第54話 新女王

女子フリー第四グループ。

銀盤の上では6人の選手が縦横無尽に駆け巡る。

彼方此方から見える高難度なジャンプは、時代の進歩を感じさせた。

練習時間終了を報せるアナウンスで、一番滑走のティナだけを残して引き上げる。


「ダヴァーイ」とロシア語の応援が木霊し、深紅の羽がリンクを彩る。

ストラヴィンスキー『火の鳥』

冒頭のジャンプは、トリプルルッツ+トリプルループのコンビネーション。

ショート同様に軽やかにきめてみせると、場面は変わり、火の鳥は悪人たちに魔法をかける。

激しい踊りには、トリプルフリップ+ダブルトーループ+ダブルループの三連続を叩き込む。

レイバックから片足を持っていくビールマン、そして蝋燭のように真っ直ぐ延びた高速のキャンドルスピン。

炎はやがて光の粒となり、火の鳥は再び眠りにつく。


得点『145.72』総合『218.37』となり、それまで1位だった雅さんを引き離す形でティナがトップに立った。


続く理沙さんは映画『シンドラーのリスト』

人種差別による大虐殺、ホロコーストから命を救った実話を描いた物語。

争いが生んだ虚しさや冷たさ。

指先にまで表れた繊細な動きは、前に見た時よりもブラッシュアップしていた。

ジャンプはダブルアクセル+トリプルトーループをはじめとし、大技はないものの確実に成功させ加点を積む。

涼香という天才が飛来するまで、守ってきた全日本女王の座。

理沙さんの内に秘めた意地がひしひしと伝わるような演技だった。

『147.23』と『220.46』

つまり、もし涼香が理沙さんより下の順位であってもオリンピック3枠を獲得したということ。(順当に繰り下がれば理沙さんが5位、雅さんが7位で13以下になる)


(…来たか)


ショートトップ3、先陣を切って登場したアルヒポワの衣装はフリルの付いた水色のワンピース。

シンドラーのリストとまるで真逆の明るい曲調は映画『オズの魔法使い』

アメリカのカンザスに住む主人公のドロシーはある日、家が竜巻に巻き込まれ、オズの国へとたどり着く。

故郷に帰る方法は、エメラルドの都の魔法使いを訪ねること。


「今のフリップだったよね?」


「…転倒はしたけど回転は足りてました。」


豪快にリンクを横切り、内側に傾けたエッジで飛び上がった四回転のフリップジャンプは僅かに歪んだ軸を修正できなかったのか、転倒してしまった。

それでも二本の四回転トーループは成功(片方はコンビネーション)させ、ストレートラインステップに入ってもスピードが落ちない。

表現面での伸びしろを考えるとまだまだ成長の余地がある。

ドロシーが出会った案山子、木こり、ライオンとそれぞれの願い。

彼らは望むものを困難を乗り越える旅路の中で、自ら手に入れる。

有名な『虹の彼方に』に乗って、最後まで笑顔で滑り切ったアルヒポワのスコアは『159.91」とトータル『237.31』と一気に首位を奪った。


「これはまた三つ巴の争いか。」


「…ファイナルでも同じ感じだったよね。」


「なんなら、去年の世界ジュニアもあの3人が表彰台だったな。」


右から正弘さん、彰さん、遡都さんの順で述べる。

去年から地位を築いてきた涼香たちの牙城を崩すような選手は、今後現れるのだろうか。


(…何か言ってる)


このグループ五番滑走のコマロフスキー、客席からだとよくわからないが、言い聞かせるかごとく口を動かしている。

すると、ショートとは別人のように、瞳に光が宿った。

ラフマニノフ作『パガニーニの主題による狂詩曲』

遡都さんによると、この曲は1917年のロシア革命により、祖国を離れることになったラフマニノフが数少ないアメリカ亡命後に作った物らしい。

親しみやすい甘美なピアノのメロディーから、コマロフスキーが飛んだのは四回転サルコウ。

着氷し、スパイラルに似たフリーレッグを高く上げた姿勢で流れる緻密な繋ぎは柔軟性がなければ難しい。


「…凄い。これが本当の実力なんだ。」


寧々さんの呟きに、思わず頷く。

トリプルアクセルを含むほぼ全てのジャンプをタノで成功させ、オーケストラとカデンツァ風の掛け合いが烈しくなると同時にスピンのポジションも変化し、はためく黄色のスカートがリンクに映える。

徐々に緩やかに回転は鎮み、シットの姿勢から起き上がると、ピアノが主題の断片を応じて演技は終わった。


『170.56』と女子フリーでは世界最高となる得点と合わせて『248.75』が出る。

会場は既に、彼女の優勝を信じているみたいにどよめきと歓声が収まらない。


「…もう優勝したみたいな雰囲気じゃん。」


「この次に滑るなんて。」


「いや、あいつはこのぐらいで折れない。」


(最終滑走は十八番だろ)


数多の大会で、ショート1位の最終滑走を経験し、その度に記録を伸ばし続けた涼香。

それに伊吹さんと話している彼女は、いつにも増して冷静だ。


「詩音がそこまで言うなら大丈夫だろ。俺たちにできるのは応援ぐらいだ。」


「ガンバー!」と遡都さんを筆頭に日本国旗を振りながら叫び出す。

名前がコールされ、伊吹さんに背中を押されて涼香がリンク中央を席巻する。

曲は映画『SAYURI』のサウンドトラック。

貧しい漁村に生まれ、9歳で身売りされた主人公の千代。

京都祇園で厳しい家事労働と先輩からのイジメに耐える日々。

そんな時に出会った電気会社長の岩村は千代にかき氷をご馳走する。

岩村の優しさに触れ、「もう一度会いたい」という願いから千代は一流の芸者となり、やがて『さゆり』の名が与えられた。


(…空気が変わった)


最難関の三回転+三回転。

トリプルアクセル+トリプルトーループがきまった途端、客席の視線が涼香に引き寄せられた。

二本目、ロッカーターンを入れた単独のトリプルアクセル。

こちらは幅と流れがあり、GOEでも大きく加点が付く出来栄えだ。


「いけるよ涼香!」


艶やかな尺八の音に、扇子を持った仕草で踊る様と翻る着物を模した衣装に施された花びらの飾りも相まって、桜吹雪を舞う芸者の情景が浮かび上がる。

伊吹さんのセンスが光る振付けは、新たな天武を呼び覚ます。

そして、基礎点が1.1倍になる後半。

四回転に対抗するべく、今シーズン組み込んだトリプルフリップ+シングルオイラー+トリプルサルコウが見事にきまった。

激動の時代の波に翻弄されながらも、強く道を切り開いていくさゆり。

たった一つの誓いのために。

涼香が交わした、友人との約束をふと重ねてしまった。

ラストのバタフライで入るフライングコンビネーションスピンはまずバトン・キャメルの姿勢、足を替えてからフリーレッグを前方に移動させるI字スピン。

まだ回転が止まらないうちに、拍手が沸き起こる。

スタオベの度合いなら、コマロフスキーと同等、もしかしたらそれ以上かもしれない。


(…どうなる)



『163.41』とフリーの得点に、ショートと合わせて『247.38』が表示される。

その差、僅か『1.37』

健闘を讃える歓声に、涼香は笑顔で手を振り返した。


「惜しかったな。」


「よくやった!」と表彰式後に、出迎えられる間を縫い、俺はそう告げる。


「…世界ジュニアの詩音さんの気持ち、今ならわかります。」


胸元に煌めく銀色。

完璧な演技を揃え、悔やむことなんてない。


「2位が一番悔しいんだなって。」


「待ってろ。すぐに追い抜いてやるから。」


溜息混じりに紡ぐ本音。

世界選手権のメダルも、全日本の制覇も彼女に先を越された。

だとしたら、チャンスが巡るのはグランプリファイナルか。


「国別こそ、皆で金を取れたらいいんですけど。」


「代表落ちすることは考えないんだな。意外と自信家か?」


「…別にそういうつもりじゃ」


「冗談だよ。むしろ、涼香が選ばれない方がおかしい。」


リラックスした不意を突き、ついからかいたくなってしまったのはここだけの秘密だ。








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