第15話『料理人グリエのサバイバル術。そして強敵現る』

「へぇ……地下なのに明るいのも不思議だったが、夜も来るんだな」


 ブレゼの大森林の地下迷宮の中に立ち、グリエは物珍しそうに周囲を見回した。

 ポワレ曰く、大森林の地下に張り巡らされている水晶樹を通じて太陽の光が地下にまで降り注いでいる。だからなのだろう。地上で太陽が沈むと、迷宮の中も同じように暗闇に包まれた。


「それにしても、グリエ様は本当にすごいです! この迷宮に初めていらっしゃったと言うのに、こんなちょうどいい洞穴を見つけられるなんて!」


 ポワレは感嘆のため息を漏らしながら、この一夜を過ごす予定の洞穴の土壁を撫でる。


「なぁに、クマの臭いで探し当てただけさ。……これは冬眠用に使ってた穴だな。夏場はクマも戻らないし、一夜ぐらいなら安全に過ごせるよ」


 そう言いながら、グリエは魔獣避けとして洞穴の入り口にエンシェントレオの毛皮を置いた。さらに密閉していた袋から小石をいくつも取り出して入り口近くに配置する。


「その石はなんですか?」

「エンシェントレオの糞を乾かしたものさ」

「糞!? うんちですの!?」

「ははは。乾いてるから汚くないぜ。……こうしておけば、この一帯がエンシェントレオの縄張りとみなされるはずさ」


 エンシェントレオは個体数こそ少ないが、大陸広くに分布しているらしい。

 たいていの魔獣はその存在に脅威を抱いてくれるので、毛皮や糞の臭いが魔獣避けに使えるわけだ。


「……そんな重要な毛皮でしたのに、あの冒険者に分けて良かったのですか?」


 ポワレは飛びウサギに襲われていた冒険者のことを思い出す。

 命からがら逃げてきたせいか、彼は荷物のほとんどを失っていた。

 このまま進んでも地上に戻る際に別の魔獣に襲われかねないし、一度命を助けた手前、グリエとしても見過ごせない。

 だから魔獣避けとして毛皮の一部を切り分け、持たせたのだ。


「なぁに、屋敷にはまだたくさん保管してるから問題ないさ。まぁここから地上へは特別危険な魔獣もいないし、彼も無事に戻れるだろ」

「グリエ様にとってはレア物もレアではなくなるのですね~」


 またもや感嘆のため息をつくポワレ。

 グリエは特別なことをしているつもりはないので、彼女に褒められて少し気恥ずかしくなってしまった。


「大したことじゃないさ。……それよりもう食えるぜ」


 照れ隠しのようにグリエは焚火の上に置いた鍋に手を伸ばし、蓋を取った。

 その瞬間、ふわりと広がる湯気と共に心躍るようなスープの香りが広がった。


「あぁ……。もうダメですわ。香りだけで天に召されそう……」

「ははは、さすがに大げさだぜ。普段の厨房と違って調理器具が揃ってないから、できるのは煮る焼くぐらいなもんだ」

「何をおっしゃいますの!! 飛びウサギの肉に加え、山菜やハーブで煮込んだスープ! そして香草焼き!! ……冒険中に宮廷料理レベルのお食事がいただけるって、なんて贅沢なのかしら……」


 うっとりしているポワレは、もはやフランとしての素顔を隠すそぶりもない。

 ハフハフと熱いスープを口にし、汗ばむせいか額をぬぐう。

 隠しているはずの目元がもう露わになっていた。


(やれやれ……女王陛下の食いしん坊ぶりは冒険中も変わらないな。まったくほれぼれする食いっぷりだな)


 グリエは自分の料理を美味しそうに食べてくれて、心から満足する。

「女王陛下ですよね」と指摘するのもヤボなので、黙っていることにした。



 食事を終えると、すっかり夜が更けていた。

 焚火を囲んで紅茶を飲んでいると、ポワレがすすすとグリエの横に身を寄せてきた。


「ん……どうしたんだい、ポワレさん」

「何と言いますか……闇が恐ろしくて」


 まあそれも仕方ないよな、とグリエは思う。

 今まで何度かフランと狩りを共にしたことはあるが、夜を明かすのは初めてだ。

 特に魔獣のいる迷宮の中だから、いくら安全にしていても不安には違いないだろう。

 ……グリエが彼女にそっとコートをかけると、ふいにポワレはグリエの顔を覗き見た。


「ところでグリエ様は意中の女性はいらっしゃるのですか?」

「ゴホッゴホッ」


 唐突な問いに、飲んだばかりの紅茶でグリエはむせる。


「な……なんだいポワレさん。唐突に……」

「ごめんなさいっ。……い、いえ。深い意味はないのです。……グリエ様のような、たくましくてお優しい方、放っておく女性などいないと思いまして」

「優しい?」

「ええ。常に私の安全に気を配っていらっしゃるのはわかります。それに今日お助けになった冒険者に対してもそうでした。安全に地上に戻るルートを教えになり、貴重なエンシェントレオの毛皮の半分までお分けになって。冒険者としても一流ですし、市井しせいの女性は放っておかなかったと思いましの……です」


 ポワレの視線が熱く注がれ、グリエは照れくさくなってしまう。


「べ……別にそんなことないさ。俺は基本的に単独行動だったからな。……まぁ宮廷よりも冒険者ギルドの方が居心地が良かったのは事実だが、俺に近寄って来る女性といや、飯目当てが多かった気がするよ。……それこそ、もてたことなんてないって」


 そんなぶっきらぼうなグリエの答えに、ポワレ……フランは内心で悶える。


(うぅ……。女性たちの気持ちが分かりますわ。アピールしたいのに、あなたのお料理の前ではただの食いしん坊になってしまう……。きっと、わたくしも同じように思われていますのね……っ)


 グリエへのほのかな想いと裏腹に、ウサギ肉のスープの味わいを思い出して反射的にうっとりしてしまう。

 グリエ様の料理はなんて罪なんだ……とポワレは苦悩した。


「……ではグリエ様には意中の女性はいらっしゃらない?」


 もう一度確かめるようにポワレが問う。

 その熱い視線には『好意』がにじみ出ており、慣れていないグリエにはたまらないものだった。


(困ったな……。アンタは女王。俺なんかにうつつを抜かしていい身分じゃないだろう)


 もちろんグリエにとって悪い気分はしない。むしろ嬉しいとさえ思う。

 けれど一線を越えるほど愚かでもないので、グリエは努めて冷静を装うしかできなかった。


「……俺にそんな色気のある話なんてねぇよ。そういう話はまだ早いし、とにかく今は期待に応えたいんだ」

「そ、そうですか。……なるほど」


 何に納得したのか分からないが、ポワレはうんうんと自分に何かを言い聞かせている。


「……そうだ、ポワレさん。もし機会があれば陛下に伝えておいてくれよ。……俺は今までの人生の中でもうんと幸せな時間を過ごせてる。それは女王陛下のお陰だ。礼を言っても言い尽くせない……って、俺が言ってたってな」


 そう告げたとたん、ポワレはとろけるようにニヤけた。


「そう言っていただけて……嬉しいですわ」

(……おいおい女王様、演技がなくなってるぞ)


 内心でツッコミながら、グリエはあえて口に出さないことにした。



  ◇ ◇ ◇



 一夜明け、グリエとポワレは迷宮のさらに下層にたどり着いていた。

 風景は森林一色ではなく、所々に古い遺跡が混じってきている。


「ポワレさん。霊薬とやらはどんな形で存在してるんだい?」

「王家の文献によれば古い時代に製造されていた薬のようです。おそらく瓶や小箱のような形で保存されているのではと」

「なるほど。……おとぎ話に出て来るポーションみたいなもんか」


 小瓶に入った薬剤をグリエは思い描く。

 おとぎ話で登場するポーションは飲むだけで傷を癒し、万病を直したという。

 本当にそんな物が存在するなら便利でいいが、そうも楽にいかないのが現実。実際に大切なのは『よく食い、よく寝る』という当たり前の回復方法だった。


 その時、さらに下層から冒険者パーティと思われる10人ほどの男たちが血相を変えて登ってきた。


「お、どうしたんだい? 化け物に出くわしたような顔をして」

「化け物に出くわしたのさ! ……くそ、今回こそは攻略したかったのに、このざまだ……」

「あんたらも逃げろ! たった二人でどうにかなる相手じゃない!」


 彼らは酷く傷つき、息も絶え絶えで戦意を失っている。

 もう敗走の一途という感じだ。

 彼らの様子を見て、グリエはふと事前に聞いていた情報を思い出した。


「ポワレさん、もしかしてこれが門番ってやつかい?」

「ええ。ブレゼの大森林の門番“アースドラゴン”! この迷宮の探索を阻んでいる元凶です。この竜のお陰で遺跡に眠るとされる古代の宝が入手できないでいるのです」


 ――アースドラゴン。

 迷宮の奥深くを縄張りにし、財宝の守護者とも呼ばれている。

 その存在こそがブレゼの大森林の攻略を阻む原因だった。


「悠長にしゃべってる場合じゃねぇぞ! 早く逃げろ! ヤツは怒り狂ってるんだ!!」


 冒険者の一人が叫ぶ。

 怒り狂った原因はおそらく彼らにあるのだろう。攻略……つまり倒そうとしたのだから、竜が怒らないわけがない。


 その時、ひゅるるると風を切り裂くような音がした。

 グリエはとっさにポワレを抱きかかえ、その場を離脱する。

 着弾したのは大きな石で、今までグリエたちがいた地面を陥没させている。


「あ……ありがとうございます」

「まるで投石器だな。……これが竜の攻撃か。聞くのと体験するのじゃ大違いだな」


 グリエはポワレを地面に卸すと、彼女に魔獣避けの毛皮を手渡した。


「ポワレさんは安全な階層まで下がってくれ。ちょっと行ってくる」


 何よりも驚いたのはポワレではなく、他の冒険者たちだ。


「アンタは馬鹿か!? 一人で行くなんて頭がおかしいのか!?」

「……本気の狩りの時は周りを巻き込むから、たいていソロなんだ。ま、あんたらはさっさと地上に戻りな」


 そう言ってグリエは荷を下ろし、手持ちの武器を構えた。


「……ま、まさかその異形のハンマーと包丁。……あんた、“魔物喰らいのグリエ”か!?」

「そんな物騒な名で呼ばないでくれよ」

「なんで隣国のS級冒険者がここに!?」


 驚愕している冒険者たち。

 そんな彼らに逃げるように伝え、グリエは肩をグルンと回して肉たたきを構えた。


「……さて。ドラゴン狩りと行きますか」

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