第61話 時代の幕開け
リンクのショーサイドに設置されたカメラ。
合宿に参加している世界各地の選手を取材するため、報道陣が駆けつけていた。
ズームが追う先は、俺の新しいフリーのプログラム『A Beautiful storm』
ニコラから送ってもらった動画を参考に、エミールが他の生徒を指導している間を縫って、自分で振り入れを進める。
「抽象的なテーマにチャレンジしてみないか?」
まるで、天変地異でも起こりそうな激しい雷鳴のゴングとピアノのアルペジオ。
ニコラに提案された候補の中、俺の目を惹いたのは「地球の誕生」と称したこの曲だった。
「コロラドに来て一週間、合宿はどうですか?」
「練習はきついですけど、色々な選手から刺激を貰えるいい環境だと感じてます。」
そして、ラウンジを借りてでのインタビュー。
記者のマイクに向かって、質問に答える。
「先ほども四回転ルッツとフリップを見せてくれました。五種類の四回転を組み込む構成は日本人初の試みということになりますが。」
「はい。やっぱり自分の武器はジャンプなので、そこは負けるつもりはありません。」
(…あいつも明後日からシャンペリーに行くって言ってたな。)
今回の取材は全ての日本選手が撮られている訳ではない。
『フィギュア新時代 ジャンパーの挑戦』というタイトルの特集で、対象者は俺ともう一人。
明後日からスイスでの合宿を控えている涼香。
彼女もまた、国別対抗戦で見せた四回転ジャンプを本格的に導入するそうだ。
(既にトウループを成功させた動画がSNSに上がっている。)
「最近ではロシアをはじめ、日本でも柊木選手を筆頭に女子の四回転が浸透しつつありますが、綾瀬選手の意見を聞かせてもらえますか?」
「彼女たちはジャンプだけじゃなくて、演技全体の完成度も高いんです。…それに四回転が加わるってなると、もし俺が女子だったら勝てないですね。」
率直な意見に「ありがとうございます」と記者がはにかみを零す。
レポーターとは昨シーズンの試合で何度も会っているので、こちらとしても気が楽で助かった。
「では、シニア2年目として挑む今シーズンの目標をお願いします。」
テロップに去年と同様に、目標を書く。
『グランプリファイナルへの進出』そして、『全日本優勝』だ。
「全日本選手権での優勝とは、大きくきましたね。」
オリンピックや世界選手権での派遣要項は、つい先日スケート連盟から発表された。
出場枠はどれだけ強豪国であっても最大三つまで。
年末での全日本の順位と、シーズン前半や過去の試合の実績やシーズンベストを加味して選考を行う。
全日本で優勝すれば一発内定。
仮にできなくても、グランプリファイナルで表彰台に乗っていれば可能性は硬くなる。
朔都さんが引退し、男子の力は均衡状態。
俺よりPCSを稼ぎ、パーソナルベストが近いのは正弘さんと晴樹。
それに、3月の世界ジュニアで銅メダルを獲得した新もシニアに移行するし、拓也も四回転の種類を増やすと話していた。
この中で勝ち抜くには技術点で差をつける必要がある。
ただ本数を増やすだけでなく、トリプルアクセルを含むシークエンスやサードフリップといったコンビネーションも取り入れるつもりだ。
「プログラムもまた去年とは違った表現の難しさがあって。でもこれを完成させることで、自然とオリンピックが見えてくるんじゃないかと思っています。」
「別にもっと簡単な曲でもしてもいいけどな。」と挑発してきたニコラは、俺の扱いをよくわかっている。
だが、地球の誕生という漠然とした主題を持つ『A Beautiful storm』のイメージが湧いてないのも事実。
「取材は以上となります。お疲れ様でした。」
その合図でカメラが暗転し、繕っていた表情を崩す。
シニアに移って一年が経ち、こうしたインタビューにも慣れてきた実感がある。
特に最後の質問は、自分でも落ち着いて答えられた。
(練習は、流石にできないか)
取材が終わった頃にはリンクの営業時間を過ぎてしまい、諦めて帰宅しようとライデンと合流する。
支度を整えて自動ドアを潜ると、機材を乗せた軽トラックが撤収を始めていた。
「メディアには慣れたか?」
「インタビューはそれなりに。…記者会見は得意になれる気がしない。」
俺はそこまで緊張しやすいという訳ではないけれど、カメラが焚くフラッシュのプレカンは未だに苦手だったりする。
別の場所で取材を受けていたライデンは生まれつき目立つのが好きなのもあるだろうが、全く緊張した様子はない。
「ナショナルで優勝宣言なんて、色んな奴を敵に回すぞ。」
「…つい本音が。」
確かに、目標で示した宣言は周りの選手に火を点けてしまったに違いなかった。
拓也辺りから来るであろう反応を思うと、胃が痛い。
「建前で思ってもないこと言われるよりは、それぐらいはっきりしてくれた方が俺は面白いけどな。」
(…面白いって)
他人事なのを棚に上げて、笑い飛ばすライデンを肘で小突く。
トップというのは、このぐらい肝が座っていた方がいいのだろうか。
「おかえりなさい。遅かったわね。」
家に着くと、「テレビの収録が長引いたのかしら?」と沙織さんが問う。
「明日はオフだし、二人でどこか遊びに行ったら?」
エミールが「リフレッシュも大事だからな」と用意してくれた明日の休暇の予定は、まだ決めていない。
「コロラドはリゾート地としても人気だし、楽しめると思うわ。」
「そうだな。久しぶりに俺も行きたいところがある。」
行き先を尋ねても「明日のお楽しみだ。朝は早くなるから、シャワー浴びたらすぐに寝ろよ。」などとはぐらかされてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます