後ろ髪を引かれる
相変わらず、時々右手前がうちに刺さってくるものの、あーこの調子は徐々に良くなっていきました。
やはり、蹄の温存が大事だな、と思い、後に引き続き、前も同じスクートブーツに切り替えました。
今まで使っていた靴でも良かったのですが、雨上がりの硬く締まった馬場で、あーこがつまずいて膝を突き、私がころんと落馬したことから、やっぱりいるよな、となりました。
運動が終わったら放牧です。
ですが、あーこは以前のように全力疾走で仲間の元に走っていくことは無くなりました。速歩や常歩で、チンタラチンタラ……放牧に行くよりも、むしろ、私たちとの散歩を好みました。
おそらく放牧場にはもうそれほど美味しい草は残っておらず、私たちと散歩した方が豊富な草にありつけるからなのでしょう。
でも、流石に、私たちが帰る頃になると、遠くからその様子をじっと見つめているあーこの姿に、後ろ髪を引かれるような思いがしました。
そんなの、人間の都合のいい勝手な解釈だよ。
馬は、自由にのびのびと、草原を駈け回るのが幸せに決まっている。
と思う人がいると思います。
でも、それこそ、人間の都合のいい解釈なのではないでしょうか?
馬がのびのびと駈け回る時は、狭い馬房から解放された時か、怖いものから逃げる時か、あとは仲間につられた時くらいです。
仲間と遊ぶのに走り回ることもありますが、相当気分が高揚している時ぐらいで、普段はのんびりと草を食んでいるのが一般的です。
意外と退屈が嫌いだったりして、仲間にちょっかいをかける個体がいたりもします。
生まれ落ちた時から、人の中で生きていくことを教わって育った馬たちは、人と一緒に過ごすことを好み、人から離れるのを寂しがります。
そういう生き方を馬に強いてきた人間が悪い、かわいそうだ、という人もいるかもしれません。
でも、そうして人間と共に生きてきたからこそ、馬という種は絶滅を免れた、おそらく、野生のままではもうこの世に存在しない動物だったと思います。
多くの人が知っている馬、憧れる馬の姿は、乗馬であったり、競走馬であったり、馬車馬だったりと、人と共に生きている姿であって、シマウマやヌーのような野生動物ではないはずです。
私が、どうしてそう思うようになったのか?
それは、あーこが帰りがけの私を目で追って訴えているからです。
まるで捨てられた子犬のように、じーっと見つめてくる。
時には、ぶぶぶ、ぼぼぼ……と声を上げる。
これで後ろ髪引かれることもなく、何も感じず、イヤイヤ気のせい、馬は放牧されているのが一番幸せなんだから、と思える人は、まずいない。
たまに来て、苦しい腹帯を締め上げて、ドスンと乗って、走れと命令する。
これだけの辛いことばかりさせている相手に、なぜ、もっと一緒にいたいと願うのだろう?
この驚くべき馬の寛容に気がついたら、もう裏切れないと思ってしまう。
そうして、大勢の馬乗りたちが、馬の深みにどっぷりとハマり、抜け出せないでいるのでしょうね。
往復の時間を考えて、チャチャっと帰ってしまうこと。
出かける前は気が重たく、無事に帰るとホッとして、次に行く日を考えては憂鬱になる。そんな自分が、あーこに申し訳なく感じてきました。
かなり昔ですが、乗馬雑誌に書かれていたあるトレーナーのお話を思い出しました。
馬を3日間放置する。
1日目は自由を謳歌して好き勝手している。
2日目は徐々に退屈を感じ始める。
3日目には「何かやることはないのか?」と訴えてくる。
それを読んで、そんな馬鹿な! と、当時は思いました。
私は乗馬をしていて、いつもキリキリした馬に手を焼いていて、振り回されっぱなしだったからです。
しかも、そのトレーナーはかなり変わった人だったらしく、真偽のほどはわかりませんが、面白い逸話を聞いたことがあります。
調教がうまくいかない馬がいて悩んでいた時、そうだ、お参りしよう、と思い立ち、神社に行ってお札をもらい、馬房に貼り付けたところ……うまく行ったんだよなぁ、と大真面目に語ったのだとか。
その話をまた聞きした当時のインストラクターが、一流の人ってのはよくわからないことを言う、と教えてくれたのです。
神頼みでうまく行くのなら、誰も馬で悩みませんよね。
そうか、変わった人なんだなぁ、と、そこで納得したものです。
でも、今となっては、少しわかるような気がします。
調教がうまくいかず、自分のやり方や方法に迷いが生じた時、何をやってもダメなものです。おそらく自信のなさが、馬に伝わってしまうのだと。
神に祈って心を清らかにし、お札を貼って、これでうまく行く、と信じたことで、おそらくうまく行ったのでしょう。
そのようにメンタルを前向きに持っていくこと、自信を持って馬と接することが、とても大事だと知った今は、すごい人なんだな、と感じるのです。
そして、この「馬を3日間放置する」という話が、放牧生活に飽きたかのように見えるあーこに重なってきたのです。
さらに、この当時はナチュラルホースマンシップという言葉は日本のどこにもなかったと思うのですが、まさに馬の意志で調教を進めようとするところが重なると感じました。
ナチュラルホースマンシップは、決して新しい考え方ではなく、過去の優れたトレーナーも自然と身につけていた考え方だ、という話を読んだことがありますが、この当時は変わり者と言われたトレーナーもそういう人だったのかも知れません。
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