第19話『ガトーは追い詰められ、悪政に乗り出す』

「取引を断られた……ですと!?」


 思わず大声を出してしまい、ガトーは周囲を見回した。

 ここはガトー伯爵の屋敷。その書斎である。彼は信頼できる家臣とふたりで密談していた。

 この家臣以外は決して書斎に近寄らぬように言いつけてあるが、聞き耳をたてられていてはマズいと思い、ガトーは改めて小声になる。


「……万能薬を売ってやると言ってますのに、闇商人の分際で及び腰にでもなったのですか?」

「それが……。『もう関りをもってくれるな』と、先方は大変な怒りようでした」


 ガトーはアムリタ麦を闇商人に売ろうと考えたのだが、もちろんガトー自身が彼らの隠れ家である貧民街に出向くわけにはいかない。

 自分の素性を隠すため、目の前にいる家臣を変装させ、身分も偽らせて接触したのだ。


「このアムリタ麦は他国との貿易で手に入れたもので、病に苦しんでいるものの手助けをしたい」

「アムリタ麦ほどの特別な薬を市場に流すと混乱を招きかねないので、確かな販売ルートを持つあなた方の力を借りたい」

 ――前回はそのように説明したところ、快く取引してくれたわけだ。


 しかし今回同じように接触したところ、ろくに話も出来ずに門前払いを受けたらしい。


「く……詳しく説明しなさい」

「盗品だと疑われたのです。『前回の取引で嘘をつかれた』……と、お怒りでした」

「しょ……証拠は残さなかったはず……!」


 ガトーは震える手を抑えながら、家臣を問いただす。

 すると家臣は視線を上げ、重々しく唇を開いた。


「……モンテ候の手の者でございます」

「モンテ候……! あの検事総長が!?」


 モンテ侯爵とはグラッセ王国の宮廷で犯罪に目を光らせている男。ガトーよりも王の信頼が厚く、まさに目の上のたんこぶだ。

 宮廷内の盗難を調べていたことを思い出した。

 王の前で追及された日のことを思い出し、ガトーは苦々しい気持ちで拳を握りしめる。


「モンテ候の手の者が貧民街に手を伸ばし、アムリタ麦の取引に目を光らせておりました」

「……まさか貴様、嗅ぎつかれたというのか!?」

「め、めめ、めっそうもございません! ……私はお言いつけ通りに入念に変装し、ガトー様とのつながりを疑われぬように接触しております。……ただ、闇商人たちは警戒しておりまして、このアムリタ麦が王家の物であると疑ってる様子……」


 闇商人は表の市場で扱えない商品を取引している。

 それゆえに必要以上のリスクは冒せないということだ。

 しかも前回掴まされた商品がグラッセ王家ゆかりの品だったと察し、これ以上の火の粉は被りたくないと考えたのだろう。

 ……すぐにでも現金が欲しいガトーにとって、あまりにも痛手である。


「……もういい」

「ガトー様……」

「……ご苦労だった。下がってよい。行け」


 家臣を強引に退室させ、ガトーは書斎に一人きりになる。

 そして机に突っ伏し、がむしゃらに頭を掻いた。


(……あ、あああ……! モンテ候……、やはり嗅ぎつけたか)


 王家の物を盗んでしまうとは、魔が差したとしか言いようがない。

 とはいえ、そんなガトーにも罪を逃れる算段はあったのだ。

 宮廷になぜか在籍する貧民。グリエに罪を着せることで、ガトーは追及を逃れられるはずだった。


(くそ、くそ、くそ! ……あの貧民に罪をなすり付けられたと思ったのに! 国外追放でコトが終わったと思ったのに! ここに至って、あのグリエとやらが重要人物? そんなの分かるか! ああぁぁぁぁっ!!)


 息を荒げるガトー。

 その時机にハラハラと糸くずがおち、我に返った。


「……私の髪の毛!? あ……あ……」


 ふと自分の手を見ると、指先に茶色い自分の髪の毛が絡みついていた。

 あまりのストレスに抜けたのだ。

 その現実を目の当たりにし、ガトーはますます追い詰められる。


 ……その時、窓の外――正門の方角から騒がしい声が聞こえてきた。

 ガトーは締め切ったカーテンの裾をめくり、細い隙間から外の様子をうかがった。


「……領民? なんだ、貧民どもですか」


 ガトーはいちいち身分の低い者たちの顔など覚えていないが、薄汚れた作業着を着ているところからして牧場の者たちに違いない。


「税が重すぎます! ガトー様に会わせてくれ!」

「どうかご慈悲を! 牛がみな死に、今日を生きるので精いっぱいなのです……」

「どうか、どうか……! 娘たちが腹を空かせてるのです!」


 ……悲痛な声。

 しかしそれはガトーの心には全く届いていなかった。

 彼の胸にあるのは自分の事だけ。

 むしろ今彼らから税を搾り取らなければ領地経営自体が行き詰まる。そうなればこの領地は破滅。

 ……つまり税を搾り取ることが彼らを守る手段だと、なぜか思い込むほどだった。


「……まったくうるさいですね。馬鹿な貧民共には領主の悩みなど分かるわけがありませんのに。……いや、家畜を持たぬ者たちなど、働きも出来ぬ無駄な命では……?」


 ガトーの表情は冷徹そのものとなる。

 もはや領民の声は、彼の耳にはハエの羽音と同じようにしか聞こえていなかった。



  ◇ ◇ ◇



 ガトーが次なる悪政を始めた後の事――。

 グリエはテルミドール帝国から派遣されてきた狩人たちに狩りのコツを教えていた。

 帝国とキャセロール王国が結んだ経済同盟の一環として、グリエに与えられた仕事である。


 場所はグリエにとって勝手知ったる魔獣の森。あまり奥深くない比較的安全な場所である。

 この森はグラッセとキャセロール、そしてテルミドールの間に位置し、狩人たちの学びにも都合の良い場所だった。



 狩人たちは若いグリエよりも年上の男たちばかりだったが、一様に非常にまじめで、熱心にグリエの指導を受けている。


「絶対に奴の正面に体をさらすなよ。鋭い角の餌食になる。……来るぞ!」

「はい!」

「突進をかわしたら振り向きざまにボウガンの一斉射! ……よし、ひるんだすきに槍兵!」


 グリエがタイミングを見計らい、教えたように狩人たちも動く。

 突進してきたジュエルボアは槍に貫かれ、動かなくなった。


「おぉぉ!」

「やった! グリエさん、狩れました!!」

「突進前の前兆行動……かなり分かってきました」


 何度目かの挑戦の末、ついに彼らは自力で大きなイノシシの魔獣を狩れた。

 歓声を上げる狩人たちにグリエは満足そうにうなずく。


「ああ、慣れてきたみたいだな。ジュエルボアも要するに体のデカいイノシシ。突進を避けて後ろから狩るのが基本だぞ。……それに前兆行動も個体によって多少の差がある。過信せずに様子をうかがうようにな」


 そう言いながら、グリエは背後から突進してきた別のジュエルボアを見もせずに難なくかわし、すれ違いざまにハンマーを叩きこんで吹っ飛ばす。

 その一撃だけでジュエルボアは沈黙したようで、狩人たちは感嘆のため息をつく。


「グリエさん、やっぱすげぇ……。俺たちが5人がかりでやっとなのに、一撃で……」

「はは。慣れればすぐに出来るようになるさ。……そうそう。ジュエルボアの角は高額で売れるから、傷つけないように気を付けるんだぞ」


 ジュエルボアは名の通り、宝石のように美しい牙が特徴の巨大イノシシだ。

 重い体の突進力によって、牙は盾も打ち破る貫通力を持っていた。

 しかし基本的にはイノシシで、手ごわい魔獣の中では狩りが楽な部類でもある。

 ……とは言え、グリエ以外の狩人にとってはそれでも強敵に違いない。



「……ところでグリエさん、何をしてるんですか?」


 ふと狩人の一人がグリエの元に近寄ってきた。

 グリエは地面の穴深くに手を突っ込んでいる。そして何かをつかむや、立ち上がった。


「ジュエルボア狩りで忘れちゃならねぇのが、こういう副産物だ」


 グリエの手に握られている金塊のような物。

 それを見て狩人たちが色めき立つ。


「……まさか黄金トリュフ!? あの幻の……」

「ジュエルボアの発達した牙は、本来この地中のトリュフを掘るためのもんなんだ。だからジュエルボアがいる場所ではこうやって穴を探すといい。取り逃したトリュフが見つかることがあるんだ」


 もちろんグリエは自分の嗅覚だけで見つけられるが、普通の人にとってそれは難しい。

 だから嗅覚の鋭いジュエルボアの掘った穴を手掛かりにするのだ。


「凄い……! これだけで一攫千金の財宝ですよ!」

「ははは。……地面ばかりに気を取られて、いつの間にか奥地に行かないようにな」


 狩人たちと穏やかに談笑するグリエ。

 しかしその時、ただ事ではない気配を感じた。

 背後の森の奥……人の気配を察して振り返る。


「……なんだ?」

「グリエさん、どうされました?」

「人の気配だ。……魔獣の森で子供が二人?」


 他の狩人たちもあたりを見回すが、彼らにはまだ気配は感じられない。

 グリエにだけ、風上から流れる臭いが感じられていた。


「人のにおいと狼の群れのにおい……。追われてるな」


 そうつぶやいた次の瞬間、幼い女の子の悲鳴が森の中にこだました。

 狩人たちも緊迫し、武器を構える。

 そんな狩人たちをグリエは見回した。


「これから助けに向かう。……君らもついてきてくれ。俺が離れた隙に全滅なんてされちゃ、たまらないからな」

「は、はい!」


 グリエは気配の方に一直線で駆け出す。

 ――そして見つけたのは、オオカミの魔獣に追われる二人の少女だった。

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