第32話『グリエは竜を従える』

 槍で露天風呂の石畳に縫い付けられ、動けなくなった黒いドラゴン。

 その体内から腐敗臭を感じ、グリエはこの竜が病気にかかっていると確信した。


「……誰も近づいちゃダメだ。こいつは黒鱗病にかかってる」


 そしてグリエはタルティーヌを振り返る。


「タルティ-ヌ卿。こいつが暴れないように、さっきの光る盾で押さえてくれるか?」

「うむ、承知した」


 そう言うと、タルティーヌは右手をすっと前に突き出す。

 彼女の体から光の帯が伸び、たちまちのうちにドラゴンは完全に閉じ込められるのだった。


「ところで、どうして捕らえたのだ、グリエ卿? ……君のあの強さなら、殺すことも容易たやすかったと思えるが」

「もしかすると病気の原因に近づけるかもと思ったんだ」

「黒鱗病の?」


 魔獣の森で見つかった病気のイノシシ。

 10年前を起点にして、大陸中で発生した黒鱗病。

 グリエやフランも大切な人をこの病気で亡くし、存在そのものを憎んでいた。

 だからこそ、その原因解明の糸口になるのではと思ったのだ。


 グリエはポワレのアイテムボックスから防護服を出してもらい、着こむ。感染した者に不用意に接触するのは死を意味するからだ。

 ポワレたちには風呂から上がって着替えるように伝え、グリエはひとり、囚われの黒い竜に歩み寄っていった。


「囮を作って自分は身を隠してたんだ。あんたにはそれなりの知能があるんだろ? ……『真龍』さん」


 その言葉の意味を完全に理解しているようで、竜は憎々しげにグリエを見上げる。

 そして口を開いた。


「……おのれ、矮小わいしょうなニンゲンに囚われるとは。我を辱めようというのか」

「やはり人の言葉が分かるか。アルベールさんのホラ話かと思ってたが、本当に居るとはな……」

「くはは。何を言い出そうが、誇り高き真龍がヒトの言葉に従うものか。……炭にしてやろう!」


 言うや否や、竜はゴォと炎を吐く。

 しかしタルティーヌの光壁はそれを通すはずもなく、すべて竜の方に跳ね返って行った。


「うおぉあぁっ熱っ熱っ!!」

「…………。賢いのか馬鹿なのか分かんねぇな……」


 逆上していて冷静さを失っているのか、身動き取れない竜はただの間抜けにしか見えなかった。

 竜はそれでもプライドが高いらしく、眼光を鋭く光らせる。


「おのれニンゲン! 神聖なる我が顔をあぶるとは不敬なり!」

「いや自分の炎だろ……。……てか、病気なんだから無理すんな。死にそうなんだろ?」

「矮小な存在からの同情など不要なり! …………しかし、あぁ情けなし。真龍の面汚しとはこのことじゃ。生き恥はさらさぬ。さぁ殺せ! さすれば貴様を末代まで呪ってやろうぞ!!」


「……やれやれ、病気のくせに口だけは元気だな……。せっかく治してやろうっていうのに、そんなこと言ってていいのか?」

「くははは、笑止! この真龍の身をもってしても回復せぬ不治の病。食うことで延命するしかできぬのに、ニンゲンごときに治せるわけが……」


 そう言って笑う竜の目の前に、グリエは小さな包みをぶら下げて見せる。


「治せる手段があると言ったら……どうする?」

「…………!? ……く……くはは。そんな都合のいい嘘で釣られるものか」

「これ、試しに一粒食ってみろ。タルティーヌさん、光壁に小さな穴を作ってくれ」


 グリエは竜の口元に穴を開けてもらうと、そこに一粒のアムリタ麦を落とした。


「なんだというのだ。このようなゴミあくたのような粒。匂いも弱い。旨いわけがない」

「食材としてみれば味は凡庸ぼんようだが、病を治せる。……もちろんお前ぐらいの体のデカさなら、かなりの量が必要だろうがな」

「…………うまいことを言って、毒を盛ろうというのだろう?」


 知能が高いのか低いのか分からないが、少なくともこの竜は人を疑っているらしい。

 グリエは同じ袋から麦を一粒とりだすと、竜から見えるようにして自分の口に放り込んだ。


「少なくとも、これで毒じゃないって分かるだろ?」


 そしてボリボリとかみ砕き、飲み込んで見せる。

 すると体の奥底がポカポカと温まり、グリエは力がみなぎって来たと実感できた。


「……やっぱ凄いな、アムリタ麦。治療だけじゃなく疲労回復まで出来るとは……」

「…………ごくり」

「ん? ゴミだから食わないんじゃなかったか?」

「…………ふんっ。やれやれ、矮小なニンゲンの心からの頼みじゃ。それを聞かぬほど我は狭量きょうりょうではないのじゃ。……一粒程度なら食ってやらんでもない」


 そして口元に転がるアムリタ麦に舌を伸ばすと、竜はそのまま飲み込んだ。

 ……すると竜は目に見えて分かるほど目を輝かせはじめる。


「んむぅ!? ……これは、体が熱い……。苦しみが……やわらぎおる!?」

「だろ? じゃあもっと欲しいか?」

「も、もちろんじゃ! はようよこせぃ!!」


 黒い竜は期待感に目を輝かせる。

 見事に食いついてくれたと分かるや、グリエはわざと意地悪な笑みを浮かべた。


「いくつかの約束を守ってくれるんなら薬を渡す。一つはその病気にかかった心当たりを話すこと」

「なんじゃ、そんなことか」


「いやそれだけじゃないぞ。……次にこの土地の者に迷惑をかけないこと。そしてこの温泉宿をきれいにすること。お前があっちこっちに出没したせいで酷いことになってんだぞ!」

「き……きれいに!? そんな面倒なことを、この崇高なる存在にやらせる気か!?」


「その病気は触れるとうつるんだ。ちゃんと助けるから、自分の後始末は自分でしろ!」

「ぬ……ぐぐぐ…………。承知した。いう事を聞いてやるから、はよう薬をよこせ」


 黒い竜は不服そうに唸るが、最後にはうなずく。

 そうして一握り分のアムリタ麦を一飲みするや、雄たけびを上げた。


「ふはははは! 素晴らしい! こんなに早くに回復するとは!! ニンゲンよ、褒めてつかわす!!」


 そして体を大きく動かし、タルティーヌの拘束をたやすく破壊してしまった。

 着替えて戻ってきたポワレたちが「きゃあっ」と驚くなか、ゆっくりと起き上がる黒い竜。


「我を縛り付けようなど愚かなこと! 治した功績に免じて見逃してやろう。ではさら……ば……」

「おい、どこに行く?」


 グリエは言うと同時に竜の鼻先をむんずと握りしめる。


「まさか薬が一度っきりで終わると思ってないか? 病気が完治するまでの数日間、ちゃんと飲むのは常識だ。ここで逃げるなら追加のお薬、出さねぇぞ?」

「んなぁ!? なんだそれは、卑怯ではないか!!」

「約束破って逃げる奴が卑怯というか?」

「ふん。では力ずくで奪……イタタタタ……ごめんなさいごめんなさい、まぶたは止めて! ちぎれるちぎれます!」


 グリエは竜のパンチを悠々と避け、思いっきり竜のまぶたを引っ張って頭部を地面に押し付けた。


「約束は守れ。それともここで肉にしてやろうか?」

「ひぃっ……。ご……ごめんなさい」


 本気の眼差しのグリエに睨まれて、ついに竜は屈服するのだった――。



  ◇ ◇ ◇



 その後、大人しくなった竜はグリエの前で縮こまりながら、自分の事や病気になった心当たりを教えてくれた。


 その竜は“闇の真龍”アングレーズという名であるらしい。

 影の力を操る特別な竜で、戦いのさなかに瞬間移動しているように感じられたのは、影に同化していたからだった。


 アングレーズは国境向こうの山で静かに暮らしていたが、いつの間にか病気になったらしい。


「変なものを食べなかったか?」


 何も原因がないのに病気になるとは考えにくいので、グリエは質問する。

 真龍アングレーズは首をかしげながら、ぼんやりと口を開いた。


「変なもの……。死んだイノシシを食ったくらいだが」

「それだよ、たぶん!! なんで死んでるのを食った!? たぶん黒鱗病のイノシシだったんだろうから、腐ってただろうに……」

「いや……まだ食えるかなぁって……」


 話を聞けば聞くほど、この竜の間抜けな一面が見えて来る。

 グリエはため息をつくが、キッシュはむしろ同情の眼差しを向ける。


「……よっぽど飢えてたんだな。アタシも貧しかったから、気持ちはよくわかるよ」

「ニ……ニンゲンが同情するな! 我は誇り高き真龍ぞ!!」


 そしてアングレーズは少し困ったような顔をした。


「……むしろ山やふもとの森は、そういう獣ばかりになってしまったのだ」

「そういう獣ばかり!? ……いったいどういう事ですの?」



 真龍アングレーズを聞いて分かったのは、竜が住んでいた場所が黒鱗病の温床になっているという情報だった。

 それを聞いて、タルティーヌは深刻な表情になる。


「アングレーズ殿が暮らしていた山岳地帯は隣国ヴルーテ王国の領土なのだ。……ヴルーテ王国は周辺国と国交を持っておらず、一切の情報が聞こえてこない。……よもや、我が領と目と鼻の先でそのような恐ろしいことが起きているとはな……」


 そして、話を聞いていたポワレは頭の中で地図を思い描いた。


「ヴルーテ王国を源としている川は、キャセロールの国境沿いを通って魔獣の森に流れ込んでいますの。……魔獣の森で見つかった病気のイノシシ。その原因が隣国にあるとは考えられるでしょうか?」

「可能性はあるな……」

「王都にむけてさっそく伝令を出しましょう。川の近隣で病気が隠れていないとも限りませんわ。注意を払わせつつ、それぞれの地域で確認を急がせるのです」


 慰安旅行のはずだった旅先で、思わぬ情報を得てしまった一行。

 キャセロール王国に忍び寄る暗い影に、不安にならざるを得なかった。



 ……そんな中、たった一人……いや一体の竜は我関せずというようにあくびをする。


「ニンゲンよ。心当たりはすべて話した。薬とやらを貰いに後日うかがうが、我はここでおいとましよう。……ではさらば!!」


 そして翼を大きく広げた瞬間、またもやグリエが竜のまぶたを引っ張った。


「痛っ痛っ! にゃ、にゃにをするのじゃっ!!」

「屋敷をきれいにすると約束したよな。お前の病気の体液がくっついて、恐ろしくて誰も近づけないんだよ」


「う……ぐぅぅ……でもどうすればいいのだ……?」

「きれいにふき取って、強い酒で清めるんだ。よっぽど染みついてる場所はいったん壊して作り直す。……タルティーヌ卿、汚染箇所を壊すこともありそうだが、大丈夫か?」

「病気が広がらぬためなら問題ない! 大いに壊すとといい!」


 タルティーヌは豪快に笑う。

 そして反対に、真龍アングレーズは泣きそうになっている。


「え……でも我は真龍であり、そのようなヒトの技は……」

「追加のお薬を出さねぇぞ。約束はちゃんと果たせ。それでも誇り高き真龍か?」

「う……ぐぬぅ……」


 もはや真龍の威厳はどこにもなく、ただただグリエに頭を下げるばかりであった――。

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