第62話 居場所
「収録どうだった?」
「インタビューは昨日で終わりです。一時間の特集だけあって、疲れました。」
「だよな。せっかくの合宿だってのに。涼香もシャンペリー行くんだろ?」
「はい。向こうに着いたら、写真送りますね。」
オフシーズンに入り、しばらくは練習に没頭できるのと思ったのも束の間、ジャンパーを中心に纏めた特番の撮影など、むしろ多忙な日々を送っていた。
打ち合わせと収録を終えた詩音さんとメールを交わし、電車の到着を知らせるアナウンスでスマホを鞄に仕舞う。
私もコロラドスプリングスでの様子は、ライデンさんのSNSに上がっていたから少し見させてもらった。
(本人の更新頻度が遅いせいか、チームメイトのアカウントを見た方が早い。)
(…ちょっとだけ、羨ましいな)
海外への移籍の話は受けたけれど、それは高校を卒業した時に改めて考えることにしたから。
理由は、七海のためともう一つ。
駅舎を抜け、歩いてすぐのこの学校にあった。
「すずっちおはよー。」
新学期になってもスポーツコースのメンバーにクラス替えはない。
顔馴染みの同級生たちに「おはよう」と声をかける。
「結衣ちゃんは朝練?」
「そうなの。だから超眠い。」
瞼を擦り、朝ご飯代わりのおにぎりを頬張るのは、新体操選手の結依ちゃん。
「また授業中寝る気でしょ。」
「成績落ちても知らないわよ」と長い髪をゴムで束ねて窘めるのは、結依ちゃんと同じチームに所属している瑞稀ちゃんだ。
「すずっちにノート見せてもらうし。」
「そうやって人にすぐ頼らないの。」
「ノートぐらいなら構わないよ。」
「流石、瑞稀と違って優しいね~。」
「とにかく涼香もこれ以上甘やかさないで!」
喧嘩するほど仲が良いとは、このことなのか。
ノートならいつも七海にお願いされるし、一人も二人も変わらない。
(…というか、私の方が授業受けてないんだけど)
「…もうすぐホームルーム始まるし、席に着いた方がいいんじゃない?」
担任の先生が入ると話も打ち止めになり、各々が着席する。
ホームルームで伝えられた軽い連絡事項を教科書の用意をしながら聞いていると、最後に名前を呼ばれた。
「このあいだ出してくれた欠席届、サインしておいたよ。後で取りに来てね。」
「わかりました。」
試合などで休む場合、欠席届が必要になる。
通常のコースに比べれば少ない単位で進級できる反面、文化祭や体育祭といった行事にはあまり参加できない。
それでも、こうした友人との憩いは貴重な時間。
「海外で合宿!?」
「ちょっと、遊びに行く訳じゃないのよ。」
「じゃあ瑞稀はお土産いらないの?」
「…そうとは言ってない。」
結衣ちゃんの驚きを嗅ぎつけた他のクラスメイトたちの視線。
スポーツ選手なら別に珍しいものでもないのに、興味深々といった様子だ。
「皆に配れるようにお菓子でも買ってくるから、楽しみにしてて。」
普通の高校生からしたら不思議に思うかもしれないが、ここが私の居場所であることは確かだった。
「細かいとこだけ確認して、一回通すぞ。」
学校が終わればそのままリンクへ。
一般客のいないクラブの貸切営業は、曲がかかっている子を優先するルール。
自分の番になると中央を譲ってもらう。
木枯らしが吹きすさぶような風の音に寄り添うヴァイオリンの調べが流れるこの曲は、今シーズンのフリー『Art on ice』
かつて、「皇帝」とも呼ばれたロシアの男子選手がアレンジを加え、『ニジンスキーに捧ぐ』というタイトルで当時の芸術評価(旧採点とも言われる2004年まで使われていた方式。審査員九人が技術点と芸術をそれぞれ六点の手持ちで評価する。)
で満点を叩き出した伝説のプログラムだ。
「アクセルの踏み切り前につなぎが欲しいな。」
ジャンプの前後に工夫があるとGOEでも加点される。
音楽との協調性、世界選手権でナディアに私が勝てなかった要因にもあると分析した。
「じゃあ、トウループのところから。」
今まで伊吹先生はあくまで特別講師の位置付けだったのだが、この春クラブの理事と契約を結び、正式に指導者の一員として迎えられた。
以来、ほぼ私の専属コーチだ。
クラブのメンバーは小中学生、ノービスやジュニアのスケーターばかり。(週に二回、近所の大学のスケート部の選手も来るけど)
同い年の子は受験を機にほとんどが辞めてしまった。
そのせいか、リンクにいる間は伊吹先生と話していることが多い。
(…狭い)
四回転ジャンプは幅を取るし、小さい子にぶつかるといけないので、中々場所が見つからない。
本音を言えば、他の四回転やセカンドループの練習もしたいし。
「ジャンプは俺は教えられないし、合宿で聞くか。」
現状を察した伊吹先生が現役時代お世話になったコーチに掛け合って、十日間の合宿はショートプログラムの振り付けのついでに、ハーネスを使ったジャンプトレーニングもさせてくれる。
「次はステップ。フリーは今日で仕上げるからな。」
「はい。」
(追いついてみせますよ、詩音さん)
返事に呼応するように、エッジを運ぶ。
ふと先日のインタビューを思い出した。
きっと、私と彼がこれからの日本のフィギュアを創っていく。
世界選手権で染みた悔しさが原動力。
スケート人生でここまで純粋に「上手くなりたい」と志したのは初めてだった。
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