第28話『行きますわよ、温泉へ!!』

「魔獣の森で黒鱗こくりん病とは……。グリエ卿の報告、重く受け止めなければならないね……」

「ええ、お爺様。……薬の研究は進んでいますが、国民すべての命を守るには数が不十分。魔獣の森に面した地域には魔獣避けを配備させたほか、防疫の徹底もさせましたわ」


 ここはキャセロールの王城、女王フランの執務室。

 フランは摂政せっしょうであり祖父でもあるナヴァラン公爵と共に、魔獣の森で発見された黒鱗病について話し合っていた。

 黒鱗病がもし魔獣の森に広がっているとすれば、森の近くに住まう者たちにとって魔獣以上の脅威になる。

 そのため、フランは女王として陣頭指揮をとり、防疫のために非常に忙しく働いてきた。

 もちろんグリエの魔獣避けが役立ち、彼への評判はいっそう高まったわけだ。


「今のところ、キャセロール国内で新たな感染者の報告はありません。このまま防疫は徹底させますわ」


 フランがそう言いながら何枚もの書類に目を通していると、ナヴァラン公爵は「ふふふ」と朗らかに笑った。


「…………? お爺様、嬉しそうになさって、どうかしましたの?」

「いや、あの幼かった孫娘がこんなにも立派になってと思うと嬉しくてね」

「民の安全のためなら当然のことですわ。……それに、ようやく民の動揺も収まり、グリエ卿による森の探索でも新たな病気の個体は発見されていない。……おそらくどこか遠くの地から迷い込んできたイノシシではないかと、そう報告されております」


 フランはグリエからの報告書をナヴァランに手渡す。

 ナヴァランはそれを見ると、満足そうにうなずいた。


「フランもグリエ卿も頼もしい限りだよ。……わしが死んでもキャセロールに不安はないな」

「そんなことおっしゃらないで下さいまし! まだまだこの国にはお爺様が必要なのです。もちろんわたくしにも!」

「すまん、すまん。そうだね、不謹慎だったよ」


 両親を早くに亡くしたフランにとって、ナヴァランは数少ない家族である。

 たとえ冗談だとしても、自分の死を口にしてはいけなかったね、とナヴァランは頭を掻いた。


「しかしフランも、今年になってからずいぶんと元気になったね」

「そ……そうでしょうか?」

「ワシがいるとは言え、やはり国を治める責務は重い。疲れるのも無理はないさ。……しかしグリエ卿に出会ってからのフランはとても楽しそうだ。彼には感謝しかないね」

「それは……その。楽しいとはいえ、いささかハメを外し過ぎることもあって恥ずかしいかぎりですわ……」

「よいではないかね。ぜひグリエ卿とは親しくするといい。……彼には英雄の相が見える。必ずやこの大陸全土に名を轟かせるに違いない。はっはっは」


 そう言ってナヴァランは楽しそうに笑った。

 フランにとって、グリエを褒められることは自分の事以上に嬉しい。

 そして祖父が彼の出自を全く気にせずにいてくれることも、同様に嬉しかった。



 ひとしきり笑った後、ナヴァラン公爵はふと思い出したように懐から一通の手紙を取り出した。


「……そうそう。辺境伯から招待状が来たのだよ」

「タルティーヌ辺境伯からですか?」

「うむ。冬至のお祭りへの招待状だね。かの地は豊かな温泉や山の幸に恵まれている。ワシももう少し若ければ喜んではせ参じたものだが、脚も悪いし、今年は無理かなぁ……」


 タルティーヌ辺境伯とは勇猛な女傑と名高く、そして彼女が治めている領地には絶景の温泉地もある。

 フランはその湯煙の旅情とグリエの顔を思い浮かべた。


(温泉……山の幸……いいですわねぇ……)


 近頃は秋も終わり、冬の気配が近づいている。

 肌寒いところで彼と二人で湯に浸かる。

 ……そんな想像をしてしまい、ついニヤケるフラン。


 黒鱗病への防疫対策も落ち着いたし、現場はもう各地の領主や地主に任せておける。

 グリエの報告によれば新たな発症個体も見つけられなかったというし、王都を離れても問題ないかもしれない。

 ……フランはゴクリと唾を呑み込んだ。


「タルティーヌ辺境伯は国境を守る大切な同志。つながりは大切にしなければなりませんわ!」

「む。フランが行ってくれるのかい?」

「ええ、そうですともお爺様! ……このフラン、女王として辺境伯にご挨拶に伺いたく存じます。グリエ卿にも同行いただこうかと!」



  ◇ ◇ ◇



 フランがムフムフと温泉旅行に胸を躍らせていた頃、グリエの屋敷ではテリーヌとスフレの姉妹が首をかしげていた。


「ねぇねぇおねぇちゃん。やっぱりグリエおにぃちゃんがご主人様なんじゃないかなぁ?」

「そんな……。でもグリエさんは一言もそんなことおっしゃらないし、ご結婚されてないし、お若いし偉ぶってもないし……」

「おねぇちゃんって、“ご主人様”といえば昔の領主のおじさんみたいな人だとおもってるでしょー」

「うん……」


 テリーヌはグラッセ王国で暮らしていた日々を思い出す。

 彼女にとっての領主や雇い主といったら、ガトー伯爵や牧場主のような、すごく威張っていて怖い人という認識だった。

 だからこの高台のお屋敷で住み込みで働くと決まった時には少し不安もあったけれど、「屋敷の主人だ」と名乗る人の顔をまだ見ていない。

 そこがテリーヌには不思議でならなかった。


「それにわたし、グリエおにぃちゃんが別館のお役人さまと仲良くお話してるところを見たことあるよ~~。お役人さまの方がおにぃちゃんに頭を下げてたし、やっぱりグリエおにぃちゃんがご主人様なんだよ~」

「でもスフレ……。ご主人様みたいな偉い人が、こんな場所で寝泊まりするのかな?」


 そして二人はあたりを見回す。

 ここはお屋敷の離れにある別館。厨房と作業小屋がひとまとめに入っている建物で、グリエが寝床に使っているのも本館ではなくこの作業部屋だ。


 厨房は清潔で整っているが、目の前にある作業部屋は非常に雑然としていて、はっきり言って足の踏み場もないほどに散らかっていた。

 グリエ自身もなにか探し物をしては「見つからないなぁ」と言いながらさらに散らかすので、もうグリエにも管理できていないようだ。


 貧しい生まれのテリーヌ姉妹にとってこの雑然とした部屋は親しみがわいたものだし、こんな汚部屋の持ち主が貴族だなんて到底思えなかった。


「……とにかく片付けようか、スフレ。きっとこの荷物の山の中にグリエさんの探し物があると思う」

「おにぃちゃん……。砥石を無くすし、魔獣のなんとかっていう素材も無くすし、意外とうっかりさんだね~~」


 そして二人は腕まくりをして、片付けを始めた。

 紙、容器、袋、ゴミ、箱、箱、袋、ゴミ、金属片、本、本、本、ゴミ、紙……。

 まったく無秩序に散らばり、いくつもの山を作っている。


 テリーヌは弟子としてグリエの仕事を覚えていたので、容器のラベルや中身を見て、それが何なのか分かった。

 だから片付けつつ分類し、グリエが使いやすいように適切に整理していく。


 しばらく掃除を進めると、ようやく床が見えてきて、脱ぎ捨てられた服の山も露出した。

 テリーヌは衣服をしばらく見つめると、ふと持ち上げ、抱きしめる。


(あぁ……。グリエさんの匂いがする……)


 日干しした布団のような、温かい匂い。テリーヌはグリエを抱きしめているように錯覚し、胸を高鳴らせた。

 ……その時。


「あ! おにぃちゃん、お帰りなさい!」


 グリエが帰宅した。

 彼は扉を開け、なんだか照れくさそうにしている。

 テリーヌは無意識に彼の服を抱きしめていたことに気づき、とっさに折りたたんだ。


「こ……これは、か、片付けてたところでして……。服、畳んでたところです!」

「よ……よぉ。なんかお邪魔しちゃったみたいだな……」

「ほ、ほら! 見つけましたよ砥石! あとグリエさんから教わった通りに分類しましたので、ご確認ください……ませ」


 テリーヌは慌てながら後ずさり、整理した棚を指し示す。

 グリエはそれを見て顔を輝かせた。


「おっ、ユウレイウオの肝の干物、ちゃんとあったんだな。さすがに瓶に密封してると探せないぜ」


 そして周りを見渡し、感心したようにうなずく。


「それにしても、あんな汚部屋が見違えたよ。二人ともちゃんとしてるな~」

「グリエさんが散らかし屋さんなだけですよぉ……」

「ははは。弟子に言われちゃ、しっかりしないとなぁ~」


 その時、テリーヌはギュッとこぶしを握りしめた。

 実はグリエに提案したいことがあったのだが、言うきっかけがなく、ここまできた。

 だからこそ、あえて掃除をしてきっかけにしようと思ったのだ。

 テリーヌは緊張しながらも、姿勢を正して声を張り上げる。


「あのっ!」

「ん?」

「グ……グリエさんがよろしければ……ですが。私をメ、メ……メイドとしても、雇ってみませんか!? ……お掃除お洗濯できますし、物の管理も得意な方なので……」


 そう。

 テリーヌはメイドになりたかったのだ。

 彼の弟子という立場は光栄だし、もちろんがんばりたい。

 しかしどうしても獲得できない能力というものがあり、仕事を覚えれば覚えるほどにグリエの凄さを痛感してしまう。

 だからこそ自分の存在価値を見出したくて、思い至ったのが「メイド」という仕事だった。


 ……その想いがどこまで伝わったのか分からないが、グリエは「確かに」とうなずく。

 もちろんこの屋敷には事務作業を頼んでいる役人のほかに執事や何人かのメイドがいるが、執事たちには役人たちの身の回りの世話や広い屋敷の管理をお願いしている。

 しかしグリエが使う厨房や作業部屋は専門性が高いため、彼らには頼めなかったのだ。


 だが、テリーヌはきちんと分かってくれていた。

 グリエは改めて整理された棚を見て、感心した。


「さすが、ちゃんと覚えてくれてるんだな。道具や素材の並び順も、使い勝手をよく考えてくれてる」

「おねぇちゃんはしっかり者なんだよ!」

「ははは、その通りだな。……うん。メイド……いや助手? お願いしようかな」

「メ、メイドでお願いします! ……そのほうがその……可愛いので……」


 緊張しながらも、提案を受け入れてくれたことに嬉しさがあふれるテリーヌ。

 こうしてテリーヌはグリエ専属のメイドになるのだった。



 するとその時、唐突に作業部屋の扉が開いた。

 テリーヌが驚いて振り返ると、そこには一人の女性の姿があった。

 青くて大きな帽子に、目元を前髪で隠した女性。

 彼女は客観的にみても分かるほどにワクワクした笑みを浮かべていた。


「グリエ様、いらっしゃる!?」

「お、へい……じゃなかった、ポワレさんか」


 つい「陛下」と呼びそうになり、言い直すグリエ。

 そんな彼の前にポワレはツカツカと歩み寄り、ガッシと手を掴んだ。


「行きますわよ、温泉へ!!」



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

しばらくタメの話が続いてしまいましたが、ようやく温泉です! ご期待ください!!


もし「面白かった」「続きが気になる」と少しでも思ってくださった方は、作品のフォローや★評価で作品へ応援いただけると嬉しいです!

なにとぞよろしくお願いいたします。

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