第25話『副料理長リソレの憂鬱』
ガトーにまつわる事件が収束した後のこと。
ふと景色を見ると、すっかり秋の空が広がっている。
グリエがキャセロールに来てから、すでに半年以上の月日が経っていた。
その間にグリエの力強い料理の評判はキャセロールの国中に広まっており、すでに伝説の料理人グリエの名は確固たるものになっている。
フランをはじめとする美食家たちから高く評価され、同僚たちからも尊敬を集めていた。
……そんな順風満帆な日々を送っていたところ、グリエはリソレがふさぎ込んでいることに気が付く。
彼女はどことなく虚ろであり、覇気が感じられない。
「……リソレさん、どうしたんだ?」
「……ん? アタシはどうもしてないんだぞ」
リソレはそう言いながらも、さっきから同じ皿をずっと洗っている。
さすがに心配せずにはいられない。
その時、(そう言えば……)とグリエは思い出した。
初対面で勝負を挑まれた時の彼女はもっと挑戦的だったはずだ。
今ではすっかり大人しくなっているが、もしかすると本来の彼女はもっと元気だったのかもしれない。
「そんな心配そうな顔して、どうしたんだ? アタシは大丈夫だぞ」
リソレはそう言って笑う。
でも大丈夫なはずがなかった。
感情が読めるグリエは彼女の沈んだ気分が分かってしまうが、心の声が聞こえるわけではないので、悩みの詳細までは分からない。
その後もリソレを元気づけようと仕事を手伝ったり美味しいものをあげたりしたのだが、落ち込むような匂いはむしろ強まるばかりに感じられた。
◇ ◇ ◇
「……なるほど。グリエさんが心配するのも仕方ありませんわね。特に最近のリソレさんはあからさまに元気がありませんし」
食材を求めてブレゼの大森林を探索中、グリエはポワレに相談した。
するとポワレもリソレのことを案じていたようで、すぐに状況を理解してくれる。
「どうしたら元気になってくれるんだろうか……。俺、わかんないんですよ」
「その理由、わたくしには分かりますわよ」
ポワレはあっけらかんと答える。
「え!? ほ、本当に?」
「単純なこと。リソレさんはグリエさんに圧倒されて、自信を無くされているんですわ」
「自信……」
「まぁ……仕方のないことではありますわね。伝説の料理人グリエと肩を並べざるを得ないのですもの。そのうえ彼女は副料理長……つまり上司という立場に居なければいけない。自分なんか副料理長に相応しくない、むしろいらないのでは……と思ってしまっても仕方ありませんわ」
「そんな……」
ポワレの言葉にグリエは途方に暮れる。
彼女を想って手伝えば手伝うほど、苦しめていたってことになる。
「俺、どうすればいいんだ? ……俺がいないほうがいいのか?」
「そんなこと、絶対にありませんわ。わたくしにはグリエさんが必要です。……そして、同じようにリソレさんも必要なのです」
ポワレの想いはグリエだって同じだ。
何よりもリソレは料理人という同じ視線を持てる大切な仲間。大切に決まっている……。
悶々と考えていると、ポワレが顔を覗き込んできた。
その銀髪の前髪の向こうでフランの青い瞳がグリエを見つめる。
「グリエさん。わたくしからリソレさんにお話しましょうか?」
確かに女王としての彼女なら、リソレのためになることを言ってくれるだろう。
しかしグリエはしばらく考えると、首を横に振った。
「…………いや。陛下の言う通りなら俺が動くべきだと思う。ちょっと考えさせてくれ」
するとポワレは微笑んだ。
「ええ。あなたなら大丈夫ですとも」
その言葉はグリエへの全幅の信頼。
グリエは期待に応えようと思考を巡らすのだった――。
◇ ◇ ◇
「アタシの村への
少し唐突だったかもしれないが、グリエはリソレに声をかけた。
宮廷の厨房に立ち、リソレは首をかしげている。
「ああ。タイタントータスにやられてから、どうなっているか心配でさ。せっかくだから旨い物でも作って、ふるまおうと思ったんだ」
「そっか。そういう事ならじいちゃんや村のみんなも喜ぶよ。グリエの料理、旨いもんな」
「……なぁ。リソレさんも一緒に行かないか?」
「アタシが?」
まさか自分も行くとは考えていなかったらしく、リソレは声を上げる。
「ええっと……。確かリソレさんの村には伝統的な赤いシチューがあるんだろ? 牛肉とパプリカをたっぷり使ってるってヤツ」
「“牛飼いのシチュー”かな。……うん。伝統料理だけど、知ってたんだな」
「以前、村の人に聞いててさ。あの時は牛が減ってたから食べられなかったんだよ。どんな味か知りたいし、ぜひリソレさんに作って欲しいんだ」
ちょっと大げさに手を合わせ、グリエは懇願する。
リソレは少し考えていたようだが、微笑みながらうなずいてくれた。
「そっか……。うん。……そういう事なら行くんだぞ」
そうしてやってきたのは、王都から半日ほど馬車で移動した地にある小さな村。
リソレが生まれ育った牛飼いの村である。
村の恩人であるグリエはたいそうな歓迎を受け、リソレも帰郷を喜ばれた。
村は以前のタイタントータスの被害によって牛や農作物が大打撃を受けたが、王都からの援助や近隣の村から譲り受けた牛のお陰で元の姿を取り戻しつつあり、村人の表情にも明るさが戻ってきている。
食肉加工の仕事も再開しており、グリエたちはホッと胸をなでおろした。
「じいちゃんたちへの挨拶も終わったし、お祭りの品が増えるから料理は大歓迎だって!」
「冬にむけて肉の加工だったか? ちょうど近い時期にお祭りがあって良かったよ」
秋が深まるこの時期、食物が減ってしまう冬に備えて村々では肉の加工が始まっていた。
そして肉の加工品をふるまう祭が開催され、普段は静かな村にもひと時の賑わいが訪れる。
グリエとリソレはそのお祭りに出すための料理を始めるのだった。
リソレがつくるのは『牛飼いのシチュー』の名で知られているこの村の郷土料理。
牛肉を赤いスープでトロトロになるまで煮込んだ一品である。
玉ねぎのみじん切りを炒めたうえで、一口大の牛肉とパプリカパウダー、ニンニクや調味料、ワインを加えて、肉が柔らかくなるまで煮込む。
そして時間差でトマトとイモを入れて、さらに火を通す。
ゆうに1時間半ほど煮込んでいるので、リソレの実家の厨房は美味しそうな香りでいっぱいになっていた。
「そう言えば俺、パプリカはあまり使ったことないなぁ……」
「グラッセでは珍しいのかな? 甘みが出るし色も綺麗だから、うちの村ではよく使うぞ」
そんな会話をしながら、リソレは手際よく調理をしていく。
その姿は楽しそうにみえた。
「でも、グリエが用意する食材の方が凄いのに、いいのかな。牛肉は高級だけど、ありふれてるし……」
「俺の食材ばかりが良いってわけではないぜ。きちんと育てられた牛の肉も素晴らしいんだ。とにかく特殊な調理方法なしでも旨いのが凄いよな! ……魔獣はものによっちゃ毒があるし、独特な臭みもあるから、調理が難しいんだ」
グリエの手にかかれば素晴らしい食材に変わる魔獣の肉だが、一般に出回っていないのは狩りの難易度もさることながら、旨味を引き出す処理方法の難しさにある。
「一部の料理人しか扱えない食材よりも、牛や豚、鶏の肉はよっぽどすごいと思うぜ。それこそ文化になるのはそういう料理さ」
「……にしし。ありがとな。そう言ってもらえるとじいちゃんも喜ぶぞ! ……お、シチューの方はいい感じ。あとは一晩寝かせれば完成だな!」
リソレは本当に嬉しそうに笑う。
グリエも久しぶりに腹の底から笑う彼女を見て、嬉しくなった。
そしてふと窓から秋の空を見上げ、彼女と出会った日のことを思い出す。
「……俺の方こそありがとう、リソレさん」
「なんだ? アタシは何も出来てないんだぞ」
「リソレさんのような実力のある料理人が認めてくれたからこそ、新参者なのにすぐに宮廷に馴染むことが出来たんだ。……しかも魔獣なんて使う異端の料理だって言うのに、快くメニューに加えてくれてさ。俺は女王陛下とリソレさんのお陰でここまでやれたんだ」
そして横に並び立つ小さな女性にグリエは微笑む。
「……だから、ありがとう」
「くふ……くふふ。なんだよ~。くすぐったいぞ。へへへ」
赤髪のリソレは頬も赤らめて、とても嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
そして翌日の祭――。
リソレのシチューに合わせ、グリエも牛肉の串焼きやパンを用意し、村人にふるまった。
もちろん二人の料理は大絶賛され、村は笑顔であふれかえる。
「うん、さすがはリソレの味だよ。お前の料理は本当に美味しくて、ほっとするね」
「リソレちゃんの代わりにみんなで味を再現するんだけど、なぜだか同じように出来ないんだよなぁ。伝統料理でも、やっぱりリソレちゃんのシチューが一番さ」
村人はそれぞれにリソレに微笑みかけ、グリエも嬉しくなる。
「そうなんだよ。リソレさんの料理は美味しいのさ」
「そ……そっかな?」
「ああ。俺には俺の味が、リソレさんにはリソレさんの味がある。どれも美味しいなんて最高じゃないか!」
村人たちはグリエに同意し、リソレの祖父も彼女をギュッと抱きしめる。
「リソレは小さい頃から本当に料理が好きでね。ワシらによく作ってくれたもんだよ。孫に作ってもらえるとは、ほんとうに嬉しいもんだねぇ」
「へへ。そっかそっか。また作りに戻るから、楽しみにするんだぞ、じいちゃん」
リソレは照れくさそうにはにかみながら、グリエに視線を向けた。
「グリエ、ありがとうな。アタシに自信を取り戻させようとしてくれたんだろ?」
「あーー。うん……まぁ」
「へへ。グリエは分かりやすいんだぞ」
「せっかくの料理仲間なんだしさ。初対面の時みたいな勢いでいてほしいんだ」
「へへへ。今から変えられるかなぁ。……まぁ、アタシはアタシのペースでやっていくよ。これからもよろしくな、グリエ」
「ああ、リソレさんこそよろしくな!」
そして二人は握手を交わす。
同じ料理人として、二人の間に改めて深い絆ができあがったのだった。
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