第9話『波乱の晩餐会』

 グラッセ王国の晩餐会には周辺国家の王たちが一堂に会していた。

 大きなテーブルで皆が楽しげに交流を持つ中に、キャセロール王国の女王フランもいる。


 そしてその場のすべての者が特に注意を払っていたのは中央に座る豊かな髭の男。

 彼はこの大陸の覇権を握るテルミドール帝国の皇帝であり、主催者であるグラッセ国王よりも威厳を放っていた。


「グラッセ王よ。今宵の晩餐会をずっと心待ちにしておったぞ。我が帝国は無敵なれど、美食に限ってはこの国に一歩およばぬでのう」

「ありがたいお言葉です、皇帝陛下。我が宮廷の料理は世界一と自負しておりますゆえ、そのように仰っていただけて光栄に存じます」


 グリエをめぐる騒動を知らされていないグラッセ王は満面の笑みで答える。

 そして料理長のアントレを呼び出し、皇帝に紹介した。


「こちらはかの料理長アルベールの息子で、副料理長を務めておりましたアントレです。料理長を継ぎ、今後の宮廷を支えてくれましょう」

「こ……皇帝陛下にご挨拶できたこと、心より嬉しく思います。亡き父に代わり、腕を振るわせていただきます。ぜ……ぜひ今宵の宴をお楽しみ頂ければ……幸いです」

「ふむ、緊張するでない。貴殿の料理を見せてみるがよい」

「は……はい……」


 深々と礼をするアントレ。その表情は精彩を欠いていたのだが、期待に胸膨らむ皇帝にとっては気にすることでもない。

 そして美しい伴奏の音色が広がる中、晩餐会は始まるのだった。



  ◇ ◇ ◇



 談笑の中で始まった晩餐会は王たちの予想外に、そしてアントレの想像通りに暗雲に包まれていった。

 オードブルとスープまでは各国の王も期待に胸を膨らませていたが、メインディッシュの一皿目となる魚料理ポワソンを口に入れ、ついにテルミドール皇帝が首を傾げた。


「ふむ……。確かに美味ではあるが、少々物足りなくもある」


 その反応に、各国の王も同意する。

 グラッセ王国の宮廷料理と言ったら珍重な魔獣を美味に調理する驚きが売り物であったのだが、目の前に置かれた魚はごくありふれた食材だ。

 もちろんアントレが宮廷料理人として力を尽くした一品ではあるのだが、素材そのものの平凡さを覆せるほどではなかった。


 そして王たちの落胆が決定的となったのは晩餐会の主役……肉料理ヴィアンドが出された時である。

 それは何の変哲もない豚肉のソテー。

 確かに美味ではあるが、かのグラッセ王国の晩餐会の主役としては力不足と言わざるを得なかった。

 皇帝はついに呆れてため息をつく。


「これがグラッセ王国の宮廷料理か? 町の食堂と何ら変わりがない。アルベール亡きいま、ここまで落ちるか……」


 慌てたのはグラッセ王だ。


「こ……皇帝陛下、どうかお待ちを……。……おい儀典長、これはどうなっている!? チャリオットベアを出す予定ではなかったか!?」

「は……はい、その通りでございます。確かに食材は搬入されておりましたはず……。至急、料理長を呼びますゆえ、少々お待ちいただけますでしょうか」



 そうして呼び出されたアントレは、すでに顔面蒼白になっていた。……もはや見るだけで哀れになるほどに。


「あの、その。……チャリオットベアを要求したにもかかわらず、冒険者どもが無能なばかりに調達できず……」

「む? 王である我に嘘を申すか? 食材は調達済みだと報告にあったが?」

「い……言い間違えました。確かに入手はできましたが、冒険者による切り分けがずさんで、肉そのものがダメになっておりまして……」


 本当はアントレ自身がダメにしたのだが、彼はとっさに嘘を塗り重ねた。

 その嘘を見破る者はいなかったものの、皇帝にとって真実などどうでもいいことだった。

 何月も前から心待ちにしていた晩餐会がここまで貧相になるとは思いもよらない。

 皇帝は呆れ果てたように首を振った。


「……もうよい。ユグドラシルの実のデザートでもいただいて、お開きにしようではないか」



 しかしアントレは黙って動かず、震えるばかり。

 ガトー儀典長が催促すると、ようやくアントレはガトーに耳打ちした。


「はぁ!? 腐らせた!?」


 思わず口に出してしまったガトーは、ハッと自分の口をふさぐ。

 しかしもう遅い。

 幻とも言える高級食材を無駄にした事実は即座に王たちに知れ渡り、皇帝は不機嫌に立ち上がった。


「グラッセ王よ。この国で美食の博覧会を開くという話、取り消させていただく」

「そ……それは話が違います、皇帝陛下」

「まともな料理人がいない国には任せられぬわ!!」


 皇帝の一喝に場が静まり返った。

 テルミドール帝国の怒りを買った国に未来はない。その事実を知っているからこそ、どの王も荒ぶる皇帝に口をはさめないのだ。

 賑やかだった晩餐会は一触即発の戦場の空気に包まれてしまった。



 ……その時、一人の女性が立ち上がった。

 フランである。


「皇帝陛下、心中お察しいたしますわ。楽しみになさっていた晩餐会が散々な出来でしたもの。……その上で差し出がましいのですが、一つご提案がございますの」

「ほう、キャセロール王よ。申してみよ」

「わたくしがアイテムボックスで食材を運んでいるのはご存知の通り。そして一人の優秀な料理人も同行しておりますわ。……せっかくですから、晩餐会の仕切り直しをするのはいかがでしょう? 本来ならこんな失礼な提案は致しませんが、皆さまの不満足な表情を見るに、居てもたってもいられなくなりましたの」


 そしてフランは空中に手を伸ばすと、光り輝く輪の中から一つの実が取り出された。

 皇帝はそれを見て鼻息を荒くする。


「ユグドラシルの実ではないか! しかも熟して旨そうな……!」

「お……お待ちください皇帝陛下! 我が宮廷において、そんな勝手をされるのは困ります」

「かっかっか……。面白いではないか、グラッセ王。それに美食家で名高いキャセロール王のご提案だ。楽しませてくれるに違いない」


 もはや皇帝は怒りをおさめ、期待で高らかに笑うばかり。

 グラッセ王もこれ以上は口をはさめないと観念し、フランの提案を呑み込む。


 そしてこの場にグリエが呼び出されたのであった。



  ◇ ◇ ◇



「お……お前はグリエ!? なぜここに……。お前は国外追放になったはず」


 グリエが姿を現すや、アントレとガトー儀典長は呆気にとられる。

 しかしグリエは彼らなど眼中になく、落胆している王たちに目を向けた。

 フランの使いの者から状況は聞いていたが、確かに晩餐会というより葬式という雰囲気である。


「久々に古巣に帰ってみれば、皆さんメインディッシュをずいぶんとお残しで。……これは腕によりをかけなきゃな」


 グリエはフランに目くばせし、アイテムボックスから数々の食材を取り出してもらう。海王魚、常夜茸、タイタントータス……どれも一流の品々だ。

 その財宝のような輝きを前に、消沈していた王たちの目に活力が舞い戻る。

 中でも王たちの目を引いたのは巨大な肉の塊……硬い鎧に包まれたチャリオットベアの腕肉だった。


「こ……こんな大物は見たことがない! いったいどれだけの手勢で狩ったのか……」

「これはグリエさんがお一人で狩られたものですのよ。その際にわたくしも危機から救っていただけましたの」

「なんともはや、強さまでも一流ときたか……!」


 王たちが感嘆の声を上げる中、グリエは調理を開始した。

 その手際の良さたるや、まさに神業である。

 あっという間にチャリオットベアをさばき、見事なステーキを作り上げていく。


「あの鋼の甲殻が軽々と切り裂かれていく!? どんな芸当なのだ」

「驚くべきはその肉汁ですぞ。甲殻に閉じ込められて、なんとジューシーな!」


 グリエはこんなこともあろうかと、あらかじめ下ごしらえを終わらせていた。

 完璧に熟成させており、甲殻で閉じ込めたまま火を入れることで肉汁を完全に封じ込められる。

 肉を切り分けた瞬間に香りが噴出し、王たちを鼻腔から攻めたてた。


「さあ、召し上がれ。……常夜茸のソースがよく似合いますよ」


 給仕係によって皿が運ばれるや王たちの視線はステーキに釘付けとなり、気品など忘れたようにむさぼり始める。


「なんという柔らかさだ! そしてこの味ときたら!!」

「ただ美味しいだけじゃない! 舌の上で踊るような食感、脳天を震わすようなズシリとした濃厚な味わい……。これまで食べたチャリオットベアをゆうに超える、至高の一品よ!!」


 一心不乱にがっつく王たちの様子をグリエは満足げに見つめる。

 自分の料理を美味そうに食ってくれる。それも、数多くの美食を平らげてきたであろう王たちが、だ。それは料理人として何よりの賛辞である。

 そしてテルミドールの皇帝は至福の表情でグリエに視線を投げかけた。


「まるで伝説の料理人アルベールの再来……。いや、それ以上に素晴らしい一皿であった。……キャセロール王。そなたの国には素晴らしい料理人がいらっしゃいますな」

「お褒めいただき、ありがたく存じますわ。」


 グリエは満足し、仕上げとしてデザートを皿に盛り付け始める。

 これこそテルミドール皇帝が待ち望んでいるユグドラシルの実のタルトだ。

 アントレが腐らせた話を聞いて呆れ果てたものの、たまたまグリエが果実を入手できていたので皇帝たちを落胆させずに済む。

 ……しかしそんなグリエの前に立ちふさがったのは、なんとアントレだった。


「こ……こんなはずがない! 親父でもないのに、ユグドラシルの実がさばけるわけがないだろう!? そのタルトもどうせ腐って……」

「信じられなければ食ってみろ」


 グリエは余っているタルトの一切れを皿に乗せ、アントレの前に突き出した。

 アントレは食うものかと視線をそらすが、その甘く芳醇(ほうじゅん)な香りには逆らえない。そして気が付けば、すでにタルトをほおばっていた。


「……嘘だ。嘘だ嘘だ、嘘だ! ……なぜ、なぜお前にこの味が出せる?」

「俺が調理法を編み出したんだ。できて当然さ」


 愕然と立ち尽くすアントレを尻目に、グリエは王たちの前にデザートを運ぶ。

 皇帝は実に満足そうに笑い、グリエをほめたたえるのだった――。

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