冬の三角

洞貝 渉

冬の三角

「本ってそんなに面白いの?」


 本を読めと大人は言う。

 読書が柔軟な心を育てる、読解力を培い思考力も上げる。だから本を読め、と。

 私はそうは思えない。

 だってこんなの、ただの字の羅列じゃないか。

 黒々としたシミが延々続く、面倒くさい紙の束。

 友だちと雑談してる方がよっぽど若い脳の発育に良いよ、たぶん。


 クラスメイトの栞さんは目を輝かせて本を読む。

 ラノベとか恋愛とか、なんかそういうのじゃなくて、もっと面倒くさい感じの本。

 彼女を見ていると、あんなに楽しそうなんだから確かに読書はいいものなのかもしれない、と思わないでもない。心とか思考力とか言われるよりも、彼女の読書を眺めている方が、読書はいいものなんだって説得力があった。

 でも、だからといって読書をする気になるかと言われれば、そうでもない。

 読書なんて、したい人が勝手にすればいい。

 黙々と字を目で追っているくらいなら、私は流れる雲をぼーっと目で追っている方がまだましだ。



 冬の夜は驚くほど早くやってくる。

 ちょっと授業中にスマホゲームしてただけなのに、これだ。

 その場で軽いお説教するだけならまだしも、スマホを没収というあんまりな仕打ちを受け、さらに放課後に長々とお説教までされるなんて。大人って生物は貴重な若者の時間をどれだけ無駄にすれば気が済むんだ。

 暗くて寒い道のりを、なんとか返してもらったスマホをいじりながら歩く。

 そんなに遅い時間帯ではないけれど、周囲に人はいない。帰宅部はとっくに帰ってるし、部活に入っていればまだ活動中の時間で、下校するには半端な時間帯だった。

 バス停まで来ると、待合の椅子に座る栞さんの姿がある。今日も今日とて熱心にバス停の明かりのもとで本を読んでいる。

 彼女は確か帰宅部だったはずだ。なんでこんな時間にこんなところにいるんだろう。

 

 体で影を使ってしまわないように気を付けて、ゆっくりと栞さんの背後に立ち声をかける。

「本ってそんなに面白いの?」

「うわっ」

 栞さんがビクリとして、本を取り落とした。

 私は内心ガッツポーズをしながら、

「あ、驚いた? ごめんごめん」

 と平謝り。

 栞さんは特に気を悪くしたふうでもなく、大丈夫大丈夫と言いながら落とした本を拾い上げ、また読み始めてしまう。

「で、本って面白い?」

 スマホをいじるのにも少し飽きて、私は栞さんに話しかけてみる。

 栞さんとは仲がいいわけではない。悪いわけでもない。互いに無関心、といったところ。

 だから無視されたら無視されたで別にいいかな、と思っていたけれど、栞さんは本から顔を上げ私の方を見てくれた。

「すっごく面白いよ!」

「うわっ」

 輝く瞳を真っ直ぐにこちらへ向けて、体を乗り出し食い気味に答える彼女に、今度は私がビクリとさせられる。

「なんだろ、こう、読むたびに見える世界が変化していくの! 知らないことすら知らなかったことが次々に目の前に現れて、楽しくて楽しくてたまらない!」

「え、えーっと……ごめん。よくわかんないや」

「あのね、だからさ、例えば、星!」

 

 栞さんが急に立ち上がり、とっぷりと暮れた空を指さす。

「ほら、あれ。あの赤い星、わかる?」

「赤?」

「そう、あの辺りにある赤い星」

「あー、えー……お、あった、と思う」

「あれはベテルギウス。次に、この空の中でかなり明るい星がこっちの方にあるんだけど」

「うん、たぶん見つけた。あれだよね」

「それがシリウス。最後にそっちの方に、プロキオンって星があって、つなげると三角形になるんだけど、見える?」

「あー、多分見えた、三角形」

「よし、じゃあ下向いて?」

「え?」

 唐突に星の授業が始まったと思ったら、下?

 栞さんを見ると、彼女は目をキラキラさせながら自信ありげな様子である。

 よくわからないながらも私は彼女の指示に従って下を向く。

「じゃあ、顔を上げてもう一度三角形を見つけて」

「……見つけた」

「でしょ! そうゆうことなの!」

 

 そうか、つまりどうゆうことなのか。

 説明がほしくて栞さんを凝視してみる。でも、栞さんはうんうんと一人納得して、本を開いて読み始めてしまう。

「あの、えっとつまり、どーゆうこと?」

「え? ああ、あれは冬の大三角形っていってね、冬にだけ見られて」

「じゃなくて、その三角形がなんなの?」

「知ってた? 空の星にあんな三角形があるってこと」

「いや、知らなかった」

「もう一度三角形を見つけてみて?」

「あれ、だよね。見つけたよ」

「ね、もうこれからは空を見上げるたび、あなたの目には三角形が映ってる。見える世界が変化したでしょ?」

 にっこり笑う栞さん。

 私はもう一度空を見上げ、三角形を見て、わかったようなはぐらかされているような気分になる。


「……ところで、栞さん、帰宅部でしょ? こんな時間まで何してたの?」

「図書室にいたの。新刊が追加されたからね、もう嬉しくて楽しくて夢中になってたら、遅くなっちゃって」

 この本も新刊で、ずっと気になってた本で、と嬉しそうに語る栞さん。

 栞さんには悪いけれど、やっぱり読書の面白さって、よくわからない。

 でも、栞さんの見ている世界にはちょっと興味が出てきたような気がする。

「おすすめの本とか、ある? 読書超初心者向けの本、とか」

 本を読めと大人は言う。

 読書が柔軟な心を育てる、読解力を培い思考力も上げる。だから本を読め、と。

 でも、栞さんを見ていると、読書ってもっと個人的なものなんじゃないだろうかと感じる。

 心を育てたり読解力とか思考力とか以前に、もっと個人的に楽しむもの。楽しい、面白い、夢中になれる、まずはそこからなんじゃないだろうか。

「ある! いっぱいあるよ、おすすめ!」

 心底楽しそうに嬉しそうに、栞さんの瞳が輝いた。

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