第2話 降り立つカナダ

「忘れ物はない?」


「そんなに心配しなくても、海外行くの初めてじゃないだろ?」


「試合とは違うでしょ。しばらく帰って来られないし。」


母さんが渡航前に確認してくるのはいつものことだ。

少々過保護な気もするが、しばらく留学に行くようなものだし、心配になるのも無理はない。


「向こうに着いたらちゃんと連絡してね。」


「分かってる。」


世界ジュニアから帰国して二週間、俺は雑誌の取材やスポンサー企業との契約など多忙な日々を送っていた。

連日の報道の目途がやっと立ち、年度が変わる前には何とか渡航出来る。

もとより高校は通信制にしていたし、2年に学年が進級するだけだからその辺りの手続きの必要はない。

ビザ申請を済ませて、後は飛行機に乗るだけ。

フィギュアスケートは他のスポーツと比べても金銭面での苦労が多いことで知られている。

海外に拠点を移せたのも、両親の支えや俺の才能に投資し、資金援助をしてくれるスポンサー企業のおかげだ。


「詩音!」


母さんの後ろには、幼馴染のリンクメイトがこぞって手を振っている。

田舎から東京に向かう列車のような盛大な見送りに、思わず苦笑してしまう。


「泣くことか?」


「…だって、また詩音が遠くに行っちゃうから。」


涙を滲ませながら訴えるのは、4月からジュニアに上がる「水島 司」

宥めるようにハンカチで目元を拭いてやる。


「大丈夫だって、全日本選手権で会えるかもしれないだろ?」


様子を見ていた一人がそう言うと、司の目がパッと明るくなった。

「的場 拓也」同い年の16歳で、ムードメーカーを自称しているだけあってかフォローは上手い。

スケートクラブに所属して以来の腐れ縁だ。


「詩音はああ見えて泣き虫だから、お別れを言うのが怖いんだよ。」


「誰が泣き虫だ。」


「仲良しだった子が引っ越す時も号泣して、宇佐美先生にすがってたじゃん。」


「…何のことだか。」


小学生時代の話を掘り返され、周りからは笑い声が起こった。

茶化す拓也に肘で小突かれる。


「これで寂しくないだろ?」


「…別に最初から寂しいとか思ってねえし。試合でお前とは会うじゃん。」


「ファイナルで待ってる」と付け加えると「お前が出れる前提かよ」とツッコミが入る。

和んだ空気の中、時間は容赦なく急かす。

搭乗口ではキャビンアテンダントが案内を始めていた。


「じゃあ、行ってきます。」


パスポートと航空券をゲートに通し、一度振り返る。

「いってらっしゃい!」と盛大に呼応する声が背中を押す。


「テレビで見てるからね~」


溌剌とした声で叫ぶ司の目から涙は消えていた。



羽田空港から約九時間。

時差ボケ防止の睡眠を取っているうちに、カナダのバンクーバー国際空港に到着した。

スーツケースを引っ張りながら窓に映る景色の写真を撮り、ネットに着いたことを報告する。


英語の看板の案内に従い、入国審査を経てロビーに進む。

2階の国際線ターミナルが待ち合わせ場所だ。


「待ってたぞ!シオン。」


色素の薄いブラウンの髪に、180は超えているであろう高い背丈の男性。

彼の名は『ライデン・テイラー』

生まれも育ちもアメリカだが、母親が日本人のハーフであるため、日本語がペラペラだという。

英語の勉強はしてきているが、やはり母国語が通じる留学生同士は心強い。


「ようこそ、バンクーバーへ。」


俺の新たなシーズンが開幕する。




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