第18話『グリエは古巣の顛末を聞く。――その頃、ガトーは』

「リソレさん、さすが副料理長だな。こんな穴場の店、知らなかったよ」

「グ……グリエに褒められると照れるぞ。……むしろグリエの嗅覚の方が凄すぎて、アタシの出る幕がないって言うか……」


 ここはキャセロール王国で最大の市場。

 グリエとリソレは早朝から市場に出向き、新鮮な食材を調達していた。

 メインディッシュの食材はグリエ自身で狩ることが多いわけだが、すべての食材を狩りで得るわけではない。市場はグリエにとっても重要な場所だった。



 ところでグリエとフランが発見したアムリタ麦だが、フランの意思によりしばらく秘密にされることになった。

 万能薬たりえる存在は世界にとってあまりに大きく、公表は慎重にすべきという判断だ。

 『遺跡内の学術調査』の名目でブレゼの大森林は一時的に閉鎖されることになり、グリエは日常――キャセロール王国の料理人の仕事に戻っていた。


 そんなわけでたくさんの食材の注文をまとめているとき、グリエは知った顔を見つけた。


「キッシュじゃないか! 久しぶりだな!」


 グリエが声をかけると、肉の屋台の前で串焼きを頬張っている女性が振り向く。

 その女性は長身で筋肉質。露わになっている腹筋が見事に六つに割れていた。

 キッシュというその女性もグリエに気が付き、顔をほころばせる。


「グリエ! 国外追放だって聞いたから心配してたんだよ。こんな所で再会できるなんて驚き!」

「お前こそ元気そうで良かったよ! アントレがハンターに無理強いしたせいで死傷者が出たって聞いたんだ。いろいろあってグラッセに戻れなかったから心配で心配で……」

「あーー……。……うん。貧民街出身の仲間はアタシみたいに鍛えてるから生きてるけど、割とあれはキツかったな……。チャリオットベアなんて、グリエくらいだもん。……楽に狩れる奴なんて」


 陰ったキッシュの表情を見れば、いかに大変な状況だったのかよくわかる。

 アントレの顔を思い浮かべるだけで腹立たしくなった。



 ……そんな顔見知り同士の会話を見て、リソレは興味をそそられる。


「……グリエ。そのお姉さんは知り合いなのか?」

「ああ。このムキムキお姉さんはグラッセ王国の冒険者仲間でな。同じ貧民街の生まれでもあるんだ。こちらの女性は今の職場の先輩で、リソレさんだ」

「ムキムキとかいうな! これでも乙女なんだぞっ」


 キッシュは肉を頬張りながら口をとがらせる。

 その飾り気のない様子に、「変わらないな」とグリエは笑った。


「ははは。ところでキャセロール王国まで来るなんて、珍しいな」

「旅の護衛だよ。……最近はグラッセ王国も風向きが悪くてさぁ。詳しくは言えないけど、不安を感じる人らの逃亡を手伝ってるのさ」


 キッシュの言葉によれば、グリエが帝国に認められるようになった晩餐会のあと、故郷であるグラッセ王国は何かと逆風が吹いているようだ。

 一番のきっかけは『美食の博覧会』の中止らしく、それ目当てに決まっていた商談がことごとく流れているという。

 キッシュの護衛で国外逃亡しているのは、外にコネのある商人たちかな……とグリエは想像した。


「あと、グリエが働いてた宮廷もゴタゴタしてるらしいよ。料理長のアントレは追放されたあと、今では見る影もないよ……」


 詳しく話を聞いてみたところ、アントレは晩餐会の直後に宮廷を首になったらしい。

 しばらくは王都のレストランを転々としていたが、晩餐会で皇帝を怒らせたという情報が広まるにつれ、大きなレストランほど敬遠するようになったようだ。


「最近だと貧民街で飲んだくれているところをよく見るよ。働いてないんじゃないかなぁ」


 そんな話を聞いて、グリエはさらになげかわしくなる。

 父であるアルベールさんが生きてたら、さぞや悲しむことだろう。



「……あと、その上司だったお偉いさんが長の座を失ったらしいよ。なんでもグリエを探し回ってるらしいんだけど、実際のところはどうなんだい?」


 キッシュに問われ、グリエはしばらく前のことを思い出した。


「……ああ、そう言えば一度だけガトーの使いとやらが来たな。丁重に断って追い返したことがある」


 するとリソレが口をはさんできた。


「えっとな……実は何度も来てるんだぞ。あまりにしつこいから、アタシが追い返してるんだ」

「えっ? そうだったのか。……副料理長の手をわずらわせてスマン」

「……グリエが集中できた方が宮廷のためになるし、気にしないでほしいぞ」


 そんなグリエとリソレのやり取りをみて、キッシュは笑った。


「グリエ、今度の職場はなかなか良さそうじゃないか。昔馴染みとしては安心したよ。リソレさんもグリエをよろしくな」

「う……うん。……よくしてもらってるのはアタシの方なんだけど……」

「はは。この男、けっこうモテるから、ツバつけるなら早い方がいいぞ」

「んなっ。ア、アタシはそういうんじゃないぞ!? ただ尊敬してるだけだ! グリエも信じるなよ」


 リソレは顔を真っ赤にする。髪の毛も赤いので、これでは火の玉だ。

 グリエはリソレの好意の空気を察し、「まいったな」と思いながら頭を掻いた。


 それを見たキッシュは笑いながら去ろうとするが、ふと思い出したように立ち止まる。

 そしてグリエに耳打ちした。


「グリエが宮廷の貴重品を横流ししたって噂。……アタシは信じてないからな。絶対に犯人を見つけるから、楽しみにしてくれよ」

「その気持ちだけで十分さ。……お願いだから危ない橋は渡らないでくれよ。昔馴染みが減るの、俺は嫌だからな」


 キッシュの腕っぷしの強さは頼りになるが、調べ物となると不安しかない。

 その正義感で暴走しなければいいのだが……とグリエは心配する。

 貧民街の生まれで子供時代を死なずに過ごせた幼馴染はとても貴重なのだ。

 しかしキッシュは笑い、六つに割れた腹筋をこれ見よがしにアピールする始末。


「だいじょーぶだよ。じゃあな!」


 そう言って颯爽さっそうと去って行くのだった。



  ◇ ◇ ◇



 グリエが幼馴染と再会していた頃、遠く離れたグラッセ王国の地ではガトーが一人で唸っていた。


「おのれ……。誰も彼も恩知らずの愚か者めがぁぁぁ!」


 貴族専用の馬車の中でひとり悪態をついているのはガトー。

 かつて儀典官長としてグリエの国外追放を決定した張本人だ。

 つい声を出してしまったが、馬車を操る御者ぎょしゃに聞かれたと分かり、とっさに声を静める。

 しかし怒りが鎮まるわけではなかった。


(誰が今まで、外交を円滑に取り持ってやっていたというのだ。このガトー様のお陰だと分からない馬鹿どもが……! 解任されたなら用済みというわけかっ!!)


 彼はとにかく苛立っていた。

 儀典官長の座を解任されたあと、目をかけてやった商人や役人が手のひらを返したように自分の言葉に耳を傾けなくなったからだ。


(王も王だ。あんな貧民街生まれの下賤な者を取り戻せとは。たかが料理人ではないか。あんな礼儀も知らぬ男など不要っ。代わりの料理人など捨てる程いるのだ)


 怒りに頭の血管が切れるかと思えてしまう。

 そんな時、馬車が停止した。

 自分の領地……その本宅に到着したのだ。

 馬車の扉が開き、執事がうやうやしく頭を下げている。


「ガトー様、お帰りなさいませ。奥様がお待ちでございます」

「む……。分かった。すぐに行くと伝えろ」



 そして本宅の私室に向かうと、ガトーの苛立ちなどどこ吹く風でガトーの妻……伯爵夫人がドレスを広げていた。


「あぁら、あなた。待っていましてよ。……明日のパーティー、どの衣装にするか迷っていますの。ピンクと赤、それとも純白? どれがいいかしら」

「……またパーティー? 先週もやったばかりだろう。……それにそのドレス、全て新たに買ったのか?」

「あら、いけませんの? 伯爵夫人として当然のたしなみですのよ」

「……おまえも伯爵夫人なら分かっているだろう!? 我が領の有様ありさまを……」

「あら、なんだったかしら?」

「頼みの綱の畜産が大打撃だという話だ!」


 ガトーは能天気な妻を前に、声を荒げた。

 彼が支配する伯爵領は畜産に支えられているのだが、数カ月前に疫病によって牛が次々と死に、大打撃をこうむっていた。

 疫病の話が広まるといらぬ風評被害で今後の領地経営にも影を落とすため、この情報は秘密にしてある。

 ……当面の課題は疫病の収束と領地の維持なのだが、先行きはあまりにも不安。

 それなのに妻は浪費癖を直すことなく、あっけらかんとしたままだ。


「あら。あなたが宮廷にお勤めなのだから問題はないでしょう? 王から賜った長官の地位があるのですから」

「そ……それは……」


 言葉を濁したまま、答えられないガトー。

 プライドが邪魔し、解任されたことを言い出せなかった。

 その時、夫人は正門に目を向ける。


「あらあら、奥様方がいらしたわ。お茶会の約束をしてましたの」


 夫人は鼻歌交じりに去って行く。

 その後ろ姿をガトーは恨めしくにらむが、不安に胃が痛み、ため息をつく。


 伯爵領では息子のための屋敷を建設中。

 兵の維持費も必要。

 畜産がダメになり、それを中心にやってきた乳業や毛織物もダメ。

 宮廷での役職も剥奪され、王からの褒賞も期待できなくなった。

 お先真っ暗とはこのことを言うのだろう……。



 その時、ガトーの様子を見ていた家臣が恐る恐る近寄ってきた。


「ガトー様……」

「来たか。……申せ」


 彼には財務を任せている。

 伯爵領の経営状況について報告にやってきたのだ。

 彼の話を要約すると、このままだと半年とかからない間に伯爵領は経営破綻するだろうという事だ。

 ガトーは頭を抱えるしかなかった。


(あと半年……。い、いや。それまでにあの料理人を連れ戻せば、長の座を取り戻せる。そうすれば王からの褒賞も元に戻り、領地も安定。今が耐え忍ぶ時なのだ)


 胃が痛い。

 頭を抱えると髪の毛が抜ける。

 指に絡まった髪の毛を見て思わず狼狽ろうばいしてしまったが、部下の前でこんな姿をいつまでもさらせない。

 ガトーは努めて平静を装った。


「報告ご苦労。……なぁに、問題ない。半年持たせるなどたやすいこと。君は業務に戻りたまえ」


 ガトーは「どうにか都合をつける」と言い、部下の前から去った。



 ――そしてやってきたのは自分の書斎。

 彼は隠し金庫の扉を開く。

 そこには、宮廷から盗んだ貴重な香辛料やアムリタ麦が目一杯に詰まっていた。


(もう一度これを売ろう。……半年ぐらい、なんとかなる)


 特に万能薬になり得るアムリタ麦なら、一握りで金貨500枚は下らない。

 これを闇商人に売ろうと、ガトーは決意した。

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