第51話 物語はまだ序奏
フリーのグループ分けはショートを通過した24人を下位から6人ごとに纏められる。
今日はまず午前中にサブリンクでの公式練習をした後、日本男子のメンバーでカフェテリアにて昼食を取り、それぞれに合わせウオーミングアップに入る段取りになっていた。
「もう行くのか?」
「着替える時間も必要なので。」
俺が所属するのは第三グループ(ショートを通過した24人が下から6人ごとにまとめられる。第三グループは7位〜13位)
時刻を確認し、立ち上がると背後から大きな手が伸びた。
「前にも言ったけど、枠のことは気にしなくていいからな。」
「全日本で俺に勝ったんだ。自信持っていってこい。」
朔都さんと正弘さんの言葉に頷き、力強い音が背中を押す。
「いってきます」と呼応する返事は、自分でも元気が良かったと思う。
✻ ✻ ✻
「今日のシオンは落ち着いてるな。」
直前の6分間練習を切り上げ、リンクサイドでエッジカバーを受け取ると「四回転はどうする?」とニコラに投げかけられた。
今までは3本だった四回転ジャンプを増やした構成にするかどうか。
このコンディションなら、本番でも成功できるかもしれない。
「増やした構成でいく。」
「そうくると思ってたぜ。」
予想通りだというべきな口振りで語る。
俺の頭を過ったのは昨日の涼香との会話。
「私も、詩音さんのスケートが好きです。」と帰り際に告げられた言葉が耳にこびりついて離れない。
しかし、それが不思議と心を落ち着けてくれるのは何故か。
(よし、準備はできた)
前の滑走者とすれ違う形で、フェンスの扉が開く。
リンクの上に立つと、程よく冷えた風が肌を掠めた。
「シオンのステージ、全力で見せてみろ。」
ニコラとのグータッチを合図に、中央を向く。
客席を覆い尽くす日本国旗と響き渡る歓声。
「ガンバ!」と母国語で応援してくれる声には彼女の姿もあった。
深呼吸してから、最初のポーズを構える。
『序奏とロンド・カプリチオーソ』
冒頭の静けさに寄り添うヴァイオリンの調べ。
迷うことなく飛ぶのは四回転ループ。
着氷の流れが俺を曲の世界へと連れていく。
四回転トーループ+トリプルトーループのコンビネーション、単独の四回転サルコウが成功し、場面は八分の六拍子が織りなすスペイン風ロンド。
オーケストラを率いるソリストをスポットライトのように、入り乱れるような感情が白一色のリンクを鮮やかに染める。
(…4本目)
フライングキャメルスピンとトリプルアクセル+ダブルトーループを挟み、スピードは緩めず次のジャンプへギアを加速させる。
連続スリーターンから左足のトウで思いっ切り蹴り上げ、飛沫を巻き込む。
幅、高さも十分な二度目の四回転トーループ。
後半の得点源のジャンプがきまり、波に乗ったままオーケストラは集結し、クライマックスに駆け出す。
(…これでラスト!)
両手を上げたトリプルルッツと同時に割れんばかりの拍手が共鳴する。
伸びやかに歌ったと思えば、怒ったような表情になったり。
絶え間なく移り変わる、まさに「気まぐれ」と称した音楽を表現するコレオシークエンスは指の先まで集中力を研ぎ澄ませるため、練習ではかなりきつかったが、エッジのストロークと疾走感が疲れを忘れさせるほど、身体を力強く動かしてくれた。
クリムキンイーグルから体勢を立て直し、ラストは複雑に姿勢を作るコンビネーションスピン。
シット、スクラッチ、クラスフットと高速転換するポジションでゾーンに広がったコンサートのフィナーレを飾りつける。
俺の意識が戻ったのは「よくやったな。」とニコラが迎えた時だった。
フリーの得点は『189.36』
総合は『282.04』とパーソナルベストを大幅に更新した記録が表示される。
「…189か。」
「驚くことじゃない。来シーズンには200点にも届かせる。」
「シオンはエッジがクリーンだから、ルッツフリップともに飛べそうだな。」とニコラは言う。
四回転のルッツとフリップの両方をプログラムに入れられれば、確かに200点越えも夢ではない。
ライデンの元へと急ぐニコラを見送ると、係員に『グリーンルーム」と呼ばれる暫定の上位三人の座席へ案内された。
モニターに映る最終グループはやはりベテランが多い。
その中で異才を放つのは、今大会最年少のミハイル。
体格こそまだ幼いが、ジャンプ技術に限れば引けを取らない。
超大技の四回転アクセルをはじめとした構成を軸に、『ゲーム オブ スローンズ』に合わせた剣を振りかぶる動作のステップは、世界ジュニアの頃と比べてもかなり難度の高いターンを組み込んでいる。
得点は『180.49』に続き、総合『277.76』
グランプリファイナルは靴の故障で本調子ではなかったから、直接対決で勝てたのはこれが初めてだった。
世界ジュニアからちょうど一年。
俺たちが辿り着いた場所は、まだスタートラインにしか過ぎない。
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