オリンピックシーズン編

第58話 スタートライン

五月になり、本格的にオフシーズンに突入。

連盟からの強化選手の発表もあり(特別強化選手、強化選手AとB、三つの区分に分かれる)海外試合への派遣も決まり始めていた。

審査の基準は全日本の成績とベストスコア。

特別強化選手ならほぼ確実にグランプリシリーズに二試合出場できる。

(他にも資金援助や専用のリンクが使用できる)

さらに、世界選手権で6位以内に入っていれば、アサインの優先権が与えられる。


「大分安定してきたな。」


今練習しているのは二種類の四回転。

右足のトウを突き、左足のエッジを外側に傾けるのがルッツ。

反対に、内側に傾けるのがフリップ。

ハーネスを外してから遡都さんが選んでくれたブレードも相まって、成功率も上がってきた。


「ルッツはライデンより上手なんじゃない?」


そう褒めるティナもトリプルアクセルの習得に励んでいる。

ロシアを筆頭に進む女子の進化。

難しいエレメンツをこなしながらも、演技全体の完成度も求められる。

以前のように、どちらかができていれば勝てることはなくなってしまった。


「もしかして、ループの方が難しい?」


「確かに、コントロールがしづらいかも。」


トウ系のジャンプは助走のスピードを勢いに変えやすい。

基礎点では劣るが、四回転に限れば実はループの方が難しいと言われているぐらいだ。

俺は元々ジャンプにあまり苦手意識はない。

それに、ルッツに関しては身近に手本となる人物がいる。


「…今のって」


俺の横を豪快に身を投げた影。

前向きに飛び上がって四回転半。

練習中のリンクメイトでさえ、行く末を見守っている。

湧き起こった歓声に影の主は笑って応えた。


「初成功か?」


「ああ。もう何回飛んだかわかんねー。」


幾度となく転倒を繰り返し、やっと掴んだ手がかり。

ライデンがそこまでして四回転アクセルという大技を欲するのは、本気で頂点を狙っているから。

世界選手権で悔しさを味わったのは俺だけじゃない。

来たるオリンピックシーズン。

彼が追われる立場になるのも時間の問題だ。


✻     ✻    ✻    ✻


「また明日ね。」


「お疲れ。」


リンクの営業終了のアナウンスで引き上げて、ロッカールームで着替える。

いつもならそのまま帰宅しているのだけど、今日はニコラに残るようにと言付けられていた。

先にドアを出るティナを見送ってから、同じく呼ばれたライデンと共にロビーの椅子に腰掛ける。


「わざわざ残ってもらった理由はこれだ。」


「…合宿について。」


例年春から夏にかけて、フィギュアスケートでも各地で合宿が行われる。

連盟が主催する(ノービスの野辺山合宿などが当てはまる)ものやクラブ単位で実施するものなどがある。

今回の目的は、新しいショートプログラムの制作。(フリーの振り付けは去年に続いてニコラがやってくれる)

映画音楽を得意とする振付師『エミール・バレット』にお願いして、三週間程アメリカのコロラドスプリングスに滞在する予定だ。


「俺もジュニアの合宿に講師として呼ばれてて、しばらくこっちは空けることになるし、ちょうどいいと思ってな。」


有名なコーチは国内外問わず講師の依頼が来る。

特にニコラのスケーティング指導は評判が良いと聞いた。


「泊まる場所とかって、どうすれば」


「そこは心配するな。」


三週間ともなれば、費用もそれなりにかかる。

長期で安く泊まれるホテルを捜そうとする俺を「家に泊まればいいだろ」とライデンが提案する。

彼の実家がコロラドのリンクに近く、幼い頃からエミールのところにもよく通っていたという。


「じゃあ、決まりだな。」


とんとん拍子に話が進むにつれ、次のステップへと上がる好奇心が膨らむ。

四年に一度の舞台に向かって。

スターラインを飛び出したかのように、俺は期待に胸を躍らせていた。












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