第2話『追放された料理人、森でお嬢様を助ける』

「今の悲鳴……そう遠くないな」


 グリエは身を乗り出し、樹上の小屋から眼下を見下ろした。

 今いる場所は魔獣の森の中でもかなりの奥地。獰猛な魔獣がゴロゴロいる危険地帯だ。こんな場所に人が来るのは珍しい。

 冒険者かと思ったが、木々の隙間から見えたのはドレスをまとった一人の女性だった。

 武器も身につけず、他に従者はいないようだ。馬にしがみついているだけで、馬の暴走に身を任せている。


 そしてその女性の背後から迫りくる巨体が目に入った。

 体長は10メートル以上はあるだろうか。

 全身にぶ厚い殻をまとった巨大グマで、その突進は戦車並みと恐れられている。


「やっぱりチャリオットベアか。おいおいあの太りっぷり、今まで見たことのない大物だぞ」


 チャリオットベアは甲殻のお陰で焼いた時も旨味を閉じ込めることが出来て、この森に生息する魔物の中でも一級品の高級食材。宮廷料理の中でも特に重宝していた。

 あの味わいを思い出すだけで、グリエの口にはよだれがあふれて来る。


「って、よだれを垂らしてる場合じゃねぇな。何が起きたか分からねぇが、助ねぇと」


 グリエは小屋の入り口に立てかけてあった武器を手に取ると、タイミングを見計らって樹上から飛び降りる。

 目標はあの巨大グマの脳天。

 グリエは落下の勢いのまま、脳天に向かって腕を振り下ろした。


「おぉぉらぁぁぁっ!!」


 グリエの渾身の一撃と共に、金属同士がぶつかり合うような音が響き渡る。

 巨大グマ――チャリオットベアの脳天を陥没させたのはグリエの身の丈ほどもあるハンマーだった。

 いや、ハンマーと言うには打撃面がギザギザと尖っており、繊維をたたき切るように相手にめり込んでいる。

 それは巨大な『肉叩きミートハンマー』であった。


「お嬢さんは下がってな」

「あ……あなたは? い……いえ、いけませんわ! 生身で敵う相手では……」


 女性が慌てて止めようとした瞬間、巨大グマが咆哮ほうこうを上げて上体を起こした。


「へぇ、さすがは大物。脳天を砕かれても動きやがるか。……しかし次の一撃が最期のあがきってところか」


 グリエが予言した通り、チャリオットベアは異常な速度で腕を振り下ろした。

 その振り下ろしは人の動きをゆうに超え、普通なら避けようもなかっただろう。

 しかしグリエは事前に察知していたようにひらりと避けると、がら空きとなった横腹に巨大な肉叩きをめり込ませる。

 そして動きが鈍った隙を狙い、チャリオットベアの背中に飛び乗った。


「お前の弱点ぐらい知っている・・・・・。さんざん狩ってきたんだからな」


 グリエは不敵に笑いながら腰に差した刃物を手に取る。

 それは何の変哲へんてつもない一振りの『包丁』だった。


 そこからの包丁さばきは流れるようで、複雑に重なり合った甲殻の間をすり抜けるように切り刻んでいく。そしてむき出しになった首の肉をたやすく切断してしまった。

 頭を失って動ける魔獣はいない。

 チャリオットベアはあっという間に動かぬ肉になり果てたのだった。



  ◇ ◇ ◇



「よう、怪我はないかい?」


 グリエは馬上で身をこわばらせる女性に視線を送った。

 彼女の年頃はおそらく十代半ば。……18歳のグリエより少し年下だろうか。

 ロイヤルブルーのスカートに銀髪が良く映える。筋肉のつき方から見ても冒険者とは思えず、どこかの貴族のご令嬢というたたずまいだ。切れ長の目元も手伝って、どこか冷たい印象があった。

 ただ、宮廷の連中のような蔑むような視線とは違い、彼女は馬から降りると丁寧に頭を下げてくれた。


「命を助けていただき、感謝いたしますわ。わたくしはフランと申します」

「俺はグリエだ。……しかし一人でこんな森の奥地。どうしたんだ?」


 フランと名乗る女性に問うと、どうやらウサギ狩りの際にチャリオットベアが現れ、驚いた馬の暴走でここまでやって来たらしい。

 部下の多くはチャリオットベアにやられたらしいが、確かにここまでの大物なら仕方ないとグリエも思う。

 その話の流れで、フランはグリエをしげしげと見つめ始めた。


「勇猛な騎士でさえ敵わなかったのに、あなたは簡単に倒してしまわれた。……それになんだか、相手の動きが分かっていたような動きでしたわ……」

「気が付いたのか。……なんていうかな。俺には匂いでわかるんだよ」

「匂い……?」

「ちょっと人より鼻が利いてな。獲物の体調や感情がなんとなくわかるんだ」


 グリエには感じ取れる・・・・・のだ。

 ――獲物の正確な間合いや急所の位置が。

 ――フェロモンや発汗が教えてくれる、相手の感情や次なる行動が。

 獣じみた『鋭敏な嗅覚』と貧民ゆえに送った『サバイバルの経験』が、必殺の超感覚となって彼を支えていた。


「……そんな素晴らしい力の持ち主、さぞや名のある冒険者かと存じます」

「冒険者なんかじゃないさ」

「では一体……?」


 その時、ぐぅぅぅぅっと唸るような音が響いた。

 それはフランのお腹の音だったようで、彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。


「は……はしたないですわね……ごめんなさい」

「緊張が解けたんだろ。何も恥ずかしいことじゃない。……そうだ、ちょうど作りたての品があるんだ。食うかい?」


 グリエは言うや否や身軽な身のこなしで樹上の小屋に戻ると、深皿にいっぱいの骨付き肉を持って降りてきた。

 それは湯気が立つほどに熱く、かぐわしい香りがフランの鼻腔をくすぐる。


「こ……こんな。お会いしたばかりの方にいただくなんて、申し訳ありませんわ」

「そう言いながら、よだれがあふれてるじゃねぇか」

「あっ……や……。こ、これは……! アクシデントがあって昼食を食べそびれたせいで……」

「いいから食いな。うまいぞ」


 フランは頬を赤らめながら肉を手に取った。

 そしてつばを飲み込むと、その小さな口で肉をかじり取る。


「…………っ!?」


 その瞬間、今まで氷のようだったフランの目が輝いた。

 呼吸を忘れたように肉をほおばり、興奮気味に飲み込む。そして次の骨付き肉に手を伸ばし、一気に一人分を平らげてしまった。


(なんていい食いっぷりだ。……ほれぼれするな)


 グリエは見るだけで嬉しくなった。

 その表情だけで料理が最高だったと物語ってくれている。

 特にすました表情が一変した瞬間など、官能的とも思える程だった。


「ご……ごちそうさまでしたわ。……落ち着きました」


 食べ終わったフランは取り繕ったように冷静に応えるが、漏れ出る幸福感を隠せていないようだ。表情は緩み、味わいを反芻はんすうしているように見える。

 それを見るだけで、グリエの心も満たされていた。


「旨いだろ?」

「……ええ。とても……。……それに、これは何度か味わったことがありますわ。確か隣国の宮廷に招かれた際に……」


 彼女が言う“隣国”とは、おそらくグリエの故郷であるグラッセ王国のことだ。

 そして今いる魔獣の森を隔て、グラッセ王国の隣に小さな国がある。話からすると、彼女はそこのお貴族様なのだろう。


「なるほどな。だったらそれも俺が作ったんだろう。スペシャリテの一つ、ジュエルボアのスペアリブっていうんだぜ」


 そう告げた瞬間、フランの目が輝いた。


「グリエさん。あなたはまさかグラッセ王国の宮廷料理人ですの!?」

「元な。確かに宮廷にいたんだが、クビになったんだ」

「どういうことですの?」


 聞かれたので、グリエは自分のことを手短に説明した。 

 宮廷の料理人として働いていたこと。

 その当時から食材の狩りのためにこの魔獣の森によく来ていたこと。

 しかし身に覚えのない罪によって国を追放されたこと。


「……これだけは信じて欲しいんだが、俺は盗みなんてしたことはない。特に食材はお客に食べてもらうための物であって、金に変えるための物じゃない」

「つまり冤罪えんざい……。無実、濡れ衣……ということですのね?」

「あぁ。食材に誓って、俺は無実だ」


 グリエの話を聞くフランは、そっとスペアリブの骨を掲げて見せた。


「この一品を頂くだけでも分かりますわ。……あなたの言葉を信じます」

「わかって……くれるのか?」

「ええ。……ジュエルボアの力強い味わいを支える香辛料の数々。その複雑なバランスは、あなたが食に真摯しんしであることの証明でしょう。そんな素晴らしい料理人が食材を裏切るなんて、わたくしには思えません」


 そのフランの言葉はグリエの心に響いた。

 あんなにも否定された自分の言葉を信じてくれたばかりか、一品を食しただけで想いをくみ取ってくれる。


「……ありがとう」


 グリエの口からは感謝しか出なかった。

 あまりにもありがたく、思わず眼がしらが熱くなる。

 すると、ふいにグリエの手が強く握られた。


「グリエさん。あなたのように強く、そして素晴らしい料理人を他に知りません。あなたを我が国におまねきしたいのですが、いかがかしら?」

「招く? ……すまないが、あんたはどういう?」

「わたくしはフラン・ポワレ・キャセロール。……キャセロール王国の女王ですわ」

「女王様……!? ……マジか。そうとは知らずに不躾ぶしつけな口調ですまん。……直そうとは思ってるんだが、なかなか癖が抜けなくて」


 グリエは「しまったな」と焦る。

 グラッセ王国の宮廷でもこんな口調だったから、儀典官や他の料理人には嫌な目で見られていたものだ。

 しかしフランは柔らかな笑顔を向けてくれた。


「問題ございません。わたくしは気にいたしませんわ。……とはいえ、確かに礼儀を重んじる家臣がいるのも事実。もし我が国にいらしていただけるのであれば、礼儀作法の教師も紹介いたしましょう。……それに」

「それに?」

「まわりが何と言いましても、あなたを逃がすつもりはありませんわ、グリエさん! こんな本能を揺さぶられるお料理、もっともっと作っていただきたいのです!!」


 フランは瞳を輝かせながらグリエに迫る。

 よく見れば彼女の口元にはよだれがあふれており、視線はときおりスペアリブの深皿に注がれていた。

 フラン女王陛下はよっぽどの食いしん坊らしい。


「……フラン……陛下。そんなに喜んでもらえると料理人冥利に尽きる……ますよ。俺もちょうど誰かのために作りたいと思ってたところなんだ」


 グリエはたどたどしい敬語で笑い、フランの手を握り返した。


「俺はたくさんの人に喜んでほしいんだ。ぜひキャセロール王国で料理を作らせてくれ……ください」

「えぇ、歓迎いたしますわ!」


 ――こうしてグリエは隣の小さな国、キャセロール王国で料理人として雇われることになったのである。

 それはグリエが世界に名をとどろかせる第一歩となるのだった――。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

グリエはこの運命的な出会いによって新たな舞台へと羽ばたきます。


もし「面白かった」「続きが気になる」と少しでも思ってくださった方は、作品のフォローや★評価で作品へ応援いただけると嬉しいです!

なにとぞよろしくお願いいたします。

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