第8話 ヨウコさんの話

 トシノリさんは、母の姉の同級生だったんですよ。二人は学生の頃にまあ、若気の至りで結婚の約束をしました。口約束程度なんじゃないかって? あまり言い難い事だけど、赤ちゃんが出来てね。周りが気が付いた時には、もう大きなお腹になっていたらしいんですよ。もう産むしかなかったけど、産まれたその子は養子に出されてね。娘が傷物にされた上醜聞しゅうぶんも広がったんで、トシノリさんは医者になってスズコさんと――ああ、母の姉はスズコさんというんですが、結婚するしかなかったんですよ。


 うちの一族は、この土地では有名ですからねぇ。逃げることも出来ない。成績もそう悪くなかったんで、何とかトシノリさんは医師免許を取りましたよ。そうしてスズコさんと結婚して、山の病院の跡継ぎになったんです。


 最初は順調でしたよ。若先生、って呼ばれて祖父の手伝いをして住人にも好かれてました。でもねぇ……やっぱり、トシノリさんは女の人に弱くてね。祖父から病院の跡を受け継いだんですけど、その頃に若い女性……名前は覚えてませんが、精神を病んだ娘さんが入院するとその人と深い仲になったんですよ。

 二人が抱き合っている所を、看護婦さんに――あら、今は看護師だったかしら? に度々見られましてね。スズコさんが激怒して無理やり別れさせたらしいです。


 その時にスズコさんも精神を病んで、トシノリさんはスズコさんを連れて引越ししたんです。病院も廃業してね。本当なら誰か代わりに跡を継げばよかったんだけど、その頃に祖父はもう亡くなっていてね。祖母に頭を下げて「いつか戻ってくるかもしれませんので、病院はそのままにしておいてください」と頼んだんですよ。

 スズコさんは、トシノリさんと離れると喚いて騒いで大変だったそうなので、仕方がないと祖母は了承したんです。まぁ、帰ってきませんでしたよ。ですから、病院はあのまま廃墟になってしまいました。


 トシノリさんの浮気相手のカルテ? さぁ……どこかに保存してると思うんですけど。蔵かしら? ちょっと待ってくださいね、お嫁さんに見て来て貰いますね。まあ、麦茶と羊羹でもどうぞ。



 ああ、有難うね。まあまあ、お嫁さんもあまりにも綺麗な人なんで見惚れてしまってましたね。私も演歌歌手のマサキくんが一番だと思ってましたけど、あなたを見たらマサキくんのことも忘れちゃいました。まあまあ、謙遜しないでくださいよ。私が娘の頃なら、追っかけって言うのかしら? してしまいそうなほどあなたはお綺麗な人ですよ。


 あらあら、ごめんなさい。関係ない話をして。これですよ。待ってくださいね――ああ、ありました。ムラキリョウコさんです、カルテはこれね。調べ物が終わるまで、どうぞ持っていてください。埃っぽくてごめんなさいね。返すのは何時でもいいですよ、本当なら処分するのがいいかもしれないんでしょうが、私はそう言うのにうとくて。


 リョウコさんが何処へ行ったかですか? さぁ……身寄りがないと言ってましたし、違う病院を紹介したのかもしれませんね。母も「追い出した」という事しか聞いてなかったそうなので。

 私はまだ産まれてなかったので、リョウコさんを見た事なかったんです。でも、事務仕事を手伝っていた母は、リョウコさんを見たそうです。綺麗な長い黒髪の、ほっそりした女性だったそうです。柘植つげくしで髪を梳いている時は、幸せそうな顔をしていたそうですよ。お母さんの形見だって言ってたそうです。


 私が知っているのは、これぐらいかしら? お役に立てたならいいんですが。


 え? 足ですか? 転んで、骨が折れてしまってねぇ。治ったそうなんですが、どうにも痛くて引きずってしまうんですよ。まあまあ、そんな悲しそうな顔をしないでください。え? こんな足でよかったら、どうぞ。撫でて下さって、有難うね。僕はいい子だねぇ。足が治ったら、私も前みたいにまた外に出て趣味だったゲートボールでもやりたいねぇ。


 良かったら、お昼食べて行かれますか? お嫁さんが用意しちゃってね。まあ、僕はお腹が空いていたのね。大きな腹の音聞いて、思わず笑っちゃってごめんなさいね。孫たちも家を出たんで、賑やかな食事をするのは大歓迎ですよ。


 さあ、片付けてませんが居間の方にどうぞ。若い人たちの口に合うと良いんですけど。え? 好き嫌いはない? そうですか、じゃあたくさん食べて下さいね。息子と嫁が後を継いで畑で作った新鮮な野菜なら沢山ありますから。


 そういえば、どうしてトシノリさんの話なんか今更? 知っている人は、もうほとんどいませんのに。あら、詮索は良くないわね。お腹の音が賑やかだし、お昼ご飯をどうぞ。

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