第31話『乱入者、グリエの前ではひとたまりもありません』

 突如、露天風呂の上空に現れたドラゴン。

 夕暮れの空に黒い影が浮かんでいるかと思うほどに漆黒の巨体。

 コウモリのような羽をゆっくりと羽ばたかせ、その場に滞空している。

 グリエやポワレたちは全くの無防備のまま、固唾をのんだ。


 そんな中、タルティーヌは「はぁっ」と叫んで覇気を放つ――。

 すると彼女の周囲に光の筋が舞い、瞬く間にその裸体を覆って純白の衣服を作り上げた。

 そして彼女の右手にも光が収束し、輝く一振りの剣になる。


「へぇぇ。“ギフト”か……。珍しいな」

「“生命力の物質化”さ。なかなか使い勝手が良いのだよ」


 “ギフト”とは人にごくまれに現れる特殊能力。

 グリエの“嗅覚”もその一種だ。

 フランの“アイテムボックス”に出会って以降は目にすることがなかったので、グリエは少々驚いた。


 ……とその時、上空のドラゴンは首をのけぞらせて口に火を灯らせる。


「ブレス? ……まずい!」


 竜の頭は仕切り壁の向こう……女湯の方を向いている。

 グリエの技は炎のような形を持たぬ物には向いていない。

 ましてや宿泊地に到着したばかり。武器をフランのアイテムボックスに預けている状態だった。

 そんな中、タルティーヌが不敵な笑みを浮かべる。


「問題ないさ。さぁ光壁よ、少女たちを守るがよい!!」


 タルティーヌの叫びと共に彼女の体から光の筋が伸び、空中に渦巻いて光の盾となる。

 それは吐き出された竜の炎を受け止め、はじいた。


「生命力の物質化……すごいな」


 グリエが感嘆すると同時に、仕切り壁の向こうからフラン……いやポワレの声が響いた。


「あ……ありがとうございます、タルティーヌ卿!」

「なぁに礼には及ばぬ。少女を守るのは当然の務めさっ。はっはっは」


 高らかに笑うタルティーヌ。

 しかし炎のブレスは盾に沿って周囲に広がり、周りを焼き始める。

 女湯の方ではキッシュやテリーヌたちの慌てる声が響いた。


「お、お、おいっ、仕切り壁が燃えてる燃えてる!」

「倒れるよっ。スフレ、こっちに来て!」

「うわわわ、おねぇちゃんっ」


 そして彼女らが湯舟の中に避難すると同時に、仕切り壁が焼け崩れる。


「ポワレっ、大丈夫か!?」

「ええ! グリエ様は!?」

「こっちはだいじょ……うぶ……」


 お互いの安否を気遣ったわけだが、その視線はお互いの体に注がれた。

 一糸まとわぬ素肌。濡れた皮膚が炎に照らされ、豊かな胸元がなまめかしく光っている。

 グリエは見惚れ、そして恥じて視線をそらした。


「すまんっ」

「あぁぁあぁぁっ! グリエ様、忘れてくださいましっ!!」

「はっはっは。絶景かな絶景かな」


「うわわわグリエ、こっち見るなよっ」

「見てねぇから隠せ!」


 湯舟から出て隠れられればいいのだが、ドラゴンが間断なく火を放つので、逃げようにもタルティーヌの作った光の盾の下から逃げられない。

 迂闊うかつに出ようものなら、焼き尽くされないとも限らない。


 ポワレはとっさにアイテムボックスからバスタオルを取り出し、みんなに配った。

 グリエも自分のタオルを腰に巻く。


「っそ、そもそも、どうしてタルティーヌ卿がそちらにいらっしゃるのですか!?」

「男ならば当然のこと。そんな問いより、今は討伐よ!」


 タルティーヌは自分が男だからと言い切るや、即席の階段をつくり出すと駆け上る。

 向かうはドラゴンのもと。手に持った剣で斬りかかる。

 その剣技や身のこなしは見事なもので、グリエは美しいとさえ思った。

 何よりもドラゴンのブレスをかいくぐりながら、互角に渡り合っている。


「すげぇな、あの人。さすがは辺境を任されているだけのことはある……」


 ドラゴンへの対処は任せられそうだと思い、グリエはポワレの方に向き直る。

 女性陣はバスタオルで体を隠してくれているので、一応は安心だ。

 ……薄布一枚の姿にグリエは照れてしまうが、顔面を叩いて気合いを入れた。


「みんな、怖いだろうが、盾の下は安全だ。……あとポワレさん、俺の武器は持ってるかい?」

「ええ、わたくしのアイテムボックスの中に!」

「受け取りに行きたい。…………女湯そっち、行っていいか?」

「緊急時ですもの。いらっしゃって!」


 グルエはタルティーヌが作った階段を足場にして女湯に飛び込む。

 そしてポワレからいつもの武器を受け取りつつ、冷静に状況を分析した。


「みんな、聞いてくれ。あの上にいるドラゴンは本体じゃない」

「本体じゃない!?」

「臭いが全くしないんだ。そんな生物、いるはずがない。……あれは本体が作り出した力そのものってところだろう」

「じゃあ本体はどこに!?」

「それが……」


 グリエはあちこちをきょろきょろと見回す


「強力な野生の臭いは確かにある。……しかしどういうことだ? まるで消えるようにいなくなり、次の瞬間には遠く離れた場所に出現する。……居場所が特定できない」


 おそらく上空の分身は陽動。注意を引きつけつつ、本体は真の狙いがあるはずだ。

 その狙いは分からないが、少なくともここに近寄る様子はない。

 ここに強者が集まっているのを見抜いて、足止めしようという魂胆だろうか?


(……それに、野生の臭いに紛れた腐臭。……まさか、これは黒鱗病? 本体が病に侵されてる?)



 その時、グリエの横に頭上で戦っていたタルティーヌが降りてきた。


「はぁっはぁっはぁっ……。あれで本体ではないとは、恐れ入る……」

「タルティーヌ卿、大丈夫か?」

「……ダメだ。腹が減っては戦が出来ぬ」

「は?」

「我が力は生命力の物質化。……使えば当然、腹が減るのだ」


 そしてタルティーヌは本館の方を振り向き、大声で叫んだ。


「誰か来れぬか!? 補給が欲しいっ!」


 その時、本館の方から大きな音と悲鳴が響き渡った。

 グリエは臭いで察知する。――厨房が襲われた、と。

 さっきまで漂っていた夕餉ゆうげの香りが、忽然と消え失せたのだ。


「タルティーヌ卿。どうやら本体の目的は飯だったらしい。……消耗した体を癒すためか」

「なんと……」


 タルティーヌは腹を抑え、絶望の顔になる。そして“ぐうぅぅぅ”と腹の音が鳴り響いた。

 物質化は相当に消耗するのだろう。

 タルティーヌの純白の服がボロボロと霧散し始め、頭上の巨大な盾も崩壊し始める。


 ……このままではマズい。

 頭上のドラゴンは悠々と旋回しながら、何度もブレスを吐いてくる。

 グリエ自身はいくらでも避けられるが、戦えない少女たちは消し炭にされてしまう。

 そんな中、タルティーヌは力を振り絞って盾の修復に集中した。


「なんの! 少女を守るのが我が使命! ここで踏ん張らずに何とする!」


 自分の衣服などどうとでもいいとばかりに振りほどき、全裸で仁王立ちになるタルティーヌ。


「お、お、おい! 裸、裸!!」

「服などいらぬ!」

「んなわけあるかっ! これを食え!!」


 グリエはとっさにポワレのアイテムボックスに手を突っ込み、取り出した食べ物をタルティーヌの口に突っ込んだ。


「んんん!? 旨い!!」

「もっと食え、食えっ!!」


 無理やりにでも彼女の口に詰め込んでいくグリエ。

 タルティーヌの方もがっつくように咀嚼そしゃくし、飲み込んでいく。

 するとタルティーヌの体に服が再び現れた。

 それだけではない。頭上に展開してある盾がさらに強大になっていく。

 気が付けば屋敷全体を覆う超巨大なシェルターになっていた。


 グリエは臭いで索敵し、シェルターの内側に敵の気配がないことを確認する。

 タルティーヌの方はというと、恍惚とした表情で「ほぉ……」と息を吐いた。


「なんだ今のは! めちゃくちゃ旨かったぞ!!」

「アースドラゴンのミートパイだ。……作り置きしてあって良かったよ」


 この辺境伯領への数日の旅の途中、厨房や作る時間がないと想定し、あらかじめ何食分も用意してあったのだ。

 鮮度維持が可能な女王フランのアイテムボックスがあるからこそできる芸当。

 それがまさか、こんな形で役に立つとは思ってもみなかった。


 そしてようやく冷静さを取り戻したポワレはアイテムボックスからテーブルを取り出すと、その上に次々と料理を並べ始めた。

 全てグリエが作り置きしていた料理の数々だ。


「もっとありますわよ! ジュエルボアの煮込みラグー、オニオンと栗モモンガの包み焼、月の雫のクリームケーキ……はぁ……はぁ……美味しそうですわ……」


 タルティーヌのために取り出したのに、ポワレ自身もたまらず口元を緩ませる。


「あぁもう、たくさんあるからポワレさんも食ってくれよ、もう!」

「いいえ、すべてはタルティーヌ卿に!」

「かたじけない。……盾の維持のためだ。ありがたくいただく」


 そして作法など気にすることなくがっつき始めるタルティーヌ。

 その食べっぷりたるや豪快で、グリエがほれぼれするほど。


「なんだ、旨すぎる! くそ。慌てて食べるのがもったいない! あぁもったいない! グリエ卿よ、あとでもう一度作ってくれ!」

「分かったよ! とにかく今は食ってくれ。俺だって作りたてを味わってほしいしな!」

「恩に着る。グリエ卿の料理は素晴らしいな!」


 タルティーヌは腹を満たすと、再び上空のドラゴンの足止めに向かう。

 その体から立ち上る生命力は、グリエも感心するほどに回復していた――。



 この場の安全を確信したグリエは、改めて周囲を見渡す。

 彼が対処したいのは本体そのものだ。


(……そして料理を欲してるのはタルティーヌ卿だけじゃないはずだ)


 どこに現れるのか分からない神出鬼没の相手を前にして、グリエは罠を張ることにする。

 アイテムボックスから取り出したのはフライパンと大きな肉の塊だった。

 タイラントベアのステーキならば、ドラゴンもよだれを垂らして欲するだろう。


 グリエは湯船の外で燃え盛る炎を利用して肉を焼き、特製のソースを絡めていく。

 作り置きした料理よりも、何倍も豊かな香りを放つはずだ。

 これを餌におびき寄せる算段である。


「むぅ……っ。まさかニトロニンニクと黄金トリュフのソース!? 大好きなのだ、私は!!」

「あいにくだが、これはタルティーヌ卿あんた用の肉じゃないんだ」


 そしてグリエはフライパンを振りかぶると、露天風呂の端に広がる闇の中にステーキを投げ入れた。

 一つではない。次々と肉を焼き、次第に山になっていく。


 さらにグリエはタルティーヌに向かって叫ぶ。


「タルティーヌ卿、投擲とうてき槍をくれ! なるべくたくさん!!」

「承知した。存分に使え!!」


 タルティーヌは言うや否や空中に手を差し伸べ、力をこめる。

 瞬く間に生成した20本ばかりの槍をまとめてグリエの足元に投げ渡した。

 それは素晴らしい威力で地面の岩に突き刺さる。

 グリエはその投擲槍を構えると、肉の山の方に意識を集中させた。



 上空ではドラゴンの分身を足止めしようと斬り合うタルティーヌ。

 背後の湯舟の中では少女たちが肩を寄せ合って状況を見守っている。

 炎の熱、唸り声……そんなあらゆる情報を遮断し、グリエは嗅覚を研ぎ澄ませた。


「――――来た」


 見れば、何の変哲もない地面。しかし黒い影だけが動いている。

 そして影の一部が立体になり、それが竜の指だと分かった。

 本体は影の世界に隠れ、様子をうかがっていたらしい。


「おぉぉらぁっ!!」


 グリエの鍛え上げられた体は射出兵器と同じ。

 撃ちだされる投擲槍は音を置き去りにし、空間を切り裂きながら影を貫いた。

 飛び散る血しぶき。

 聞こえるはドラゴンの絶叫。

 しかしグリエは気を緩めることなく、次々と容赦なく槍を放つ。


 ついに相手は意識を失ったのだろう。

 タルティーヌと斬り合っていた上空のドラゴンは霧散する。

 ……あとに残るのは、地面に縫い付けられて動けなくなったドラゴンの巨体だった。


「……俺の鉄の槍で貫かれなかっただけ、マシだと思うんだな」


 グリエが肉叩きのグリップに隠し持っている投擲槍であれば、一撃で完全に粉砕できたであろう。

 しかしそれをしなかったのは、相手の意図を知るためだった。

 完全に動けなくなった獲物を見下ろし、グリエは一息つくのだった。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

唐突な乱入者でしたが、グリエたちの敵ではなかったようです。しかしこの乱入者はなんだったのか……? ここから明らかになる物語に、ご注目下さい。


もし「面白かった」「続きが気になる」と少しでも思ってくださった方は、作品のフォローや★評価で作品へ応援いただけると嬉しいです!

なにとぞよろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る