背後に退いていった。


 残ったのは戻った男たちよりもはるかに年若い者ばかりだ。

 青年たちは遠巻きにヒラクたちを眺めていたが、そのうちの一人が他の者たちの制止を振り切って歩み寄ってきた。


「おまえたちは何者だ」


 ヒラクが聞いたこともない言語だった。黄土色の瞳が鋭くヒラクをにらみつけている。その青年はやせてはいるが、他の者よりも背が高く、引きしまった体つきをしていた。骨格のしっかりしたあごの線と無精ひげは野性味を帯び、不健康な印象はどこにもない。


!」


 さらに後方から声がしてヒラクが振り返ると、少し離れた場所に、白布で全身をおおい隠している一人の小柄な少女が立っていた。布は頭頂部にはめた輪状の装身具で押さえられ、顔は隠れてよく見えないが、赤茶色の三つ編みが腰のあたりまで伸びている。


 少女は大きく息を吸い込むと、意を決したように全身をおおう白布をはぎとり、ヒラクの前に姿をさらした。

 少女のたっぷりとした一つなぎの白い上衣は足首まで達し、腰には緑のひもを巻きつけている。袖にも同様に、ひじから手首までしっかりと布を押さえつけるようにひもを巻きつけ、袖口は手の甲を隠すように広がっていた。


 全身を覆う布を脱ぎ捨てた少女は、まぶしそうに顔をしかめながらも、黄土色の瞳を潤ませて、ヒラクをまっすぐに見た。筋の通った鼻ととがったあご先の間にある薄いくちびるは震えている。その少女の貧弱な体、病的なほど青白い肌の色は、アノイのものとは異なる。それでも少女はどことなくヒラクに似ているとユピは感じた。


「あなたはヴェルダの御使みつかいですね」


 少女は頬を紅潮させ、目を潤ませながら、声を上ずらせて言った。

 少女は、ヒラクがユピと会話するときに使う言語で話していた。

 ヒラクの母の使用言語であり、ユピが「禁じられた言葉」と呼んだものだ。


 さらに少女は若者たち同様、その場にひざまずき、手で椀を作り、何かをすくいあげる動作をした。そして少女の口元が手でおおわれたとき、つぶやいた言葉をヒラクははっきり聞き取った。


「偉大なるプレーナよ」


 その言葉を聞いて、ヒラクははっとした。


(どうして、プレーナの名が!)


 「禁じられた言葉」を使い、「プレーナ」の名を口にする少女は一体何者なのか……。


 ヒラクは混乱していた。


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