第23話『ガトーの野望、グリエの策』

 ――キャセロールの女王が不治の病にした。

 その情報を聞きつけ、ガトーは単身でキャセロール王国に急ぐ。


 それはグラッセ王国の親しい外交官から入手した確かな情報。

 これを利用すればキャセロール王家に恩を売れるだけではなく、例の国外追放した料理人を取り返せる可能性がある。


 ガトーは馬車に揺られながら、きらびやかな包みを開けて中を覗き込んだ。

 その中に見えるのは『アムリタ麦』の粒。

 女王を治す交換条件としてグリエを取り戻す算段だ。

 現金化に失敗したのも、すべてはこのチャンスのためだったと思えてくる。


(く……くく……。キャセロールの王族は現国王のフランを残して皆死んだ。そこに手を差し伸べようというのです。断るわけがありません!)


 そしてその交渉を行うのはガトー自分でなくてはならない。

 これは儀典の長官グランドマスターに返り咲く唯一無二のチャンスなのだ。


(ここでグラッセ王に知られれば、私抜きで話が進んでしまう。確実にモノにせねば……!)


 ガトーは馬車の車窓から外を見る。

 すでにキャセロールの王城は目の前に迫っていた。



  ◇ ◇ ◇



 キャセロールの王城に到着したガトーは外交官の間に通された。

 当然ながらガトーのような地方領主が他国の王と直接面会できるわけではない。

 特に病に臥しているなら、なおさらである。


 ガトーと対面してくれたのはキャセロール王国の外務大臣であるソルベ侯爵と、その令嬢であり女王の教育係も兼務している外交官ベルモットだ。

 ソルベ侯爵はガトーに向かい、丁寧にお辞儀をする。


「ガトー卿。遠いところをよくぞ駆け付けていただけました。女王陛下に代わりこのソルベ、礼を尽くさせていただきます」

「キャセロールの女王陛下がお臥せになられたのですから、このくらい当然ですとも! ……して、陛下のご容体は!? まだよわいは16……私の娘ほどの御歳。大変無礼ながらもそのお姿を思い浮かべるだけで、この身が引き裂かれるほどに心が痛みます」


 大げさな仕草のガトー。

 それを見つめるベルモットの目は冷たい。


「国防上、他国の者に仔細しさいを明かすわけにはいきません。どこで耳にされたか存じませんが、どうかお引き取りを」

「これベルモット。馬を乗りつぶしてまでいらっしゃったのだ。そう無下むげにしてはならぬぞ」

「…………失礼いたしました、ガトー卿」


 ツンと澄ましたまま表情を変えないベルモット。

 生意気な娘だとガトーは思いながらも、ここでスゴスゴと退散するわけにはいかないし、相手の機嫌を損ねる訳にもいかない。

 ガトーは愛想笑いを浮かべ、頭を下げた。


「いえいえ、ベルモット嬢のおっしゃることはごもっとも! ……ただ、このガトー、女王陛下のお命を救える算段があって参ったのです。せめてその話だけでも……」

「命を救える算段ですと……? 陛下のご容体を詳しくご存じないのに……ですか?」

「ええ。……ソルベ卿ほどのお方ならご存知かもしれませんが、このようなものを持ってまいりました」


 そしてガトーは包みを開き、装飾をほどこされた木箱をソルベ侯爵の眼前にうやうやしく掲げる。

 その木箱の蓋を開け、ソルベ侯爵とベルモットは目を見張った。


「……これは!」

「ええ、私も文献で存じております。――アムリタ麦。万能薬とも名高い奇跡の食物。……これを陛下に?」

「もちろんですとも! どのような病かは存じませんが、この万能薬であれば必ずや女王陛下のお力になれると信じ、こうして参ったのです!!」


 ガトーはテーブルに額をこすりつけるように頭を下げ、そのままの姿勢を保つ。

 言葉にしないだけであからさまに『見返り』を求める様子に取れ、ソルベ侯爵はガトーを冷ややかに見つめた。


「……そのご厚意、大変うれしく思います。…………しかしガトー卿。あなたはグラッセ王国でも立場のあるお方。何かしらの政治的な取引を望まれていると考えるのは無粋でしょうか?」

「いや! め……めっそうもございません。女王陛下のお命を秤にかけての取引など、そんな無礼ができる訳がございません」

「……でしょうね。もしそうおっしゃったのであれば、外交問題に発展しても仕方がありませんよ」

「ははは……。こ、今後も我がグラッセ王国と親しくしていただければ、それ以上に望むものはございませんよ……」


 ガトーは冷や汗をかく。

 女王の命を救う代わりに料理人の引き渡しを……と危うく口に出そうとしたが、この瞬間、自分がいかに浅はかだったかを思い知った。

 小国の王と言えども相手は王族。侮れば手痛い目に遭ってしまう。

 内心ではすぐにでもグリエの引き渡しを交換条件にしたいところだが、進退きわまっている今、これ以上危険な橋を渡るわけにはいかない……。



 ガトーは震える手を隠し、ゆっくりと深呼吸する。

 いままで何度も使者を遣わしても、グリエとの面会すら叶わず追い返されてばかりだった。

 ようやくキャセロールの城内に入り込めたのだ。

 ここで食らいつくしかない。


(……そうだ。あの料理人に直接話が出来れば、外交など気にすることなく脅迫できる。あんな貧民、そこまでの頭がまわるわけがない)


 外交官や王族を相手にする難しさを思い知り、ガトーは方針を変えることにした。

 とにかくグリエと直接交渉できれば何とでもなるに違いない……と。

 思うや否や、ガトーは立ち上がる。


「で……では。アムリタ麦をお渡し出来ましたし、私はおいとますることにいたしましょう。女王陛下に神のご加護あらんことを……」


 そして退室しようと歩み出し、「ああ、そう言えば」と大げさに言葉を発した。


「……そうそう。いまこの宮廷には、我がグラッセ王国出身の素晴らしい料理人がいるのでしたな! 名前は……ええと」

「グリエ殿ですかな?」

「そうそう! グリエです! 彼の料理はとにかく素晴らしかった。我がグラッセの王のみならず、テルミドール皇帝の目にもかなう腕。……せっかくキャセロールまで来たのですから、彼の作った一品をもう一度食してみたいものです」

「そのお気持ちはよくわかりますよ、ガトー卿。我が王も彼の皿には目がありませんからね」

「そうでしょうとも! ……ああ、彼のことを思うだけで胸が痛むのです。国を追われ、さぞや傷つかれたでしょう。私は立場上、どうしようもなかった……。せめて彼に直接謝罪させていただきたい。ソルベ卿、どうか力をお借り出来ませんか?」



 ガトーとソルベ侯が語らい始める。

 そんな彼らを無視するようにアムリタ麦を観察していたベルモットが、ふいに声を上げた。


「ところでガトー卿。グラッセ王国においてアムリタ麦とは国宝と同じ扱いであったはず。これは国王陛下からの贈り物と考えてよろしいですか?」

「も……もちろんでございます」

「承知いたしました。ではさっそくグラッセ王にもお礼を伝えねばなりませんね」


 それは当然の礼儀であるのだが、焦ったのはガトーだ。

 グラッセ王に無断で来ている手前、王に伝わってしまうのはマズい。


「あ、いや。……それには及びません! むしろ何の礼も不要であると、我が王から言付ことづかっております! …………はは。で、ではソルベ卿。グリエとの面会をお願いできますかな? 私の判断ではないとはいえ、彼には大変つらい思いをさせてしまった。その謝罪と共に、もし叶えば彼にはグラッセに戻って欲しいと……」


 ――ガトーが言いかけた時だった。

 外交官の間の扉がバタンと開いた。




「ガトー卿。茶番はそこまでにしていただこう」


 聞き覚えのある声。

 扉の方を見れば、そこには初老の男性が姿を現していた。

 ガトーの表情は彼を見た一瞬で氷のように固まってしまう。


「モ……モンテ侯……!? …………なぜ、ここに?」


 モンテ侯爵はグラッセ王国の検事総長。

 宮廷内で犯罪に目を光らせている、ガトーにとっては目の上のたんこぶである。

 モンテ侯は鋭い眼差しでガトーを射抜くと、彼に迫った。


「アムリタ麦が陛下からの贈り物? はて。我が王は一粒たりとも持ち出しを許可されていないはずだが、なぜここにあるのかな?」


 盗んだことがバレている――。

 ガトーは察し、誰から見ても分かるほどに顔面蒼白になった。

 すでに視線は定まらず、手足が震えている。


「そ、それは……。あ、あ、あ、あれだ! 料理人グリエが売りさばいたものを、必死に国中駆けまわって取り返したのですよ! へ、陛下にもそうお伝えしようと思っていた!! ……我が国の失態をことさらに広める訳にもいかず、陛下からの贈り物と……」

「では、なぜその麦をキャセロールに持ち込んだ? 無論、女王陛下の危機であればグラッセ王は惜しまないでしょう。しかしガトー卿。王に無断で外交を行うなど越権行為もはなはだしい!」


 モンテ侯の鋭い一喝が広間に響き渡る。

 ガトーは言葉を失い、魚のようにパクパクと口を動かだけで精いっぱいだった。

 彼は誰かに助け舟を出してもらおうと、周囲を見渡す。

 ……その時、ガトーは信じられないものを見た。


「あ……え……? あ……?」


 開いた扉の向こうに立つのは若い男女。

 それが誰なのか、ガトーに分からないはずがない。


「もう結構ですわ。……嘘で塗り固められた者の言、聞くに堪えません」

「ああ。俺を引き戻そうってのに、罪を擦り付けるなんて支離滅裂しりめつれつだぜ」


 ガトーは目の前の現実を否定したくて首を横に振る。

 しかし幻となって消える訳もなく、二人はツカツカと外交官の間に入室する。


「……フラン……女王。……それにグリ……エ?」


 そう。病に臥せているはずのフラン女王とグリエが並び立ち、入室してきたのだ。

 混乱の中で、ガトーはなにがなんだかわからなくなっていた。

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