第6話シコって寝たい
蹴る、蹴る、蹴る。粘性生物の体液が飛び散るも再び繋がり再生していく。蹴撃の連打を繰り出すもキリが無い。
「クソックソックソッ!! ぐっちゃぐちゃのヘドロクソ野郎ッ! 死ね、死ね、死ね、死ねぇぇぇぇぇええぇぇえッ!!」
目元からは涙が溢れ出して止まらない。悲しみを怒りへと変えて蹴りと放つ。その間にも左腕が疼く。どうやら浸食した粘菌が黒喰の身体を苗床へと変えて増殖していっている。
粘菌の塊であるスライムは本来、白色で半透明の状態で岩陰に隠れ潜み探索者を待ち伏せ得ている。攻撃を仕掛けているスライムはその都度周囲の風景に身体を擬態させ隙を伺ってくる狡猾さが見えた。
そしてスライムの弱点でもあるコアが見当たらない。
「どういう事だよ…………コアが見当たらねえッ。こいつぶっ殺せねえじゃねえか…………クソッ」
超越者足る黒喰の感知能力が全く機能していないのだ。危機的状況の解決策を頭の中を高速で思考を巡らせていく。――まるで風景そのものがスライムみてぇじゃねえか…………あ゛?
その事に気付いた時には迷宮からの撤退はすでに不可能であった。この場所にやってくるまでの通路は全て塞がれている。
黒喰はすでに怪物の懐の中にいたのだ。
防衛戦のセオリーである壁を背に戦う位置取りがまずかったのだろう。壁面から粘菌が鋭い針へと形態を変化させ黒喰の側頭部から眼球までに貫いて行く。
「ぎぃぃぃぃいいぃぃっ! ――の、だらぁっ! そうかよっ! そう言う事かよ!! ――ここはてめぇの腹の中ってことかぁッ!!」
鋭い針を手刀切断し左手で片目を覆う。指先で眼球をくり抜こうとするも抵抗された。恐らく左腕同様侵食するつもりなのだろう。
正解! おめでとう!! と言わんばかりに周囲の苔生した樹海の様相が変わっていく。地面が、天井が、木々ですらドロドロとした赤色にスライムへと変化していった。
唯一の救いは迷宮の全てがスライムでは無い事だろうか? 迷宮の壁まで三メートルもの厚さのスライムの層が存在しており絶望的なのは間違いないのだが。
――『
寝坊助を叩き起こし足を振り上げた。まだ立っている場所にスライムは浸食して来ていない。
「だらっしゃあッ!!」
顔面近くまで振り上げた足の踵を全力で地面に叩きつける。轟音が迷宮内に響き渡り。数十メートル程のクレーターを生み出した。
巻き上げた風圧が粉塵を空中に舞わせスライムが密かに撒き散らしていた胞子を吹き飛ばす。そのことが奴が狡猾であり知能の高い魔物である
「必ず殺すと書いて必殺の攻撃を敵さんばかりがしてくんじゃねえか……。ゲームじゃスライムは最弱なんじゃねえのか? ――まぁ、重大な偏見を植え付けているといってそのゲーム会社、国に潰されちまったけどな……」
探索者の活動は国にとっても死活問題であり大衆に魔物の誤情報を与えるわけにはいかない。ゲーム会社達は魔物を『モンスター』と言い換えたり、ペットの様に魔物を可愛がり育てるゲームを作り始めるなど国と会社がどうでもいい争いを繰り広げているのだ。
センシティブな問題をゲームにすれば売れると分かっている闇の業者とのイタチごっこが起きているのは平和な証拠なのだが、間に挟まれた探索者協会は呆れた顔をしていた。中には『くだらない誤情報に踊らされるくらいなら死ね』と辛辣な主張する協会支部長までいる始末だ。
空気汚染を仕掛けてきた罠を吹き飛ばし数十秒ほどの余裕ができた。その間にあらゆる戦闘パターンを脳内にはじき出していく。決定力が足りていないしそもそも弱点すら見つけ出せていない。黒喰の脳内には絶望的な答えしか浮かんでこない。
「おーおーおー、絶望しか答えがねぇじゃんよ。――ッ! こりゃ使いものになんねえな―――――すぅ、ふぅ、痛いのはあんま好きじゃねーんですよー。あーやだやだ」
左腕の浸食速度が上がり神経に痛みが走る。同位体が吹き飛ばされたことに怒っているようだ。その左腕を右手で掴み力を入れ始めた。――使い物にならないのなら捨てればいい。その狂気的な発想をこの女は実行しようとしていた。
「ぎ、ぎぎぎぎ、ぎぃぃぃぃっ! ぐっ、がああああああああぁぁぁああああぁぁッ!! ――――――――あはっ。過去一濡れちまってんじゃねえの? さーすがにオナッちまうと命まで逝っちまうかぁ…………残念だ」
左腕を肩口から引き千切ったのだ。右手で持つ残骸は断面から粘菌が蠢いていて生理的嫌悪感を増す。足元に腕の残骸を放り投げると悪食に喰わせた。
「悪食ちゃん、たくさん喰いな――――ああ、眼球周りはアウトだコレ。取り除けねえや…………おいおいおいおい、おめぇ――――まさか」
迷宮内の天井ギリギリまで膨れ上がったスライムの巨体は過去に一度だけ遭遇した“怪物”そっくりであった。あの怪物ほどではないが凝縮された瘴気と圧力は本物だ。
自然と黒喰の身体は震えていた。逃げろと本能が全力で訴えて来る。
「こりゃあ、迷宮が地下で繋がってるっつー説はマジなんじゃねえかなぁ?」
四肢も正確に再現されかつて黒喰は戦った獣の巨人へと変身した。頭部は辛うじて獣の造形をしている所や、前屈姿勢で腕が妙に長い所まで再現されていた。――全く持って悪夢だぜ。
「あはっ、あははははははははっ! ――俺、片腕ないし、脳がスライムに浸食され始めてるし…………ムリゲーじゃんよぅ…………シコって寝たら目が覚めてないか――――」
何かに叩き飛ばされ壁にめり込んでいる事は理解できた。
微かに残る意識の中に鞭のようにしなる腕が眼前にコマ割りの様に現れたのだ。その速度は音速を超え遅れて衝撃波の音が迷宮に鳴り響いた。
「――ゴッ、ハァッ……ゲボッ……」
内臓の殆んどが持っていかれた。いくら再生魔導の才能があろうとも意識を集中させなければ効果を発揮できない。内臓をミキサーで掛けられたような感覚を味わいながら口から血の塊をボトボトと吐き出した。
自慢の手入れを欠かしていない灰がかった髪もムチムチボインなおっぱいも裂傷で皮膚が破れたり粘性の強酸で焼け爛れてしまっている。
真紅の瞳が霞み始め、希望が光が失われようとしていた。
――カラン。
視界が流血で見えづらいが白銀の十字架が手の届く位置に突き刺さっていた。
武器や防具たちは魔物の素材や特殊な金属を使用して製作される。迷宮で共に探索する際に使用者の血や体液を吸収し、固有魔力や原子振動数と共鳴して進化すると言われている。そして生まれて来るレガリアの自我は魔物であったり使用者に似ていたりと千差万別だ。
十字架はまるで『約束を守れ』と言わんばかりに執念の圧力を放っていた。
「――ハッ。凛よぉ……。おめぇも生きてりゃ超越者の仲間入りできたんじゃねぇの? すっげぇ、執念を感じるぞこいつ」
間違いなくレガリアの片鱗を見せる白銀の十字架。凜が生きていた証が存在していたのだ。諦めらたら殺すと言わんばかりに十字架が薄っすらと輝いている。
十字架の持ち手を血塗れの右手で強く掴み取るとじゅるじゅると音を立て黒喰の少ない血液を吸い取っていく。
現在も悪食に早く獲物を喰わせろと足から血液を吸われ、スライムに早く体を寄越せと脳を侵食され、十字架に約束を守れと血液を啜られているのである。
「おまえら俺の事好き過ぎだろ……」
十字架を逆さに地面へ突き立てて起き上がる。かなりの距離を吹き飛ばされたのかスライムの巨人は遠くに見える。天井を見上げ大きく深呼吸をする。
「おめぇを解放したのはあんとき以来だなぁ…………。ちと頑張ってみるか」
自らの
――『
レガリアとして加工された悪食の貪竜の意思が解き放たれた。――ようやく、ようやくだッ! 我に供物を! 我に強者を! 我に自由をッ!! 傍若無人の化身の様な自我が黒喰を浸食していく。
グリーブ――脛当てだけであった部位が踵、足先へ浸食し攻撃的なフォルムに変わる。竜の足爪は鋭く尖り牙が生えギリギリと歯を鳴らす。
胴部への浸食は股関節の付け根までに至っており、漆黒の竜鱗のグリーブが異形のブーツへと変化した。
黒喰の足が人化した竜人の足の様になってしまった。硬い上に柔軟性を兼ね備えた生物的な鱗がギチギチと擦り合わせ自らの成長を喜んでいるように見える。
――もっと身体を寄越せッ!
貪竜の意思が強烈な願望を叩きつけて来る。股関節より上部に竜鱗の浸食を始める。黒喰はコンコンとブーツを軽く叩くと、見える位置まで接近してきているスライムを顎で指した。
「この辺で勘弁してくれねえかねぇ? ――
そう言うと浸食と止める当たり悪食は協力してくれるようだ。視線を目の前の怪物へと定めると新入りの十字架を握りしめた。
「いくぞ。――怪物狩りだ」
一人ぼっちの死闘が始まった。
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