発作的決断

 あーこが引っ越したのは8月末。

 年内最後の競技会は10月初めだから、実質1ヶ月ちょっとしかない。

 クラブの環境にも慣らさなくちゃならないし、いきなり競技会ってそんな馬鹿な! と、誰もが呆れたことでしょう。

 突拍子もない挑戦だ! と、インストラクターもびっくりでしょう。

 でも、インストラクターのエントリーで出てもらうことにしてしまいました。


 確かに、発作的に急に思い立ったのです。

 もちろん、シェルがあの調子でもう競技には出られない……という寂しさから、気分転換したい、何か明るい希望を見たい、という願いもありました。

 オーナーのわがままな思いつきと思われても仕方がありません。

 でも、あーこはものすごく早く新しい環境に馴染んだし、元々、出られるチャンスがあれば、私は無理でも誰か上手な人に乗って出てもらいたいな、とは思っていました。その準備は、してきたつもりです。

 ただ、私の今の実力では、ちょっと無理かな? とわかっています。

 シェルが故障して以来、まともに馬に乗れていないし、私自身も左肩を傷めてバランスが崩れた乗り方になっていて、駈歩ができない状態になっています。

 でも、今後、競技にチャレンジするかどうかはわかりませんが、あーこに経験だけは積ませておきたい、それには、早い方がいい、と思いました。

 あーこはもう13歳で、乗馬としては一番いい年齢、これから先は新しいことにチャレンジしていくには、年齢を重ねすぎているかな? とも思いました。

 何よりも、あーこができる馬だということを、世に知らしめたいという野望がありました。


 ボロボロになった可哀想な引退競走馬を、心優しい女性が引き取って大事にしています……という美談は、私には全然似合いません。

 どんなに心優しい人間でも全ての可哀想な馬を救うことはできないですし、一瞬救ったとしても一生救わないと意味がないと思うのです。


 引退競走馬がリトレーニングされて乗馬クラブに行った結果、使いまくられてボロボロになった馬がトコロテンのように押し出され、屠場に行ってしまう。

 あーこは、そのトコロテンのように押し出されそうになった1頭なのです。

「だめだ、あの馬」と言われて、本当にダメな馬もいますけれど、あーこは違った、環境が悪くてダメになってしまっただけの、才能溢れる馬なのです。

 世の中には、環境に恵まれず、自分の能力を発揮できないままに、こき使われて処分されてしまう馬がたくさんいる。

 噛む馬だ、蹴る馬だ、うるさい馬だ、と嫌がられ、中には、あんな危険な馬、肉になっちまえばいい、なんて、冗談、時々、本気で言われる馬たちが。

 馬は、人の扱い次第で変わるんだよ。

 私が声高々にそう訴えても、誰も耳をかさないでしょう。

 馬に関する主張は、馬が証明しなければなりません。


 だから、私は、あーこを競技会デビューさせることにしました。

 あーこ自身が競技に出て、自分の能力を世に知らしめる、それが私の願いなのです。


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