第53話 意志

昨日の男子フリーは日本勢が全員入賞、無事にオリンピック3枠を獲得。

(朔都さんの1位と詩音さんの4位を足して、5ポイント)

そして、ペアは初の銅メダルと快挙の連続。


「来年は絶対優勝する!」


朝食のカフェテリアで声高らかに宣言した寧々さんや、口には出さないけど対抗心を燃やしていた詩音さん。

彼ららしい光景は見ていてどこかほっとする。

いよいよ、今日の目玉は女子のフリー。

会場の周囲でウォーミングアップをしてから、キャリーケースを引っ張って更衣室に入る。


「やっぱりその衣装いいわね。日本らしくて可愛い。」


髪を結い上げ、メイクアップされた顔。

陽菜乃さんほど上手い訳ではないけれど、衣装を身にまとうと自然と高揚感が増す。

隣ではすらりとした手足を引き立たせるパンツスタイルを着こなしたティナ。

昔の可憐なイメージと違う、大人っぽさがよく似合っていた。


「…ナディアは大丈夫?」


誰とも話すことなく、淡々と準備を進めているのは集中したいだけなのか。

それとも、今朝の公式練習から続くジャンプの転倒に関係あるのか。


「私が出ていったことを気にしてるみたいで。…別に、何とも思ってないのに。」


次々に下の代から争いが激化するロシア。

かつて低迷を味わったティナの当時の様子を知っているからこそ、後ろめたい気持ちがある。


(…まだ時間はある)


「涼香ちゃん?」


「すぐ戻ります。」


一人更衣室を出ていったナディアを追いかけようとティナとドアを開ける。

同じグループの理沙さんに事情を説明して、バックステージを覗き始めた。

控室が並ぶ廊下、彼女の背中はその陰にいた。

うずくまった姿勢は年齢以上に幼さが垣間見える。


「…他人の心配だなんて随分余裕なのね。どうせもう勝った気でいるんでしょ。」


「ちょっと、そんな言い方」


窘めようとするティナを「いいの。私はあなたの本音が聞きたい。」と止める。

何が正しいかはわからない。

でも、逃げるだけはもう嫌だ。

彼が「正しいと思うことをすればいい」言ってくれたのだから、私が信じる道を貫く。


「私にとって、勝つことが全てだった。毎日必死で練習して、曲や振り付けだってコーチの言う通りにしてきた。…それなのに、あんなスケート見せられたら」


途切れ途切れになりながらも、語られる。

溜め込んできた叫び声が反響して、涙が滲む。


「言われたことしかできない私が馬鹿みたいじゃない!」


揺さぶられた価値観。

そんな演技に出会った時、自分の世界の狭さを知る。

トリプルアクセルに挑戦したのは、自信が欲しかったから。

誰かに認められたい。

人間の本能に近い衝動。


「言われたことだけって、全然違うよ。あれだけ難しいつなぎで、後半にルッツのコンボまでやって、素直にすごいって私は思ったけど。」


震える両手を包む。

同じ16歳で国内選手権を制した選手。

それでも、私も彼女もまだ未成年の子供であることに変わらない。


「…あなたは怖くないの?負けたら見捨てられるかもしれないのに。」


「怖くないって言ったら嘘。でも挑戦することが楽しいって、教えてくれた人がいた。たとえナディアが失敗したとしても、ここにいる選手は誰も笑わない。」


想いは届いただろうか。

虚ろな視線が起き上がり、体温が伝わる。


「私も本気で勝ちにいくから。」


そう残して、手を離すと微かに「…ア、アリガトウ。」と声が聞こえた。

詩音さんに日本語を教えてもらっているというティナに通訳してもらいながら会話していたので、本人が喋れるのは驚きだった。


「涼香、捜したぞ。」


振り向くと、息を切らした伊吹先生が呼んでいる。

更衣室から戻って来ない私を捜索していたらしい。


「もう行くね。ティナもありがとう。」


第三グループが終わるまで後僅か。

リンクインに間に合わせるには少し急ぐ必要があった。


「事情はわかったが、せめて一言ぐらい連絡しろ。」


「…すみません。」


伊吹先生には注意されてしまったけど、精神的な不安材料が消えたおかげか、心に引っかかっていた棘が抜けたように、気分が軽くなっていた。








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