第57話 受け継ぐバトン
エキシビションとクロージングバンケットの翌日、俺は朔都さんに「用事がなければ俺と出かけないか?」と誘いを受けていた。
元々今月末のアイスショーまでは日本に滞在するつもりだったから、急いでカナダに戻る必要もない。
それにオフシーズンに入ったこともあって、ほとんどのメンバーが日本を観光する予定だったようだ。
(女子はスカイツリー、男子は浅草に行っているらしい)
帰ってきたらティナに「ずるい!」と不満を言われそうだし、何かお土産でも買っておこう。
「詩音、準備できたか?」
「はい。大丈夫です。」
有名人ということで遡都さんは変装代わりに眼鏡を装着している。
(度は入っていない)
彼はともかく、俺は別に問題ないと思うのだが、ニコラが「パパラッチにでも遭ったらどうする」とわざわざキャップを貸してくれた。
泊まっていたオフィシャルホテルのロビーで待ち合わせて、会場最寄りの千駄ヶ谷駅へと向かう。
三十分ほど電車に揺られ、到着した先はスケート用品専門店だった。
「靴買い替えたいって言ってただろ?俺からのプレゼント。国別の礼と思って、遠慮せず受け取れ。」
中に入るとフィギュアの他に、アイスホッケー用からスピードスケート用の靴。
練習のウェアやインナーまで揃っていた。
「珍しいな。遡都くんが人を連れてくるなんて。」
常連客なのか、砕けた口調で話す店員。
朔都さん曰く「柿木さんには高校の頃から世話になってるんだ。」と紹介した。
「最近の靴は結構軽くなってて、今じゃ両足でも2キロ切ってるんだよね。」
昔は外側を皮、底は木で作られていて、今よりも一キロぐらい重かった。
近年はグラスファイバーというガラス繊維を樹脂を用いることで、大分軽量化に成功したそう。
スケート靴の色は女子なら白かベージュ、男子なら黒が一般的で値段もピンキリ。(初心者用で2万、選手が使う物なら10万を超え、これにブレード代が加わる。)
柿木さんに足型を取ってもらい、サンプル品でサイズを確認する。
オーダーメイドとなるとやはりフィット感が違う。
本体が決まれば、次はエッジの選択だ。
「ブレードも結構種類あるけど、おすすめはこれ。ジャンパー向けに氷が掴みやすいし、硬くて壊れにくいんだよ。」
ジャンプが飛びやすいようにトウピックを大きくしたり、スピンがしやすくカーブを深くしたりなど、ブレードの種類も様々だ。
朔都さんが勧めたのは耐久性に優れたモデル。
靴は半年で寿命が来てしまうが、エッジの場合きちんとメンテナンスをすれば数年は持つ。
四回転ジャンプは足にかかる負担もかなりあるので、丈夫に越したことはない。
「せっかくだし、特注カラーはどう?」
柿木さんが用意してくれた色の見本。
主流のシルバー以外のゴールドやピンク。
一際俺の目を引いたのはそれらとは異なる輝きを放つ漆黒のブレードだった。
「俺とお揃いだな。」
遡都さんのエッジには印字が刻まれていて、かなり拘りがあるらしい。
納品にはしばらく時間が必要ということで、今日は住所と電話番号の登録だけを済ませ、店を後にした。
「これからどうするんですか?」
引退した選手の多くは大学卒業と同時に一般企業に就職。
世界選手権やオリンピックで実績を残したトップ選手はプロスケーターへ転向(アイスショーを中心に活躍する。解説やイベントの出演などもある。)
あるいは、ニコラのように指導者になるか。
「しばらくはショーであちこち回るし、その前にCM撮影も残ってるんだよな。詩音もあるんだろ?」
「新商品のレビューですね。…また晴樹たちに弄られるのか。」
去年から契約したスポンサーはスポーツメーカーということで、トレーナーさんをはじめ、手厚くサポートをしてくれる。
なので撮影の依頼を断る訳にもいかず、CMやイベントも何本かこなしたのだが、一向に慣れない。
というか、新しいのが放送されると真っ先に拓也と晴樹に弄られるのが原因だ。
今月はまだショーも控えているし、正直早くホームリンクに帰って練習したい。
「若いうちはつい目先のことに集中しがちだけど、引退した後の人生の方が長いんだ。色々やっといて損はないぞ。それが案外将来にも繋がったりするから。」
人生の単位で考えれば、選手を退いた後の方が大半を占める。
朔都さんが現役に固執しなかった理由。
「いつかリンクを建てて、アカデミーを開きたい」と既に描いていたセカンドキャリア。
「詩音はどうなんだ?」
「俺は、今はオリンピックの代表になることぐらいで。」
「じゃあ、スケート以外で。例えば恋愛トークとか。」
突拍子もない質問に思わずたじろぐ。
俺の反応が面白かったのか、朔都さんは「気になる女子の一人ぐらいいるよな。」と催促する始末だ。
「…気になる女子って言われても。」
「えー。俺はてっきりあの子が好きなんだと。」
「…いや、あいつとは別にそういう訳じゃ」
「まだ誰とは言ってねーよ。照れてるってことは図星だな。」
意味ありげな視線をよこし、からかう調子で笑う。
誰かを具体的に明言せず、濁してるあたりが余計にいじらしい。
危うく口走りそうになった言葉を過り、内心冷や汗をかいた。
火照る頬を押さえ、話を逸らす。
「そう拗ねるなよ。美味い飯連れてってやるから。」
朔都さんに手を引かれ、駅までの道を急ぐ。
まるで重圧から解き放たれたように、彼の表情は眩しかった。
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