第20話『逃げ出してきた姉妹、グリエと出会う』

「スフレ、行きなさい!」

「ヤダ! おねぇちゃんも来て!」


 木々に囲まれて薄暗い魔獣の森を二人の少女が逃げていた。

 姉の方は怪我をしているのだろう。足を引きずりながら、妹を必死に逃がそうとしている。

 しかしその背後からはオオカミの群れが迫り、もはや絶体絶命だった。


「一緒に逃げるの!」

「私はもう足がダメ……っ! スフレだけでも生きて!!」


 姉が言った瞬間、背後からオオカミが飛び掛かる。

 よだれまみれの口を大きく開き、その鋭い牙で少女の柔らかな首筋を噛み切ろうとした。


 ――その瞬間。

 二人の横を一陣の風が通り過ぎ、ゴゥと凄まじい音と共にオオカミが吹っ飛んでいった。

 そして姉妹は目の当たりにする。身の丈ほどの長さのハンマーを構えた男の姿を。


 暴風の化身か何かだろうか?

 ……そう感じるほどに凄まじい身のこなしで暴れまわり、金属の塊を軽々と振るってオオカミたちを蹴散らしていく。

 気が付けば、後に残るのはオオカミだったモノだけだった。


 呆気にとられ呆然と立ち尽くす姉妹。

 男は鬼気迫るオーラを身にまとっていたが、彼女たちに振り向くと、一転して穏やかな笑顔になっていた。


「よぉ、お散歩するには危ないぜ」

「あ……あ……」

「たす……かった……?」


 かろうじて自分たちの状況を姉妹は察する。

 そして「もう大丈夫だ」という男の言葉に、安堵してその場に崩れ落ちるのだった。


「わぁぁぁぁん……」

「おねぇちゃん、良かったぁぁぁ……」


 彼女たちにとって、この男――グリエは救世主に見えていた。



  ◇ ◇ ◇



「ガトーの領地から逃げ出してきた!?」


 魔獣の森で救った少女たちを、グリエは自分の屋敷で一時的に保護することにした。


 名前を聞くと姉の方はテリーヌ、妹の方はスフレという。

 見たところ10代半ばかそれ以下の若さだ。

 服は質素で所々破れており、ツギハギも多い。グリエのような貧しい身分なのだと想像できた。


 憔悴しょうすいしきった彼女たちに甘いフルーツティーをふるまうと、少し落ち着いたようでポツポツと語り出す。


「私たちは身寄りがなく、ガトー伯爵さまの領地の牧場で住み込みで働いていたんです。……でも牛たちが死んで仕事ができなくなってしまって。……そしたら急に牧場主さまが私たち姉妹を身売りに出そうとして……」

「わたしが怖くなって泣いてたら、おねぇちゃんが一緒に逃げようって……」


 ガトーは貴族である上に宮廷勤めなので、彼女たちが言う『牧場主』はガトーとは別人だろう。

 すでに農場の労働者だったのに身売りに出されるという事は、はっきりと言うのもはばかられるが、女性の尊厳を奪われる類のことに違いなかった。


 姉妹の話を聞いていたリソレが思わず涙ぐむ。

 リソレは姉の脚に包帯を巻く手を止め、自分の目をぬぐった。


「うぅぅ……。怖かったんだな。もう安心するんだぞ」



 姉妹の話では、ガトーが治める領地では畜産が盛んだったらしいが、数カ月前に牛の病が流行し、ほとんど死んでしまったという。

 それはグリエが国外追放されるよりも前の出来事だった。


「……そう言えば宮廷で使われる肉はガトーの領地産の物が多かったのに、ぱたりと入荷しなくなった時があったんだよな……。ガトーはよくわかんねぇ理屈を言ってたが、そんな理由だったとは……」


 グリエ自身は自分で狩った食材を使うのであまり気にしていなかったが、他の宮廷料理人は不思議がっていた。

 肉を出荷できなくなったのなら、当然もうけも減るだろう。

 牧場主が彼女たちを身売りにだそうとするぐらいなのだから、領地自体が経営難なのかもしれない。


「……とはいえ、魔獣の森をさまようなんて自殺に近い。なんであんな場所を通ろうとしたんだ?」


 グリエが問うと、姉のテリーヌは表情を暗くする。


「……はじめは街道沿いを逃げたのですが、関所がありまして……。だから人目のない場所に向かってるうちに、森の奥に入り込んでしまいました」

「ふむ……」


 グリエが狩りをしていた時、確かに魔獣の森を逃げ道に使う者を目にすることがあった。

 あそこは危険ゆえに追手をまく手段としても有効なのかもしれない。

 ただし強い護衛がいる前提の逃げ道だし、戦えもしない子供が通過するのはまったくオススメできなかった。


「……まったく、俺が気付かなかったら君らは死んでたぞ? もうあんな真似をしちゃダメだ」

「はい。……本当にグリエさんの言葉の通り。私、姉なのになんて無謀なことを……」


 テリーヌは本当に反省しているようで、身を小さくしている。

 十分に危険性を分かってくれたようなので、グリエもこれ以上責めるのを止めた。

 俯いたまま元気のないテリーヌとスフレの姉妹。

 グリエは少しでも元気を出してもらいたくて、空になったティーカップにおかわりのフルーツティーを注ぐ。


「……ま、生きてるんだ。今は落ち着いてお茶でも飲んでくれよ」


 このフルーツティーはベリーとシトラスを使ったもので、甘い蜜を入れているのでリラックス効果は抜群だ。


「ありがとうございます……。…………美味しい……です」

「……こんな美味しいお茶、初めて飲んだよぉ……」


 そう言って、二人は本当に美味しそうにお茶を飲みほした。


 グリエは彼女らを見ていると、自分の幼少時、師匠のアルベールさんに救われた頃を思い出してしまう。

 だからなのか、妙に肩入れしてしまう自分に気が付いていた。


「……まぁ、今さらガトーの領地に戻るわけにもいかないだろうし、このキャセロール王国でゆっくり過ごすといいさ。仕事も紹介しよう」

「そんな……。話を聞いていただいたのに、そこまで甘えるなんて……」


 ずっと困り顔のテリーヌだが、リソレが元気に彼女の肩を叩いた。


「遠慮しててもいいことないぞ。二人は何ができるんだ?」

「えっと……私は家事を一通りと牛の世話。……あと肉をさばく仕事もしていました」


 肉をさばく。

 その一言にグリエは目を見開く。


「ほぉ……。肉をさばくのはけっこう力と慣れが必要なんだが、経験者なのは素晴らしいな」

「ずっとその仕事をやってただけで、特別凄いわけではないんです……」

「ううん。おねぇちゃんはすっごく器用なんだよ! 牧場で一番上手にお肉を切り分けできるの。むしろわたしは何にもできなくて……」

「あっ、スフレ……妹は牛によく懐かれるんですよ。牛のお世話は私よりも上手なくらいで」


 姉妹はお互いを褒める。その仲の良さはそれだけでもよく分かった。


「じゃぁ二人とも、キャセロール王国はピッタリだぞ。牛がいっぱいいるからな!」


 話を聞いていたリソレは身を乗り出す。

 彼女が言う通り、キャセロール王国は畜産が盛んで、姉妹の働き口はいくらでもあるだろう。

 しかしグリエには一つの考えが浮かんでいた。


「肉の加工が得意って言うなら、むしろここで仕事するかい? 俺が狩ってきた魔獣の加工を手伝ってくれるとありがたい」

「グリエ、なんかワクワクしてるのか?」

「ああ。アルベールさん……俺の亡くなった師匠への恩返しになるかもしれないって思ってな」


 狩りや食肉への加工そして料理など、アルベールはグリエにたくさんの生きるすべを与えてくれた。

 師匠が亡くなって恩を返せなくなったとグリエは落ち込むこともあったのだが、テルミドール帝国の狩人たちに技術を教えることになって「これも恩返しになるのでは」と感じていたのだ。

 それに加え、キャセロール国内で弟子が増えるのはありがたいことだ。


「師匠に教わった技術を広めていく。もらった恩を次の世代に伝えていく。……それも恩返しの形だよな」


 そしてグリエはテリーヌとスフレの姉妹に視線を送る。


「もし二人が良かったら、この屋敷に住み込みで俺の技術を学んでみないか? 俺が作った飯付き。給料も出す。仕事は俺が狩ってきた獲物の処理ってことで」

「えっと……あの……嬉しい話なのですが、本当にいいんでしょうか? ……死ぬと思った直後にこんなによくされて……。私、もう死んで天国に来てるんじゃないでしょうか?」

「天国じゃないよ、おねぇちゃん! こんなにお茶が美味しいんだもん!」


 妹スフレはすでに上機嫌だ。

 何杯目かのおかわりを飲み干している。

 不安そうなテリーヌに、リソレは満面の笑みを投げかけた。


「二人とも信じていいと思うぞ。グリエは本当に凄いし優しいし、懐がでっかいんだぞ!」

「リソレさん……それは言い過ぎだって」

「いいやグリエは凄いぞ。アタシも立場さえなければ、ここで住み込みで料理を教えて欲しいぐらいなんだぞ!」


 リソレは宮廷の副料理長なので、基本的には宮廷に居なくてはならない。

 今はテルミドール帝国の狩人たちが滞在しているので、もてなすためにグリエ邸で仕事しているに過ぎないのだ。


 ……そんなグリエとリソレのくだけたやり取りを見て安心したのか、姉のテリーヌは安堵の涙を流す。


「……こんな幸せ、お礼のしようがありません。……お言葉に甘えて、働かせていただいてよいでしょうか?」

「ああ、歓迎するぜ」

「おにぃちゃん。これ、助けてくれたお礼です!」


 スフレはそう言って、腰にぶら下げている物をグリエに差し出した。


「ほぉ……牛の角笛か」

「うん。仲良しだった牛さんの角で作ったの」


 牛同士のケンカで怪我することを防ぐため、伸びた角を切ることがある。

 彼女が掲げる角笛は、それを加工した物なのだろう。


「スフレ、いいの? それは友達だった牛さんの形見なのに……」

「いいの! だってわたしができるお礼はこのぐらいしかできないもん」


 幼いスフレは頑なにグリエに渡したいようだ。

 むげに断るわけにもいかないし、グリエは快く角笛を受け取る。


「ありがとな。大事にするよ。……じゃあさっそく仕事をしてもらおうかな」

「仕事……ですか?」

「新レシピの試食さ。女王陛下にお出しする前に味を仕上げておきたくてな。感想を言ってくれるとありがたい」


 それは遠慮がちな姉妹に腹いっぱい食べて欲しいグリエの心遣いであり、彼女たちの返事を待たずに数々の料理が並ぶ。

 姉妹は感激に震えながら、人生で初めて食べる宮廷料理に舌鼓を打つのだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る