第52話 王者のボレロ
二番滑走はショート5位の正弘さん。
鼻にかかったようなクラリネットのメロディーはガーシュウィン作『ラプソディー・イン・ブルー』
この曲は、オーケストラとピアノの独奏曲だが、ジャズの要素が取り入れられているのが特徴。
ピアノやミュートをはめたトランペットがソロを引き継ぎ、シンフォニックな響きを弦楽が奏でる。
クールな雰囲気を醸し出す正弘さんに対して、そのすぐ後に登場した4位のガイウスの『カルミナ・ブラーナ』は重厚的だ。
ベテランだからこそ出せるアリアの歌に負けないステップ。
四回転の本数だけなら俺の方が多く、技術点で差をつけられたおかげなのか、二人が滑り終わっても暫定1位をキープしていた。
「逆転で表彰台あるんじゃない?」
「…いや、多分次で抜かされる。」
ミハイルは電光掲示板を見上げ「また後でね」と部屋から出ていき、代わりにガイウスと正弘さんが入って来る。
残すはショートプログラムトップ3。
先に姿を現したのはロシアの『ネストロヴィチ・ジャーロフ』
一見女子ばかりが注目されがちなロシアだが、男子も強者揃いだ。
(ジャーロフ自身がスロースターターのため、グランプリシリーズにはピークは合わせていないらしい。)
悲劇の恋を描いた『ロミオとジュリエット』
キャピュレット家のロミオとモンタギュー家のジュリエット。
両親は互いの家をいがみ合っているが、二人は恋を諦めきれず、知人のロレンスを頼って秘密裏に結婚式を上げる。
しかし、ジュリエットの従兄弟に喧嘩をふっかけられ、喧嘩を代わりに買った親友マキューシオを殺されたことで、理性を失なったロミオは従兄弟を殺してしまう。
罰として街を追放されたロミオを嘆くジュリエットを慰めようと、彼女の両親が新しい相手として名門貴族パリスとの結婚を決める。
それを拒むジュリエットにロレンスは一時的に仮死状態になる薬を用意し、駆け落ちの作戦を実行した。
舞踏会で流れるワルツから、ジュリエットが本当に亡くなったと思い込み、自殺してしまうロミオまで。
目まぐるしく変わる曲調をジャーロフは完璧に捉え、演じてみせた。
フリーだけなら『186.91』と俺の方が上だったが、総合『291.45』とトップに飛び込んだ。
(…表彰台は無理だな)
諦めの気持ちが生まれ始めた頃、スパンコールが縫いつけられた半袖シャツを羽織り、ニコラと拳をぶつけてからライデンがリンクに立つ。
ロックとヒップホップを合わせたような『Pamp it』
エレキギターの旋律に豪快に踏み切ったのは、先月の四大陸選手権から新たにプログラムに加えた四回転ルッツ。
そして、続く四回転フリップも鮮やかにきめてみせた。
あっという間に観客と空気を味方につけて、四回転5本という難度の高いプログラムをこなす底なしのスタミナ。
四回転トーループ+シングルオイラー+トリプルサルコウ、単独の四回転サルコウも成功し、疲れがピークのはずの後半にトリプルアクセル+トリプルトーループのコンビネーションまで入れてくる。
練習で何度も見たとはいえ、やはり驚きは大きい。
さらに来シーズンには四回転アクセルを組むとも言っていた。
『212.73』と合計『317.71』と世界最高得点にも迫るハイスコアを叩き出し、ジャーロフを引き離す。
「オリンピックも同じようにいくと思うなよ。」
「負け惜しみはみっともないって前に言ってなかったか?」
悔しさを滲ませながら、グリーンルームを去るガイウス。
会えば憎まれ口の仲でも、互いの実力は認めているのだろう。
「良い演技だった。ニッポンの新星は噂以上だな。」
「ありがとう。」
正弘さんと入れ替わる形でソファーに座り、話しかけてきたのはジャーロフだった。
こういう時に、英語を勉強しておいて良かったとつくづく思う。
「Number 24 Sakuto Kitaoji , Represeting Japan.」
そして、いよいよ最終滑走。
ベストと一体型の漆黒の衣装には、ゴールドのスワロフスキーが惜しみなく使われ、コントラストが眩い。
スネアドラムが繊細にリズムを刻み始まる『ボレロ』
元々はフランス人作曲家のラヴェルが制作した物で、様々なアレンジ楽曲が存在する。
朔都さんが選んだのは、日本人オペラ歌手の『Bole'ro Ⅳ〜New Breath』
フィギュアのテレビ中継なんかでよく流れているので、知っている人も多いのではないだろうか。
(まさか、四回転ループ)
冒頭のジャンプは四回転サルコウのはず。
だけど、朔都さんの助走は全日本の時と違っていた。
ターンを入れず、両足のエッジで氷を突き放すループジャンプ。
四回転をしっかり回り切った身体が宙を跳ね、リンクに舞い降りる。
繰り返される二つの主題とソプラノのコーラス。
シンプルだからこそ、スケーターの腕が試される曲だ。
(…嘘だろ)
四回転トーループ+トリプルアクセルのシークエンス。
極めつけにトリプルルッツ+シングルオイラー+トリプルフリップなど、要所要所に高度な技術が散りばめられている。
でもそれを感じさせない。
難しいことをやっているように見せない。
王者だけができる競技を超越した芸術。
「世界一長いクレッシェンド」とも称されるボレロは彼の人生を象徴しているように、前へと進む。
オーケストラがラストを奏でる中、朔都さんは天に拳を突き上げた。
「…負けたな。」
鳴り止まないスタンディングオベーションの拍手。
素直に遡都さんを讃えながらも、ライデンは苦笑いを零していた。
『215.80』と総合『329.33』
これで優勝、史上初のスーパースラムを達成したことになる。
彼の名は伝説として、未来に語り継がれる。
* * * *
「詩音〜!」
表彰式とフォトセッションが終わり、金メダルを首から下げた遡都さんが駆け寄ってくる。
「フリー3位なら十分だろ。」
俺の悔やむ表情を読み取ったのか、スモールメダル(ショートとフリー、それぞれの1位〜3位までに送られる小さいメダル)をかけた。
目指していた表彰台までは、後一歩の4位で世界選手権は幕を閉じた。
「…これで終わりなんですね。」
「何言ってんだ。まだ今シーズンは終わってないぞ。」
てっきりこれで大きな試合はないと思っていたのに、「国別対抗戦を忘れたか?」と遡都さんははにかむ。
『国別対抗戦』
世界上位6カ国が4種目の合計ポイントで競う、オリンピックの前年と翌年のシーズンに行われる団体戦。
「確定した訳じゃないけど、多分代表は俺と詩音になる。最後の花道、付き合ってくれよ。」
差し伸べられた手に、返す言葉など決まっていた。
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