第29話『グリエと初めての慰安旅行』

(グリエ様と二人きりと思ってましたのにーー!)

 馬車に揺られながら、ポワレは心の中で叫んでいた。


 今は王都から辺境領に向かう旅路。

 馬車は二台にわかれ、先頭にグリエとフランの二人。後方にキッシュ、リソレ、テリーヌ姉妹の四人が乗っている。

 普通なら護衛や荷物で台数が増えるところだが、荷物はフランのアイテムボックスに収納されているし、護衛はグリエとキッシュの二人がいればどんな野盗や魔獣が来ても何の心配もいらないというわけだ。


 フランがずっとしょんぼりしているので、グリエは申し訳なく思う。


「すまん……。慰安旅行って聞いたから、いつも世話になってるみんなに声かけちまった……」

「……もちろん、皆さんとご一緒は楽しいですし、問題ありませんわ」


 フランはそう言って微笑む。

 もちろんみんなと一緒の旅行が楽しいのは本当だ。

 でもグリエと二人きりのつもりだったのに、なんでこうなったんだろう……。

 彼女は遠い目で、出発前の日を思い出す――。



  ◇ ◇ ◇



 祖父ナヴァラン公爵との会話から数刻後、フランはさっそくグリエ邸に出向いた。

 女王が軽率に行動するのはまずいので、グリエの元に出向くときはいつも「冒険者ポワレ」の格好に変装している。

 むしろ姿を変えることで気が大きくなり、フラン……いやポワレは浮足立ちながらグリエの部屋の扉を開け放った。


「行きますわよ、温泉へ!!」

「温泉? 温泉ってなんだ?」

「ひろーーいお風呂ですわ。温かい湯が地面からあふれ出して来るのです!」


 グリエが温泉を知らないのは無理もない。

 グラッセ王国には火山がなく、温泉が湧いているという話も聞いたことがない。

 キャセロールの国土は狭いものの、辺境には火山帯に接した領地があり、豊富な湯量の温泉に恵まれていた。


「キャセロールの王都から馬車で2日ほど……タルティーヌ辺境領には、それは素晴らしい温泉があるのです!」

「へぇぇ。しかしいいのか? 往復だと4日。滞在するなら一週間とかになるんじゃ……」

「黒鱗病のことをご心配であれば、それは十分に責務を果たしていただけましたわ。むしろこれは慰安旅行なのです!」

「慰安旅行?」

「そう。日ごろの疲れをゆっくりと癒すのです。冬至の祭がありますし、山と湖の美味をたのしめますわよ! ……特にグリエ様はガトー卿の事件からこちら、いつもお忙しそうになされてましたもの。そういう日ごろの感謝への、せめてものねぎらいなのです!」


 ……その言葉を聞き、グリエは「たしかに」と納得した。

 そういえばテリーヌとスフレの姉妹は命からがら逃げてきたのに、その後は仕事を与えたまま、休暇と言えるほど長い休暇を与えていなかった気がする。

 リソレにはいつも世話になっているし、キッシュにはグラッセとの連絡役として頑張ってくれた恩がある。


 そんなこんなで、グリエは日ごろから親しくしているみんなを誘うことにしたのだった。



  ◇ ◇ ◇



「私、旅行なんて生まれて初めてです……! グラッセ王国から逃げたときは怖い思いでいっぱいだったので、遊ぶためだけに移動できるなんて……」


 後方の馬車の客室では、普段おとなしいテリーヌが嬉しそうに笑っていた。

 キッシュも同意し、干し肉をかじりながらウンウンとうなずく。


「わっかる~。生まれた土地から離れるなんて、そうそうないもんね。アタシは冒険者やってるから自由が利くけど、そうじゃなかったら王都から出ることなかったかもなぁ」


「美味しいものがいっぱいあるって! おにぃちゃんのお料理より美味しいのかなぁ!?」

「それはないと思うぞ。グリエの料理は世界一だもん。それよりスフレちゃん、お菓子好き? 焼き菓子作ってきたけど食べる?」

「大好き~! リソレおねぇちゃん大好き~!!」


 スフレとリソレも仲良くお菓子を食べ、まるで実の姉妹のようだった。



 そんなみんなの様子を先頭の馬車からグリエは見やる。


「はは。みんな楽しそうだな。声をかけて良かったぜ」

「ええ。……思えばわたくしも同年代の友人と旅行なんて初めてかもしれません。グリエ様の交友関係のお陰ですわ」


 グリエの横でフランはとても嬉しそうに微笑む。

 それを見て良かったと思うと同時に、グリエは彼女の言動に突っ込まざるを得ない。


「え~と、女王陛下? そう言えばまた『様』付きで呼んでないかい?」

「あらあら。今はポワレですわよ。友人の前では女王でないと決めたのです。あくまでも女王フランの家臣。貴族ではないという設定ですので、これでいいのですわ」

「そういう……ものか?」


 そして逆に、フラン……いやポワレはグリエに指を突きつける。


「それはそうとして、冷静に考えれば女性比率が少々高すぎませんこと? これではまるでハーレム……」


 ……言いかけて、ポワレはハタと気付いた。

 冷静になると、男性一人を囲んで女性ばかり……という構図に気が付いてしまう。

 テリーヌはグリエに片思いだと知っているし、キッシュも幼馴染をいいことに彼と距離が近い。


(ハーレム!? わ、わたくしもその一員ということ? ……むしろ皆さま全員がグリエ様に好意を抱いているとか、そういう事ではありませんわよね??)



 これは困りましたわ、とポワレは頭を抱えた。

 ……と、その時。



「おんやぁ? ポワレっち、何ハワハワしてんの? なんかイヤらしいことでも考えてるでしょ~」


 ふいに客車の天井で大きな音がし、耳元でキッシュの声が聞こえた。

 ハッとして振り返ると、なんとキッシュが客室の屋根の上から中を覗いている。


「ひゃぁっ!? キ……キッシュさん? 後ろの馬車にいたはず。しかも走行中ですわよ!?」

「えへ。前の様子が気になったからジャンプした」

「おいおいキッシュ、無茶するなよ。屋根がへこんだらどうする?」

「そんなヘマしないし、アタシはそんなに重くないよ~だ」


 当たり前のように二人が話しているが、冒険者とはそういうものなのだろうかとポワレは呆気にとられる。

 キッシュはというとネコのようにしなやかに体を丸め、窓からするりと客車に入ってグリエの横に落ち着いた。


(や、やっぱりキッシュさん、グリエ様のことが!?)


「ポワレっち、グリエを独占なんてずりぃぞ~」

「こ……これは……あの……」

「そうそうポワレっち。あとでいいモノ見せるね。すっごいの作れたんだ~」

「すごいの……ですか?」


 キッシュの口ぶりからして、もしかすると新作の謎アイテムかもしれないとグリエは思った。


「キッシュ……臭いのは勘弁してくれよ……」

「大丈夫大丈夫! 今度のは無味無臭! 実験済みだから安心だよ!!」


「あの……キッシュさん、何を作ったんですの?」

「へへへ! 今はヒミツ~」


 屈託なく笑うキッシュに、グリエは言い知れぬ不安を覚えるのだった――。



  ◇ ◇ ◇



 それから長い馬車の旅を経て、たどり着いたのはタルティーヌ辺境伯領。

 この地は山と渓谷に囲まれた自然の要害で、キャセロール王国の北端を守っているらしい。


 そしてこの地を治める領主は勇猛なる女傑――タルティーヌ辺境伯。

 武勇に優れた男勝りの女性だと聞いていたが、その言葉通りのオーラを放っていた。

 黒い長髪と好戦的な瞳。グラマラスな肉体はマントだけでは隠しきれていない。


 そんな彼女はグリエやポワレたちが到着するや満面の笑みを浮かべ、歌劇の男役のような張りのある声色で出迎えてくれた。


「ようこそ女王陛下、我が領地へ!」

「女王!? え、どこに!?」


 キッシュやテリーヌ姉妹はポワレが女王だと知らないので、驚いたように顔を見合わせる。

 ポワレは表情を引きつらせ、硬直した。


「おほ……おほほ……。あの方はおふざけがお好きなんですのよ。女性がだ~い好きで、みんなを女王と呼んで、もてなされるのですわ」

「んむ? 陛下は何を言って――」


 事情を知らないタルティーヌ卿は首をかしげる。

 ポワレはとっさに走り寄り、彼女に耳打ちした。


(話を合わせてくださいませっ! あとで十分に説明いたしますので……)

(む……むぅ。親愛なる陛下のお言葉だ。甘んじて受け入れましょうマドモアゼル)


 そしてタルティーヌ卿は「おほん」と咳払いし、改めてみんなに笑顔を向けた。


「ではすべての女王陛下! さぁさこちらへ!! タルティーヌの素晴らしき絶景と女王の寝室へご案内いたしましょう!」



 さて、ここから始まるは湯けむり温泉物語。

 思いもよらぬ事件が起こるのだが、グリエたちはまだそれを知らない。

 初めての慰安旅行に胸を躍らせるのだった――。

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