第5話「脱出」

 執事長が近寄ってくる。

「お嬢様、間もなく追手がくるでしょう。早くこの国を出られた方が宜しいかと思われます」

 サバル執事長が、セシルお嬢様に忠告する。

「すでに、家人には相応の慰労金を渡し退去させました」

 侯爵家を罠に嵌めた連中は、取り潰して財産の接収を狙うだろう。そう判断したとサバル執事長は言い、先手を打って手段を講じたとお嬢様に伝えた。


「ルイ、これを持っていきなさい」

 執事長は、黒い鞄を持ち上げて俺に見せた。

「これは?」

「『魔法収納鞄』という物だ。しかも容量は特大で、同じ物は王家にしかない。前国王陛下が王位にいらした頃に、ネイチャード侯爵様に下賜された物だ」

 執事長が鞄を空けて中を見せる。中は空洞だったが、真っ暗で何も見えなかった。

 

「ルイ、この侯爵家の地下に秘密の部屋があるのは知っているな?」

「はい、執事長。存じております」

「そこには、侯爵家の財産が隠されている。これは、その部屋の『魔法の鍵』だ。この鍵でしか、その部屋を開けることは出来ない」


「『魔法の鍵』ですか?」

「『解錠魔法』に対抗するために、解錠魔法阻害を施してある特別製の鍵だ」

 俺は受け取った鍵を大事に握りしめた。

「ルイ、魔法収納鞄の使い方を教えてやろう」


 執事長は鞄の口を開けて屋敷の方に向けた。そして、言う。

「吸い込め」

「なっ!」

 驚きのあまり声が出た。これが驚かずにいられるものか。目の前にあった侯爵家の大きな屋敷が鞄に吸い込まれたのだ。それも、一瞬の間にだ。



「サバル執事長!」

 俺は叫んだ。

「いったいこれは?」

「落ち着け、ルイ。今、説明する」

 俺は大きく深呼吸をして、執事長の説明を待った。



「さっきも言った通りに、この魔法収納鞄は王家の国宝になるくらいの容量があるのだ。屋敷は言うに及ばず、城でも収納する事ができる。そうでなくては国宝にはならない」

「それにしても、凄い収納力ですね」


「ルイよ、この鞄をお前に託す。屋敷はもちろんのこと、中にある財産も全てセシルお嬢様が所有されるべき物なのだ。お嬢様がネイチャード侯爵家を再興する時に使ってくれ」

「畏まりました、執事長。必ずネイチャード侯爵家が再興できるように尽くします」


俺は、執事長から魔法の鞄を受け取った。不思議な事に、鞄は軽かった。あれだけ大きな屋敷を収納したのに全く重さを感じさせなかった。


「お嬢様、離れます。ここにいては危険です」


  馬を引いて門から遠ざかる。離れた所で乗馬して壁の南西の角に向かう。ここは人が来ない場所だ。物見の塔はあるが、灯りが無い世界なので夜間は役に立たない。



 そのとき、俺の頭に小さな疑問が浮かんだ。

「執事長、ひとつだけ教えてください。建物の一部分だけを収納する事は可能ですか?」

「その場合は、範囲指定をするのだ。頭の中で収納する範囲を思い浮かべるだけでいい。さっきは、お前に分かるように声を出したが、頭の中で思うだけでも発動する」

「分かりました」

「ルイ、頼んだぞ。では、もう行け。遠くから足音がしてきた。追手が来たのかもしれん」


「お嬢様、行きます」

 緊急時なので、俺はお嬢様の手を取った。

「追手は任せておけ。ルイ、セシルお嬢様を頼むぞ」

「分かりました、執事長。この命に代えてもお守りします」

「サバル、どうか達者でね」

「お嬢様も、お達者で」

執事長はお嬢様に向けて小さく手を振った。

 俺とお嬢様は二頭の馬に乗って屋敷の裏門から脱出し、一番近い王都の南門に向かった。


門の近くで馬を降り、建物の影から様子を窺う。

門の兵士が慌ただしく動いているし、いつもより多いように思う。

『既に、手が回ったようだ』と直感する。


闇魔法を使って、門の中に忍び込むことは容易い。その後、門の兵士を全員気絶させる事も簡単なことだ。

だが、それだと門を通った事がばれる。それは得策ではないと俺は判断した。


 北と東のどちらの門からも遠い場所なので住民しか来る事はないし、こんな夜中に外に出て来る者もいない。

それでも、俺は用心を重ねる。馬を建物の影に隠して周囲の気配を探る。そして、誰もいない事を確認して、一人で街の壁の前に立った。


王都の街壁、その北東の角。物見の塔のすぐ横の壁を俺は見つめていた。

「範囲を思い浮かべるだけでいい」

 サバル執事長の言葉を思い出して、魔法鞄の部分収納を実行に移す。壁を見ながら範囲を指定して強く念じた。意識を壁に戻すと、人が通れるほどの穴ができていた。

馬を引いて壁の外に出てから、収納した壁を魔法鞄から排出する。壁が一瞬で元通りになった。

『これは便利だ』と俺は思ったが、感心している場合ではない。


「暗い内に、できるだけ王都から離れます」

「分かったわ」

セシルお嬢様の声が固い。緊張しているようだ。

「お嬢様、大丈夫です。お嬢様の事は、私が必ずお守りします」

お嬢様が強く頷いたのを確認してから馬を走らせた。


 目的地は『黒の森』だ。多くの魔物が生息するために人が立ち入る事ができない場所だから、見張りの兵士もいない。アルダン王国の北に位置するビイスク王国との国境。そこにあるベルドン山の麓に広がる森で、山の東側か西側の森を抜ければビイスク王国に入ることができる。

 俺たちが向かっているのは西側の森だ。東側の森に比べれば強い魔物が少ないと言われている。もっとも、その噂がどれだけ信用できるかは分からない。



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