第10話『料理人グリエの名は轟きわたる』

 最後の品を出し終わって厨房に戻ったグリエだが、追って来たアントレがグリエの前に立ちふさがった。

 アントレは懐から一束の冊子を取り出すと、にらみながらグリエに見せつける。


「お前が調理方法を編み出した? 嘘を言うな! じゃあこのレシピは何だというんだ!?」

「レシピ? なんのことだ?」


 グリエが冊子に目を落とすと、そこにはアルベールの文字がつづられている。


「なんだ、俺が教えた処理方法にレシピか。アルベールさん、書き残してたんだな……」

「は? お前が……親父に教えた、だと?」

「ああ。……まあ、アルベールさんはうまく作れないままだったがな……」


 グリエが編み出した料理の中には魔獣や希少な果実などの特殊食材がよく使われている。

 アルベールはその調理方法の難しさ故に習得できず悔しがっていたが、それでも頑張っていたことは、この冊子を見たグリエには想像できた。


 育ての親を懐かしむ気持ちでアルベールのメモをめくっていくと、途中に数枚、全く白紙のページが混じっていることにグリエは気が付く。

 そして、そのページからかすかにシトラスの香りが漂っていることに気が付いた。


「これは……」

「ああ、白紙だ。あの親父ももうろくしてたのか、途中をすっ飛ばしてやがる」

「いや、これはあぶり出しだ」


 全くの白紙に見えるが、光に照らすとかすかに模様のようなものが見える。

 グリエは幼少の頃にアルベールに教えられた『あぶり出し』のことを思い出していた。


「お、おい、燃やす気か!?」

「燃やしはしないさ。こうやってあぶれば……」

「やめろ!!」


 グリエがふいに冊子を炉の火に近づけたので、アントレは大声をあげて冊子を取り返す。

 しかし冊子に目を落としたアントレは目を見開いた。


「文字……か?」

「透明な汁で絵とかを描いたあと、火であぶって絵を浮き出させるお遊びさ。アルベールさんが昔、教えてくれたんだ」


 全くの白紙だとアントレは思い込んでいたが、熱せられた場所には明らかに文字が浮かび上がっている。

 酷く弱々しい筆跡であるものの、父アルベールの文字だと察知したアントレは慌てて他の場所も火の熱に当て始めた。


 アントレの表情は不安と期待が混ざったような複雑な様子。

 しかし浮かび上がった文字を目で追っていく中で、横にいるグリエにもわかるほど、怒りの形相に変わっていった。


「こんな……こんなことを認められるか!!」


 アントレは冊子をグシャグシャに丸めると、燃え盛る炉に放り込もうと投げた。

「やめろ!」とグリエが駆け寄ろうとしたがすでに時遅し。吸い込まれるように冊子は火の中に落ちていく。


 ……しかし火に飲まれる直前、丸められた冊子は女性の手に受け止められた。

 フランである。

 グリエたちを気にかけていたフランが、先ほどから厨房の外で様子をうかがっていたのだった。


「ただ事ではないご様子ですわね。……これはそんなに重要なのかしら」


 フランは冊子を広げ、紙面に目を滑らせる。

 そして何か腑に落ちた様子になると、その冊子をグリエに差し出した。

 アントレはその様子に顔をひきつらせたが、王族を相手に邪魔も口出しも出来るはずがない。何か言いたげな雰囲気を押しとどめながら、目を閉じて俯いた。


「これはグリエさんへのお手紙のようですわね」

「手紙……?」

「……少なくともグリエさんだけに伝えたいからこそ、こんな手の込んだ仕掛けを施したのでしょうね」


 グリエはフランから冊子を受け取ると、皺だらけになった紙面を広げる。

 グリエは神妙な気持ちで焦げ色に浮かび上がった文字を目で追った。




『グリエへ。

 意識のあるうちに手紙を残す。


 グリエ。お前が立派に育って俺は本当に嬉しい。

 お前は冗談だと笑っていたが、俺はお前を本当の息子だと思っていたよ。

 最期に“肉部門統括ロティスール”の称号を贈れたことがなによりの誇りだ。


 そしてお前は嫌かもしれないが、アントレを見守ってやってくれないか。

 あいつもいい腕を持ってるが、甘やかして育てたせいか、人の痛みに鈍感になってしまった……。成長を期待して次の料理長に任命したが、それも俺の甘さ故だったかもしれない。

 グリエを料理長に任命すべきだったかと、今でも悩む。


 “お客を笑顔にできて一流。仲間を笑顔に出来て本物”

 ……そんな風に教えてきたが、俺自身が本物じゃなかったみたいだ。

 アントレが料理人たちを想い、狩人を労わる。……そんな立派な男になれるよう、見守って欲しい。


 最後にグリエ。

 次に開かれる晩餐会でお前が活躍できるように、ガトーに掛け合ってある。

 王の前で存分に技を振るってくれ。

 そしてグリエこそが最高の料理人だと、世界に名をとどろかせてくれ』




 ……それは二人・・の息子たちへの、アルベールの想いだった。

 そしてあぶり出しなんて仕掛けを施した理由もよくわかる。……さすがにこの内容、アントレに読ませれば傷つけてしまうと思ったのだろう。

 ……まあ、彼は読んでしまったわけだが。


「親父も貴様も、俺を馬鹿にしやがって……」

「馬鹿に……? この手紙を読んで、なんでそう思える? アルベールさんはお前を心配してくれてたんだぞ」

「それが馬鹿にしてるっていうんだ! 俺は間違ってないっ!!」


 アントレは振り絞るように怒鳴り散らす。

 呆れ果てたグリエは拳を握りしめ、アントレの顔面めがけて突き出した。


 とっさに目をつむるアントレ。

 しかし痛みは襲ってこず、彼はうっすらと目を開く。

 視界に飛び込んできたのは一枚の紙きれ。そこには子供が書いたような拙い文字が書かれていた。


『ぼくもお父さんみたいに、みんなのえがおのために、りょうりする!』


「これは……俺が昔書いた……」

「ハンターたちが死傷した事件、耳に入ってるぜ。……仲間も大切にしろって教わってたのに、取り返しのつかない罪を背負いやがって……。お前を殴る価値はもうぇ。ぜいぜい昔の自分にぶん殴られてろ」


 そういってグリエはアントレ自身が書いた手紙を押し付ける。

 その行為がなによりもアントレに効いた。

 父の言葉に共感し、その背中を追っていた少年時代。

 変わってしまった『今の姿』をまざまざと見せつけられ、もうアントレには何の気力もなくなっていた。


 その場に崩れ落ちるアントレを見下ろし、グリエも目をつむってアルベールに思いをはせる。

 図らずも手紙の通りに今回の晩餐会がグリエのお披露目の場になったわけだが、叶うならばこの場にアルベールがいて欲しかった。

 そう思うと同時に、グリエの頬にひとすじの涙が流れるのだった――。



 その時、ふいにグリエの手元から冊子が取り上げられた。

 彼が振り返るとそこにはガトー儀典長がおり、アルベールからの手紙を神妙な面持ちで眺めている。


「なんだよ。勝手に取り上げるのがお偉いさんのやり方か?」


 眉間にしわを寄せるグリエだが、ガトーはニヤリと笑って大げさにグリエの肩を叩いた。


「アルベール氏はグリエくん、君を料理長に任命する気持ちがあったのだな。今宵の料理もその期待にたがわぬ、誠に素晴らしい品であった!」

「な、なんだよ。気持ちわりぃ……」

「我が宮廷はアルベール氏の遺言通り、君を迎え入れましょう。ぜひ料理長として腕を振るっていただきたい」


 その言葉に食って掛かったのはアントレだ。


「ガトー様!? 料理長は俺です。それにこの男は国外追放にしたはず……」

「アントレくん、まだいたのかね。君の料理にはがっかりだ。さぁ、この場からさっさと去りたまえ」


 グリエとアントレへの態度をたやすく一変させるガトー。

 その様子を目の当たりにしてグリエはうんざりした。


「……ガトーさんよぉ。アンタの下で働くなんてまっぴらだぜ。俺はこの宮廷になんざ戻らねぇ」

「何?」

「俺は今、キャセロール王国で雇われている身。それにあんたは確たる証拠もなく俺を追放しただろう? そこまでされちゃあ戻りたくねぇよ」


 思い起こせば横領の罪だなんだと言われていた気がする。

 全く身に覚えがないし、モヤモヤするから忘れるように努めていたが、今に至って怒りがふつふつと湧いてきた。

 しかしガトーはとぼけたままだ。


「その事件は何かの勘違いだったのでしょう。ひょっとすると食材をゴミか何かと間違えて捨ててしまったのかもしれませんな。……それよりもこれからの栄光に目を向けられてはいかがかな? それこそ騎士の爵位を王に進言しても良い」

「ふん。俺はその勘違いとやらで国外追放されたわけだ。食材をゴミと間違えたって言うんなら、それこそ愚かってもんだぜ。アンタからは何も貰いたくねぇ!!」


 その時グリエたちの話にフランが加わった。


「グリエさんはいま、我がキャセロール王国の人間。勝手に他国から人を引き抜くのがグラッセ王国のやり方と思っていいのかしら? それにあぶり出し……でしたか? 故人のお気持ちを偲ぶのはいいとして、隠し文字の手紙を公式の文書として扱うのはいかがなものかと」


 フランの言葉は威圧感に満ちていた。

 女王の言葉には逆らい様がなかったのだろう。ガトーは「ぐぬ……」と声を押し殺し、黙るのだった。


「儀典長さんよ。もう用がないなら退いてくれ。皆さんにお茶を出したいんだ」


 グリエは優雅にお茶を準備すると、儀典長を尻目に歩き出した。

 もうグリエを邪魔する者はいない。

 彼は王たちの元へ悠然と向かっていくのだった――。



  ◇ ◇ ◇



 波乱の晩餐会が終わり、アントレはこの責任を負う形で宮廷から追放されることになった。

 しかし優れた後任がいるわけでもなく、グラッセ王国は美食の殿堂の名を瞬く間に失っていくことになる。


 そしてガトーももちろん、グラッセ王に責任を追及されることになった。

 それもそのはず。グリエこそがグラッセ王国の美食の要だったと把握しておらず、ただの貧民だからとろくな調査もせずに国外追放してしまったからである。

 儀典官の長の座を降ろされ、屈辱の中でグラッセ王国の栄光を取り戻すために奔走することになる。

 ……グリエが拒絶している以上、そんな栄光はあり得ないのだが。



 ――そして、グリエの周囲は大きく動き出す。

 グリエを気に入った皇帝の計らいにより、帝国領を含めた大陸中の自由な探索が許されることになった。

 数々の希少な食材の宝庫を前にしてグリエは大いに奮起する。


『グリエこそが最高の料理人だと、世界に名をとどろかせてくれ』


 アルベールの手紙の一文を胸に、後に歴史に名を残す大料理人の冒険譚は幕を上げるのだった――。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

祖国に捨てられつつも、そこから始まるグリエの躍進。ここからどんな物語が広がるのか、ご期待ください。


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