第59話 コロラドスプリングス

バンクーバーからデンバーで乗り継ぎ、約五時間のフライト。

南北に貫くロッキー山脈を中心に澄んだ空気と青空が広がる。

自然豊かな街並みや過ごしやすい気候は、アメリカの中でも高い人気を誇っているらしい。


「シオン、こっち向け。」


風景を撮っていると不意にシャッターを向けられた。

SNS用の写真は、一応俺も報告がてらに上げるようにしている。

ただ周りには「業務連絡じゃないんだから」と指摘をくらい、以来こうしたオフショットを狙われるのだ。

ライデンのスマホでツーショットを撮って、空港のターミナル発のタクシーで移動する。


「…サブリンクまであるのか。」


「一昨年の四大陸の会場にもなったからな。」


『ブロードモア ワールドアイスアリーナ』は常設のリンクはもちろん、あらゆるレッスンのための機材と専門のインストラクターが在住。

合宿のスケジュールにもバレエやダンスの割り振りがあった。


「よく来たな。」


アリーナに入ると多数の生徒の間を縫い、一人の男性が出迎えてくれた。


「ライデンから話は聞いている。よろしく、シオン。」


「こちらこそよろしくお願いします。」


「早速だが、スケート靴に履き替えてくれ。」と奥のスペースに促される。

大量のCDを敷き詰めたラック。

エミールはそこから何枚か取り出し、机に並べた。


「フリーはピアノ曲だろ?なら、アクション物にした方がいいか。似通ったジャンルだと見てる方もつまらないし。」


タブレット端末の再生ボタンを押し、流れたのはスパイ映画『007』のサウンドトラック。

任務を遂行すべく、世界中を飛び回る『ジェームズ・ボンド』を描いたストーリー。

ガンアクションシーンの曲はユーモアを随所に感じられた。


「まずは一度やってみせるから。」


(…これを滑るのか)


エミールの動きを目で追っているだけでもわかる。

一切の暇もない足さばき。

ショートプログラムは2分40秒。

その間は動きっぱなしという訳だ。




「大丈夫か?」


「…きつかった。」


「初日であれだけ付いていけるなら、後は慣れだ。」


その日の練習はひたすら振り付けを頭に叩き込む作業に費やされた。

全身から悲鳴を上げる筋肉痛。

高地は空気が薄く、疲れやすいのもあるだろうか。

ほぼ同じ内容をこなしているはずなのに、ライデンはけろりとした表情で俺の首筋に冷えたペットボトルを当てる。

まずは体力を強化しないと話にならない。


「家はすぐそこだから。」


リンクを出てキャリーバッグを引きずってたどり着いた先。

白い外壁を囲む鉄製の門。

数台の車が入るガレージにオープンテラス。

まるでドラマの世界のような邸宅。

ライデン曰く「ティナに比べたら普通の家」らしいのだが、やはり海外はスケールが違う。

お手伝いさんを雇っている本物のお嬢様と比較してはいけない気もするが。


「ただいま、ジャック。」


玄関のドアを開けるとクリーム色のラブラドールレトリバーが駆け寄って来る。

『ジャック』と呼ばれた犬を撫でてみると、人懐っこいのか、尻尾を立たせて俺に飛び乗った。


「詩音くんに会えて嬉しそうね。」


 リビングから姿を現した女性がライデンの母の沙織さんだ。


「お世話になります。」


「いつもテレビで見てるわ。まだ高校生なのに海外なんて大変でしょ?」


「汗かいてるし、二人ともシャワー浴びておいで。ご飯もすぐ用意するから。」と簡単に挨拶が済み、二階に通された。

ゲストルームというこれまた聞き慣れない場所は自由に使っていいそうで、ベットや棚が揃っている。


「ママはシオンのファンなんだよ。今日やっと来るって聞いて、ずっとあんな調子だ。」


シャワーを浴びて、ほっと息をつく。

沙織さんは夕食も俺に合わせて日本食を用意してくれたり、クールダウンを教えてもらったり(まだ沙織さんが日本でスケートを習っていた時に実践していたもの)と至れり尽くせりだ。

上機嫌な母親に苦笑いを零すライデン。

自分より年上であまり意識はしないが、彼もまだ大学生。

身内を相手にするとより、本来の性格が出るのだろう。


「相変わらず細いな。ちゃんと食ってるか?シオンは放っておくと痩せてくだけなんだから。」


「…あの時は本当に悪かったって。」


世界選手権前に無理が祟って倒れて以来、ニコラも体調に過保護というか、神経質になってしまった。

悪いのはどう考えても俺なので、致し方ない。

ストレッチをしながら、小言に大人しく頷く。


「ほら、横になれ。マッサージしてやるよ。」


ジャンプやスピンで一定の方向ばかりに回転していると、健康な人でも骨盤に歪みが生じてしまう。

そこでマッサージを施すことで、軸を修正する。

ヨガマットを敷いて、身体を倒す。

足の裏とふくらはぎ。

揉まれた箇所はスケーターにとっても負担がかかりやすい。

次第に余計な力が抜けるような心地良さに、感覚を預けた。


「陸トレも続けてるみたいだな。」


去年のグランプリファイナルで見つけたスタミナ面の課題。

持久力を養うため、取り入れた陸上トレーニング。

その理由は、フリーで四回転五本構成を予定していることにあった。

「偉いぞ」と髪を撫でるライデンの手を捌ける。

高三に進級して、誕生日を迎えると法律上では成人だというのに、いつまで経っても子供扱いなのは変わらない。


「…もうそんな年じゃないって。」


「すぐムキになるところがまだまだガキだな。」


「…うっ」


痛いところを突かれ、思わず声を漏らす。

結局、いつも通りにからかわれっぱなしなのか。

途方に暮れる俺とは対称的に、ライデンは楽しそうだった。







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