第30話『グリエと湯けむり大事件』

「すっご~い!! 天井がないよ、おねぇちゃん!!」

「うん……。でもちょっと恥ずかしいかも……」


 裸で駆け出すスフレと、布で胸元を隠して周りを見渡すテリーヌ。

 目の前には風情のある露天風呂が広がっていた。

 宮殿のような彫像や噴水まであり、ぜいを尽くしてある。

 そして湯けむりの向こうにはいくつもの湯舟が見えた。


 キッシュは感嘆のため息をもらす。


「これが温泉ってヤツかぁ……。まさかお城の庭園みたいだとは思わなかったよ。木の湯船に岩の湯舟。滝もあるし、なんて贅沢な……」

「タルティーヌ辺境伯の趣味ですわ。昔からお風呂の好きなお方でしたの」


 ポワレは体を布で隠し、長い銀髪を結い上げている。

 キッシュは同性ながら、ポワレの普段とは違う半裸の姿に(やっぱ可愛いな)と思うのだった。


 そして体を洗い、一同は湯船に身を沈めた。

 冬の屋外で冷えた体に、熱い湯がしみわたる――。


「おぉ……! なんかトロトロしてる……!」

「この辺境領の温泉は美肌の湯とも知られておりまして、入るとツルツルになりますのよ」


「えへへ。気持ちいいね、おねぇちゃん!」

「うん。……こんなに安らぐの、初めてかも」


 テリーヌとスフレも幸せそうに湯に浸かる。


 そしてキッシュはポワレの横にすすすと近寄っていった。

 さすがに湯に入る時はポワレも布をまとっておらず、揺れる水面の向こうに真っ白な柔肌が良く見える。


「やっぱアタシとは色気が違うよな~」

「なっ、何をおっしゃるのですっ!?」

「アタシは体までガサツな感じなんだよな~。ポワレっちがうらやましいよ」

「そんなことありませんわ。キッシュさんはとてもしなやかな体。パンサーのようで、わたくしこそ羨ましいです」


「へっへ~。……ところでポワレっち。いつも不思議だったんだけど、なんで前髪で顔隠してんの? 可愛いのに」

「そ……それは、恥ずかしいので」

「ふぅん。もったいないの~。めっちゃ美少女だってことぐらい、想像つくし」


 そして、ふいにキッシュはポワレの前髪をめくった。


「あわわっ」

「ん? なんかどっかで見たことあるような……。どこでだっけ」

「あっ、ありふれた顔かと思います……」

「そっかそっか。ごめんよ~。……そう言えば、恥ずかしいと言えばグリエだな」


 キッシュは思い出したように笑う。


「アイツはウブなんだよ。すぐ赤面するんだよね~」

「……紳士なんですわ」

「どうかな~? 男はオオカミだって言うぜ。ポワレっちなんか、そんな魅力的な体してるんだ。アイツも内心では鼻の下を伸ばしてるかも」

「そんなこと……」


 ポワレは否定しつつも、想像してしまい、なんだか恥ずかしくなってきた。

 するとスフレが泳ぎながらポワレに迫り、満面の笑みを向ける。


「おねぇちゃん、おっぱい大きいもんね!」

「これスフレ! あまり外見を言っちゃダメだよ! ……ポワレさん、妹がごめんなさい」

「だってみんなの中で一番おっき~よ? ふっわふわ~~」


 そしてスフレは甘えるようにポワレに寄り添い、ぎゅうと抱きしめた。

 トロトロの湯のせいかポワレは肌が敏感になってしまい、思わず吐息をもらす。


「は……う……。リ、リソレさん、助けてぇぇ」

へい……ポワレさん、子供のすることだし、我慢するといいんだぞ」

「そうだそうだ! アタシなんか筋肉質で色気の欠片もないからなっ。お色気罪で苦しむといい!」

「うぅぅ~」


 ……そんなこんなで、女湯は賑やかな空気に包まれていった。



  ◇ ◇ ◇



「……オオカミじゃねーし、鼻の下を伸ばしてないっつーの」


 グリエは男湯につかりながらぼやいた。

 あらぬ言いがかりをつけられると困ってしまう。


 薄い壁越しの女湯から聞こえて来る、きゃっきゃと楽しげな会話。

 グリエは妄想をかき消そうと、料理のことを考えることにした。


「えっと……冬至の祭だっけ。山ならではっていうと山菜に木の実、シカ系の魔獣肉っていうのもアリだな。湖があるなら魚だって……」


 料理についてあれこれ考えることで邪念を振り払っていく。


 ……その時、背後から足音が聞こえた。

 この宿には他にも貴族が宿泊していると聞いたから、どこぞの紳士だろう。

 湯けむりの向こうに長身の人の姿が見える。


「ご一緒していいかな?」

「ああ、もちろ……んなぁっ!? タルティーヌさん!?」


 ざぶんと湯面が揺れ、グリエの隣に人が座る。

 なんとそれは、この辺境を治める女傑、タルティーヌ本人だった。

 長い黒髪を結い上げているせいで、真っ白な裸体が完全にむき出しになっている。

 しかも本人は気にしていない様子で、鼻歌まで奏でだした。


「んな、な、な……」

「む、どうした? そんな驚いて」

「いや……だってあなた、女じゃないですか!!」


 グリエは直視できずに両手で顔を覆う。

 しかしタルティーヌは肩を震わせながら高笑いした。


「ふはははは。体は女だが心は男だ! なぁに私は気にせんぞ」

「お……俺が気にするんだっ!」

「いいではないか。グリエ卿の名はこの辺境までも聞こえて来る。その武勇伝が聞きたくてな」

「だからといって、風呂で話さなくてもいいじゃないですかっ」

「裸同士だからこそ腹を割って話せるという物。それに君は英雄の相があると、ナヴァラン公爵閣下から伺っている! 英雄は色を好むもの。この程度で動揺してどうする!?」

「いいから、そのデカい胸をしまってくれ!」


 初対面の時もタルティーヌ辺境伯はグラマラスだと思っていたが、一糸まとわぬ姿の破壊力は何にも勝る。

 なのに心は男?

 意味が分からないとグリエは頭を抱えた。

 しかしタルティーヌに話は通じない。


「はっはっは。デカい胸? こんなもの、発達した大胸筋にすぎぬよ。グリエ卿の胸も立派ではないか!」


 そう言ってタルティーヌは自分の胸をぶるんと揺らす。

 もはやこの人とは会話できないと、グリエは諦めるしかなかった……。


 そして女湯からは、またもキャッキャと楽しそうな声が聞こえて来る。

 それを聞いて、さらにタルティーヌは高らかに笑った。


「うぅむっ。少女の声は実に癒されるっ! グリエ卿もなかなかにいい趣味をしておられるではないか。女子ばかりを引き連れて、大変にうらやましい!」

「それは……図らずもそうなっただけで」

「しかし私の一番の推しは、やはり女王陛下であるな! 思えばあんなに幼かった少女が、実にみずみずしく育っていらっしゃる。抱きしめたい! いや、婿入りしたい!!」


 タルティーヌは拳を握りしめ、「くうぅ」と唸り始めた。


(や……やべぇお人だ……。武勇に優れた女傑と聞いていたが、中身はとんだオッサンじゃないか……。すげぇ美人なのに、調子が狂うなぁ……)


「そうそう、グリエ卿! あの『ポワレ』としてのふるまいについて陛下から説明いただいたぞ。身分を隠して市井しせいの者と交流を持たれる……。王侯貴族の視点からでは見えぬものを見ていらっしゃるのだな。さすがは我が君。敬服に値するっ!!」


(そんなたいそうな理由じゃないと思うんだけどな……)


 まともに会話できないまま、タルティーヌは楽しそうに一方的に話し続ける。

 こんなことでは落ち着いて湯を楽しめない。

 もう十分に体が温まったし、グリエは風呂を出ることにした。


「……じゃ、俺はこれで」



 ……そう言った時だった。

 日が沈みかかった赤い空に、黒く巨大な影が現れた。

 轟音と共に空気を震わす雄たけびを上げる。

 そしてそれは、長い首と大きなコウモリのような翼を持っていた。


「――ドラゴン!?」

「む……。愉悦に浸っておったのに、水を差すとは不届き者め」


 タルティーヌは立ち上がり、頭上高くを旋回する乱入者を忌々しく見上げる。

 すると背後の扉が開き、侍女が駆け込んできた。


「タルティーヌ様! 大変ですっ!」

「分かっているよ。ちょうどそのお客は目の前だ」


 そしてタルティーヌは大きく息を吸うと、「はぁっ」と覇気を放った。

 それと同時に彼女の体を光の筋が包み込み、幾重にも折り重なって衣服のようなものを形成していく。

 気が付けば、彼女は光の剣を握る戦士の出で立ちになっていた――。

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