第56話 チームジャパン
国別対抗戦はシングルで順調に成績を残しつつ、ペアでポイントを稼げたこともあり、現在日本は3位。
中でも古代インドを描いたバレエ『ラ・バヤデール』に乗せて、ダイナミックな舞台を披露した寧々さんと彰さんの演技は好評だった。
愛した巫女との約束を破り、王女との結婚式を上げようとした戦士は神からの罰を受ける。
式場に降り注ぐ雷鳴。
王女の計らいで殺された巫女は幻影となり、戦士を自分と同じ天国へと導く。
「彰はすごいってこと、私が証明してあげる。」
遡都さんと同い年で、ペア選手として競技を続けながらも結果を残せず、「辞めようと思ってた。」とまで考えた彰さんを引き留めたのがその一言だった。
もし運命の出会いとやらがあるとすれば、この二人を指すのではないだろうか。
ゼロから築いてきた信頼関係は、揃ったサイドバイサイドのシークエンスやリフトなど、技の一つ一つに現れる。
「今度は僕が寧々ちゃんを世界一にしたい。」
「…恥ずかしいから本人には内緒だよ。」と口止めされてしまったが、チームジャパンのキャプテンとして励む彼の想いはきっと寧々さんにも伝わっている。
そして、大会三日目が男女フリースケーティング。
リンクサイドでは十一番滑走の涼香が待機していた。
「ガンバー!」
既に演技を終えていた理沙さんも加わって応援する。
(SAYURIも見納めか)
笛の音に助走を取るところまではいつもと変わらない。
だが、トリプルアクセルならそろそろ前に向き直るはずが、バックスケーティングのままタイミングを伺っている。
俺の頭に過った6分間練習の光景。
やけにトウループの確認をしていた理由が明らかになる。
「…アクセルじゃ、ない?」
彰さんが目を見開いたと同時に、涼香は左足のトウで勢いよく踏み切った。
「…四回転トーループ」
「回転も足りてる。」
「やってくれたね涼香!」
惜しくも堪えずステップアウトにはなってしまったけれど、四回転に不足はなかったから、認定はされるはず。
冒頭にミスがあっても二本のトリプルアクセルはしっかりきめ、最終的な結果もコマロフスキーに次ぐ得点を出し、チームジャパンを2位にまで押し上げた。
「…驚かせやがって。」
「ファイナルのお返しです。」
キスクラでそう言う彼女に、理沙さんが花冠を被せる。
俺がグランプリファイナルでやったことはあくまでリカバリー。
メディアでも明かしていなかった新技を披露するのとは訳が違う。
この後のインタビューで質問攻めに遭うのは確定だ。
(…あれ、やってみるか)
練習では何度か成功しているけれど、まだ本番では試していなかったことがある。
こっそりニコラに相談を持ち掛けると二つ返事で了承してくれた。
「泣いても笑ってもこれがシーズン最後だ。思いっきり滑ればいい。」
フリルの付いた白ブラウスとベルベットのズボン。
昔だったら嫌がっていたかもしれない衣装も、シーズンを通してすっかり慣れてしまった。
「十番 綾瀬詩音さん 日本」
日本語と立て続けに英語で名前がコールされ、フェンスを離れる。
お馴染みのヴァイオリンの繊細で伸びやかな旋律。
最初のジャンプ、四回転ループが綺麗に流れた瞬間、自分の中で挑みたいという気持ちが強くなった。
情熱的なロンドのステップにリンクが色づき、後半の三連続。
イーグルからトリプルアクセル、着氷した足を左に繋ぐシングルオイラーを挟んで、いつもは右足のエッジも着くところをトウで蹴る。
サードジャンプの難度を上げたトリプルアクセル+シングルオイラー+トリプルフリップだ。
更に熱気が増した会場を、力を振り絞って駆け抜けた。
✻ ✻ ✻ ✻
「俺のサードフリップパクったな。」
「先にループ真似したのはそっちですよ。」
朔都さんのあまりの活躍ぶりに「美味しいところだけ奪うな」とライデンたちからも苦情が届いている。
おかげでチームジャパンが優勝できたのも事実だが。
結局はこの人には誰も敵わなかった。
でも、それは今に限った話だ。
「「せーの!」」
全員で飛び乗った表彰台の頂点。
国旗掲揚と君が代の斉唱。
八つの金メダルが氷を華やかに飾る。
両隣では2位のロシアと3位のアメリカ。
同じくメダルと花束が授与されていた。
「マイクを貸してもらえませんか?」
突然の要望に辺りがどよめく。
マイクを受け取った朔都さんが静めるように咳払いをした。
「急ではありますが、皆さんにご報告があります。」
(…言うんだな)
俺と彼の親族だけが知っている。
深呼吸を置いて、別れを告げる。
いつか訪れる引き際を。
「私、北大路遡都は今回の国別対抗戦をもちまして、現役のフィギュアスケート選手を引退することを正式に発表します。」
悲鳴に近い叫び、信じられないという表情をした選手。
いつ引退を決めたのか。
オリンピックまで続けないのか。
そんな疑問と懇願が飛び交う。
「この大会を通じてわかっていると思いますが、日本は若い才能で溢れています。これからは、そんな未来を担う彼らを応援してあげてください。本当に、ありがとうございました!」
温かい拍手が鳴り響き、王者を包む。
朔都さんは「頼んだぜ、詩音」と笑顔で振り返った。
(…確か、この辺りのはず)
衝撃のセレモニーの影響か、バックステージに帰ってもざわめきが収まらない。
コーチの先生や取材陣に囲われる朔都さんも他所に、俺はある人物を捜していた。
さっきまで関係者席に居たし、まだ会場を出てないはず。
「…鳳!」
「今さら何の用?僕は別に君の演技に興味はなかった。爺さんに言われて仕方なく来ただけだよ。」
「お前らしい理由だな。」
隅の方に佇む彼の背。
二年、いやもう三年前になる。
階段での怪我や「このままいなくなればいい」と吐かれた言葉も正直苦しかったし、散々悩まされてきた。
そこだけ切り取れば俺は鳳のことを許してはいないし、一生恨んでいたかもしれない。
でも、こいつの考えも間違っていない。
「自分が勝てば、他の誰かが傷つく」という代償から目を反らしてはいけないと気づかせてくれた。
「来てくれてありがとう。それだけ言いたかった。」
別の選手のついででも。
今までは俺の演技をちゃんと見てくれてなかったから。
客席に残ってくれただけでも十分だ。
「じゃあな」とミックスゾーンに急ぐ。
「…どれだけ僕を惨めにすれば気が済むんだよ。わざと遠ざけて、あんなことまで言って傷つけたのに。そのくせお礼なんて、…これだから天才は大嫌いだ。」
彼の呟きと零れ落ちた涙をこの時の俺は知らない。
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