第50話 踏み出す力

(…これで全部かな)


日本のテレビ局のレポーターと現地の記者からのプレカン。

ショート1位ということもあってか、質問数も普段のインタビューと比べて多かった。

「世界最高得点」を出した時は喜びよりも驚きの方が強くて、正直まだあまり実感が湧いてこない。


「スズカ、ちょっといい?」


話しかけてきたのは通訳を連れたリュドミラだった。

少し困った様子に理由を尋ねると「ナディアがずっと元気ないの」と答えた。

確かに、今日のナディアの演技は本来の彼女の実力ではなかったし、プレカンでの表情も暗かったのを憶えている。

怪我はしてないのなら、精神的なプレッシャーが原因か。


「…ティナ!」


出口に向かって廊下の突き当たりを進んだ所にいたのは、リュドミラのコーチとティナ。(グランプリシリーズの試合で仲良くなった際、本人にそう呼んでほしいと言われた。)


「私は今の場所が好きなの。前にも断ったように、戻るつもりはないわ。」


「どうして?ロシアの方が設備だって整ってるし、あなたのためを思って言ってるのよ。」


端々に聞こえるロシア語を簡単に訳してもらうと、ティナは元々リュドミラやナディアと同じクラブで育ち、一昨年の春にバンクーバーに移籍した。

そして、出戻りの提案は今回だけのことではないという。


「一度の失敗で見捨てて乗り換えて、…ナディアたちにも同じことをしてるの?」


「結果を出さなければ意味がないわ。」


「…そう。私には理解できない。」


ティナが踵を返すと、コーチはリュドミラに「行くわよ」と声をかけ、廊下を抜けてしまった。


「待って。まだスズカとの話が終わってない。」


「ライバルと必要以上に仲良くするのは時間の無駄よ。」


徹底的に管理されたスケジュールと厳しいトレーニングを行うロシアのアスリート養成学校に隠された秘密が、おそらくはナディアの不調を読み解く鍵になる。


「インタビューで疲れてるでしょ?ナディアのことは私に任せて、今日は休んで。」


「ライバルとは関わるな」とリュドミラに言ったコーチの忠告。

確かに、知り合いのティナなら相談ぐらいはできると思い、私もバックステージを後にした。


(任せてって言われても)


今までに何か問題を耳にしたり、見たりすることはあったけれど、結局は安全な立場で終わるのを待つだけ。

そんな自分にいい加減嫌気が差して、ホテルのエントランスに着いても部屋に戻る気にはなれなかった。


「お疲れ。遅かったな。」


「詩音さんこそ、どうしてここに?」


「さっきまで電話してたんだよ。」


落ち着いた明かりが照らすラウンジのソファーには先客がいた。

詩音さんは「外、寒かっただろ?」とサービスで用意されたティーパックを一つ選び、お湯を注ぐ。

紙コップに入ったシナモンティーを受け取ると、濃厚な香りが漂った。

電話していた相手は伊吹先生の先輩に当たる宇佐美さんで、リラックスした態度から二人の親密さを伺わせられる。


「砂糖は入れなくていいのか?」


「はい。」


「そういえばコーヒーもブラックだったか。」と呟く彼のお茶にはミルクと砂糖が入っていて、甘い匂いが鼻孔を擽る。


「…悪かったな、子供舌で。」


恥ずかしそうに目線を反らす彼は、普段のイメージと相まって少しだけ幼く見えた。

この反応は晴樹さんや遡都さんに可愛がられるのも頷ける。

(詩音さんは気にしてるらしいけど)


「鳳の件はありがと。」


一瞬の間が空いて紡がれた音吐。

四大陸選手権で聞いた鳳さんとの確執についてのこと。


「私は何もしてないというか、いつもと同じです。話だけ聞いて、それ以上踏み込んで傷つくのが怖いから最後は見守ってる。…狡い私にお礼を言われる価値なんて」


「あれは涼香を巻き込みたくなかった俺の我儘だから、気にしなくていい。むしろ心配かけてごめん。」


「…一人じゃ向き合えなくて、怖かったんだ。」と詩音さんは続けた。

夢を追うと同時に支払う代償。

彼の覚悟は決意に表れている。


「鳳の考えも間違ってない。でも、全員が納得する結果も不可能なんだよ。だったら、涼香が正しいと思うことをすればいいんじゃないか?」


正しいかはともかく自分の意志が大切なのだと教えてくれた。


「お前のスケートはノービスの時から見てきた。…昔は完璧主義って感じだったのに、今は違う。自分の意志がちゃんとあるっていうか、…俺はそっちの方が好きだけど。」


憧れてきた人に認めてもらえるのが嬉しくて、努力が報われたような気がした。

最初の一歩を踏み出すために。


「何に悩んでるのか知らないけど、あんま考え過ぎんなよ。」


「部屋まで送ってく。」と言うのでエレベーターに乗り、目的の階のボタンを押す。

部屋の前に着き、一度振り向く。


「今日はありがとう。フリー、楽しみにしてます。」


「もう大丈夫そうだな。じゃあ、また明日。」


きっと詩音さんは、朔都さんにもライデンさんにも勝つつもりで挑んでくる。

彼らしい姿勢に安心しつつ、私なりの結論を導いた。

「おやすみなさい」と交わし、部屋を跨ぐドアが閉ざされる。


(…私の意志)


ナディアの本気の演技が見たい願望と金メダルを獲りたいという野心。

それらが全て私の本音であることは変わらないのだから。

















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