第8話十字架の初陣

 十字架の鎖を強く握りしめると地面を踏み軽く振り回した。――予想以上に重てぇなッ! 殺意に溢れている十字架パラディンは自重を加速度的に増加させる。悪食を地面に捻じ込み黒喰の身体が振り回されそうになるも気合で耐えた。


 ――想像以上のヤンチャガールだね。


 遠心力で増大した攻撃力が目標を――粉砕する。轟音を立てた爆心地は粘菌が土砂に塗れてぐちゃぐちゃになっており、十字架が命中した地点が隕石のクレータの様になっていた。


 その破壊力は凄まじいの一言だ。超重力化された十字架ちゃんを振り回すのは通常探索者の身体では付いて行けない、足を踏ん張るには遠心力に耐え切れないからだ。


 しかし、悪食が大地をアンカーの様に捉えているので黒喰のパワーと十字架の超重力が相乗効果を生み破壊力を増大させた。


「まだ生まれたばかりのレガリアとは思えないねぇ。――――いくぜ、相棒バディッ!!」


 今回は凜ちゃんの実力の確認と連携の強化が目的の迷宮探索であった。結果はご覧の通りバディの死亡だ。


 十字架の自我が本当に『凛ちゃん』なのかは分からない。十字架のレガリアと共に迷宮最深部を目指すことを黒喰は決意していた。生まれたばかりの十字架に『相棒バディ』と言う呼び名がそれを証明している。


 竜巻の様に十字架を振り回す振り回す。周囲を囲っていたスライムが食べやすいサイズに加工され悪食は出された食事を楽しんでいる。『漂う胞子の迷宮』は泥と粘菌に塗れた悲惨な状況になってしまった。鬱蒼とした陰気な雰囲気が更地に加工されていく。


 形勢は逆転した。様々な耐性を持つ質量の化け物は彼女達の暴威の前になすすべなく被捕食者となったのだ。


「ははははっこいつは爽快だなッ! 怪物が怯えてやがる。もう俺は狩られる側じゃねえんだよッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! ――そして喰らえッ! 悪食!!」


 スライムの巨人に向かって全力の蹴撃を行った。まだ距離はかなり空いている――ハズだ。だが、繰り出した蹴足の悪食のブーツが巨大化な顎へと変化して巨人の胴体を齧り取った。


「おーう。てめぇも立派になったなぁ。もうちっとご主人に従順になりゃあ可愛げもあるんだが……解放を制御できるか不安だが怪物をぶっ殺してから考えるか」

 

 戦闘中に悪食の特性が黒喰の身体に適応されて境界が限りなく薄まっていた。身体が強化され『喰う』事に特化した超越者を超える化け物へと変化していたのだ。


 周囲の物質を喰い尽くせば無限に動き続ける化け物。自我が乗っ取られてしまえば人類の災厄になりかねない特性だ。目の前の怪物スライムを喰って黒喰は成長する事が出来た。怪物を喰って怪物になる。それが現実の物になろうとしていた。


 次々に巨人を喰らっていく。今にして思えば深層で出会った怪物のパチモンにしか見えなくなってきた。


「あの怪物はこんなもんじゃねぇッ! 怪物は怪物でも下っ端の怪物はお呼びじゃねえんだよッ!」


 かつて感じた恐怖心や敗北感を塗り替えるようにスライムの巨人を磨り潰していく。怪物に対するトラウマを抱えたままでは迷宮最深部を目指すなんて夢のまた夢のままだ。


 どさくさに紛れてジワジワと浸食してきている悪食にイラつきながらも怪物の殲滅を繰り返していく。


 おおおおぉぉぉおおぉぉぉぉおぉん――


 迷宮の各所に根を張り生息していた粘菌が震え始めると嘆きの叫びとなって聞こえてきた。粘菌のネットワークが上位存在の危機に反応したのだろう。黄色と黒に点滅を繰り返すと迷宮自体が地震のように震えだした。


「なッ!? なんだ!? ――おいおい、これ、やべぇんじゃねえの?」


 迷宮の奥の方から振動と共に轟音が聞こえて来る。これは水の音だ。それも、全てを飲み込むかのような滝の叩きつけるかのような――


 視線を迷宮奥に向けると埋め尽くすようなスライムの壁が高速で迫って来ている。迷宮に根を張っていた粘菌もやってきているのだろう。この迷宮は怪物の家であり、怪物は迷宮を支える根となっていたのだ。


 全力で黒喰に抗う為に怪物は家を捨てたのだ。


 そして土台を抜かれた家は崩壊する。つまりこの迷宮は現在崩れている最中なのだ。黒喰の近くに天井がいくつも崩落し始めている。


 周囲のスライムは殲滅されており。包囲されたスライム層は大分薄れてきている。ならば選択肢は一つ――


「逃げるんだよぉッ!! クソッ。喰い尽くせるかと思ったのに――」


 頭上で十字架を振り回しながら出口方向に逃走路を確保していく。十字架を叩き付け悪食で捕食し左腕に盾を生成しスライムの槍を捌いて行く。


 黒喰は自在に変化する左腕を見て感心する。


「おめぇ役に立ってんな。半自動的に動く補助腕とかマジすっげぇな――――でも、これ怪物じゃないの? ねぇ、悪食? これ大丈夫なん?」


 ゲル状に変化する黒喰の左腕と左目は人間のモノではない。悪食の特性で素材を採取し黒喰の再生魔導で生成したよくわからないモノだ。


 それと超越者を超える際に感じた進化の兆し。全てが合わさった奇跡の産物だ。

 

 左腕と眼球が目立ってはいるものの黒喰の身体の中で変わっていない場所などひとつもないのだ。階梯を登るという事は存在そのものが作り変えられてしまう。


 悪食に問いかけるももちろん返答はない。むしろ餌を前にしての逃走にゴキゲン斜めのようだ。


 スライム壁をぶち破りながら出口へ突き進んで行くとようやく辺りに明かりが差し込んできた。背後からは迷宮に敷き詰められたスライムの濁流が迫って来ている。全力で逃走しているがスライムの勢いが早すぎる。


「出口まであと少しだってのっ。もう少し手加減してくれよ怪物さんよぉ。パチモンって言ったの謝るからさ――――クソッ」


 黒喰は懲りない女である。吐いた言葉を飲めないのだ。怪物は怒り狂っている。それは黒喰を殺しても止まる事は無い。


 背後まで迫っって来た時に左腕が形態変化すると黒喰の周囲を円形に防御壁を張った。左腕の体積は盾を展開する時に多少は増減するが、全身を覆うには膜の耐久性は心許ない。しかしスライムの濁流の末端まで怪物の制御は行き届いていなかった。


 黒喰がスライムの濁流に飲まれるも防御壁が浸食されることはなかった。むしろスライムを吸収し始めると自らの体積を増やしていった。


「おおッ!? 左腕ちゃんが一番おりこうさんじゃねえの? 主人を守る健気な子だねぇ……。あいたっ! 悪食も十字架ちゃんも怒るなよぅ……おめぇら俺の言う事聞かねえじゃんよ」


 十字架のデカさが邪魔になるので右手の甲の痣に収納されている。悪食はまだ怪物を喰い尽くしていないので解放されたままだ。浸食がされていないのは黒喰を喰うのは最後にしてやると言っているようなものだ。


 濁流に押し流されて迷宮の外へはじき出されてしまった。入り口に目を向けると増水でダムが決壊したシーンを見せられているような風景だった。


 空中に跳ね飛ばれるも左腕の防御壁を解除し姿勢制御すると地面に着地した。黒喰は多く息を吸い込み新鮮な空気を味わっている。瘴気が漂っていない地上の空気が美味しく感じられているようだ。実際は無呼吸でも活動できるようになってしまったので気分的なものだ。


 スライムの濁流が停止すると迷宮の存在していた区域が大規模な陥没が発生する。雷が鳴ったような轟音と地震が続いている。黒喰の居る場所も崩壊し始めていたので撤退を始めた。


 陥没する地点が見える高台へ上がると怪物の状況を確認する。超越者はこの辺りに黒喰しか存在しておらず、スライムの巨人が都市へ侵攻を始めたらとんでもない災害と化してしまう。


 凜ちゃんの仇でもあり怪物もどきを倒せなければ迷宮最深部を目指す事などできない。ここで怪物と戦う以外に黒喰に選択肢はないのだ。


 スライムの巨人は迷宮の天井ギリギリの背丈でおよそ五階分の高さはあった。それでもあの怪物より小柄で耐久性も高くなかった。スライムの怪物の恐ろしい所は圧倒的物量と再生能力にあった。


 その怪物が迷宮の狭い空間という制限を取っ払えばどうなってしまうのか――迷宮が崩壊した場所から迷宮の残骸を纏い嵩増しされた巨体が生まれてしまった。


 その高さは以前の倍以上の高さになっており登る事さえ困難だろう。


 岩や土砂が骨組みと成り防御力も攻撃力も増大し、迷宮内全てのスライムが合わさった怪物。その殺意が周囲一帯へ駆け巡った。そこはまるで迷宮深層の雰囲気であり普通の生物たちは耐えられない。


 野生動物は息絶え植物が枯れ果てていく。粘菌が異常増殖を起こし怪物のテリトリーへ変化していった。


「…………やっちまったかな?」


 この迷宮跡地から都市への距離はそう遠くない。膨大な瘴気の反応も観測されているだろう。


 新たなフィールド型迷宮を発生させ超越者も敵わない怪物を地上へ引き込んだ黒喰は奴を討伐しなければ街に住むことすらできなくなるだろう。


 鎖を腕に展開し握りしめるとガチャリと音が鳴る。ぎちぎちと楽しそうに歯ぎしりをするブーツは嬉しそうにしている。深く深呼吸をすると足を屈め強く地を蹴った。


 地を離れ大きく跳躍した黒喰は十字架をブンブンと回転させる。

 

 風にはためく灰色の髪。真紅に瞳が眼下に迫る巨人をねめつける。振りかぶった十字架を勢いよく叩きつけると巨人の身体に取り付いた。


「デカけりゃいいってもんじゃねぇぞ!? そんなんじゃ痛くて入んねえぞッ!! 早漏ゲロ野郎!!」


 怪物との最後の戦いが始まった。

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