第5話 祈りの言葉

 「禁じられた言葉」を話し、「プレーナ」の名を口にした少女の前で、ヒラクは動揺を隠しきれない。


 聞き間違いかどうかを確認しようとしたその時、先ほどヒラクに誰何すいかした黄土色の瞳に無精ひげの青年が近づいてきた。


「アクリラ」


 ヒラクに歩み寄ってきた青年は、アクリラと呼んだ少女の手首をつかんで無理矢理立たせようとした。


「こんなところで何やってるんだ。中に戻れ」


「はなして、カイル。ヴェルダのかたに祈りを捧げているの、じゃましないで」


「こいつはヴェルダの御使みつかいなんかじゃない。よく考えてみろ。分配交換ぶんぱいこうかんの日でもないのにどうしてここに現れるんだ」


「私の毎日の祈りが通じたのよ。だからこの場に現れてくださったのよ」


 アクリラは胸の前で手を合わせ、喜びをかみしめるように言った。


「ねえ、さっきプレーナって言ったよね?」


 ヒラクがアクリラに尋ねると、カイルと呼ばれた青年は驚いたようにヒラクを見た。


「祈りの言葉……」


「え? 何?」


「祈りの言葉が使えるのか?」


 カイルもまたヒラクと同じ言語を用いた。


「祈りの言葉って何?」


 ヒラクが聞き返すと、カイルの代わりにアクリラが答えた。


「偉大なるプレーナを崇めるための言葉です。ヴェルダの方、私は毎日祈りの言葉を捧げておりました。どうか生命の水を我が母カトリナにお与えください」


 アクリラは胸に手を当てひれ伏した。


「ちょっと待ってよ。何が何だかさっぱり……」


 アクリラは顔を上げ、目を細めながらヒラクを見る。


「あなたは私の願いを叶えるために来てくださったのでしょう?」


 相手が拒むことなどあり得ないと言わんばかりのアクリラの様子に、カイルは軽くため息をつくと、困惑するヒラクを見た。


 日差しが強さを増し、太陽がさらに高く昇ろうとしている。

 アクリラはまぶしくて目も開けられないといった様子だ。

 それを見たカイルは覚悟を決めたように言った。


「……ヴェルダの御使いよ。町までご案内します」


「町ってここじゃないの?」


 ヒラクは取り囲む奇岩住居を見渡した。


「ここは廃墟と化した町。ここには誰も住んでいません」


「え? じゃあ町ってどこにあるの?」


「ヒラク」


 ユピはヒラクの腕をつかみ、自分のそばに引き寄せた。


「わけもわからずついていくなんて危険だよ。それに、僕たちの目的は、黒装束くろしょうぞくの女に会うことだ」


 ユピはカイルたちには聞こえないように小声で言った。


「でも、プレーナについて何かわかるかもしれないよ。目的は黒装束の女じゃなくてプレーナだよ。それに彼らの町に行けば、水と食糧も手に入ると思うし」


 すでにもうヒラクは疲れきっていた。

 何より喉の渇きが耐え難い。

 それはユピも同様だった。


「とにかく、少し休んでから次のこと考えようよ。だいじょうぶだって、とりあえず危害は加えてこないみたいだしさ」


 言葉が通じるということにヒラクは安堵し、いつのまにか彼らへの警戒を解いていた。

 ヒラクはためらうユピの手を引き、カイルの前に進み出た。


「行くよ。案内して」


カイルは警戒するようにユピを見た。


「この者は連れて行くことはできません」


「えっ、どうして?」


「青い目、白い肌、銀の髪……その者は、神帝国の人間です」


「シンテイコク……?」


「神帝国の人間を中に入れることはできない。一人で来てください」


「いやだ。ユピが一緒じゃなきゃ行かない」


「とにかく今はお一人で……」


「いやだ。一人じゃ行かない」


 聞き分けのないヒラクと、苛立ちをあらわにするカイルの間でアクリラはおろおろとしている。


「いいから早くお二人をご案内しろよ」


 どこからかまた一人若者が近づいてきた。


「テラリオ、おまえ、どこにいた?」


 カイルは険しい顔つきで青年を見た。テラリオと呼ばれた青年は、肩までまっすぐに伸びた赤い髪と明るい茶色の瞳を持ち、他の者よりも背が高く、カイル同様、不健康さを感じさせるほどにはやせ細っていなかった。


「ちゃんとここらで見張っていたさ。侵入者を警戒しながらね」


 テラリオは肩にかかる髪をかきあげると、口の端をねじ上げて笑った。


「それより早くヴェルダの御使いをご案内しろよ。老主の犬どもが戻ってくるぜ」


 それを聞いたカイルは忌々しげに舌打ちすると、不安げに様子を見守るアクリラに目をやった。

 アクリラは青白い肌に汗をにじませながら、まぶしそうに目を細めている。


「……急ぐぞ」


 カイルはアクリラが脱ぎ捨てた布を再び頭からかけてやると、隣にいるヒラクの手を乱暴につかんだ。


「いやだってば! ユピも一緒じゃなきゃ行かないよ!」


 ヒラクはカイルにひきずられながら必死にユピを振り返った。


「ヒラク」


 そばに駆け寄ろうとするユピの腕を後ろからテラリオがつかむ。


「大丈夫ですよ。あなたは私がご案内します」


 そう言って、テラリオはにやりと笑う。


「神帝国人を中に?」


「テラリオ、おまえ何考えているんだ」


「そんなことが知れたら……」


 青年たちは口々に言うが、今度はカイルも反対しなかった。


「行くぞ」 


 カイルはヒラクの手を引いて、アクリラについてくるよう促した。

 その後にユピを連れたテラリオも続く。


 そして彼らは奇岩群の中にある積み石の囲みの枯れ井戸の前で足を止めた。


「さあ、こちらへ」


アクリラは井戸の端によじ登るとくるりと体の向きを変え、すっぽりと中におさまった。


「この中に入るの?」


 ヒラクは井戸をのぞき込んだ。

 井戸の縁につかまりながら、アクリラはほっとした表情で下に向かって下りていく。


「ここは地下への通路の一つです。さあ、どうぞ」


 ヒラクはアクリラの後に続き、井戸の中に入った。

 内側には足場があり、数段下りるとすぐ足がついた。

 井戸の内側からはさらに横穴がのびている。


「こちらです」


 アクリラは、横穴の先へ進んでいく。人一人分の幅しかない穴の先へと進むには、一列に並んで行かねばならない。アクリラのあとにヒラクが続き、カイルがその後を追い、ユピ、テラリオの順に進んだ。


 中はひんやりと肌寒い。

 暗闇が全身を包み、外気が遠ざかっていく。

 ヒラクはアノイの死者の穴のことを考えていた。

 この先にあるのは死者の国なのだろうか……。


 わずかな恐怖もあったが、それに勝る好奇心がヒラクを先へと進ませる。

 暗がりの先に、何が待つのかも知らずに……。

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