第45話 夢の続き
身体の感覚がなくなっていき、力尽きるまで後僅かと理解できた。
……地に落ちた残雪が溶けて行くように、何も残らず露と消える。
いや違う、私は残した。証明したのだ、この身に宿った武の才は決して……決して自惚れではなかったと。
ただの哀れに溶けた残雪ではなく、血に染まることができた。
眠くなってきた。このまま目を閉じれば、全て終わるのだろう。
もうおそらく、誰かに触られても分からない。
「ふ、ふふふ……残雪が溶け、ようと……吸った血は、消え……ぬ」
もう充分だ、これ以上願えばバチが当たる。
何事も成せなかったはずのわが身が、周辺国に恐れられるほどに武名を轟かせた。
こんなに幸福なことはないだろう、こんなに幸運なことはないだろう。
今生どころか来世の運まで使い果たしても、このような奇跡はもう起こらないのだろう。
だが口惜しいとするならば、恩義を返せなかったこと……。
もう目が開かない、せめて最後に謝罪を伝えたい。さっきまで私の側に兵士がいたので、まだ残っているだろう。
「へい、し……ふー、様に伝え……。かん、しゃ……しゃざ、い……」
「シャルロッテ、大丈夫か!」
ああ、どうやら伝令の必要はないようだ。
神は最後に私に、直接の感謝する機会を与えてくれたか。
口がうまく動かないが、それでも。
「ふー、や様……、もうしわけ……ワタシ、は……ここま、で……」
ありがとうございます、朽ちるはずの愚者に活躍の場を与えて下さって。
申し訳ありません、恩義をロクに返せずに力尽きて。
本当は分かっている。私が活躍できたのは、なにも己の武が優れていたからだけではない。
フーヤ様が我が力を、完璧に使いこなしてくれていたのだ。だから鬼神のごとき活躍ができたのだ。
並みの王にでも仕えていたのなら、私はきっと武功を得られなかった。
ヴォルガニア王を倒すことで恩義を返そうとした。だがその実はまた活躍させてもらうことで、むしろ更なる恩を借りている。
私にとって最上の幸福だったのは、誰かに雇ってもらえたことではない。フーヤ様に雇ってもらえたことだ。
だが人間とは欲深いモノだ。ここまで理想を叶えておきながら、まだ欲しがり心にくすぶっているものがある。
私はまだ……本当は…………。
「まだだ! お前はこれからも、俺の元で暴れてもらう必要がある! だから受け取れっ!」
フーヤ様の叫びと共に、右手に何かを掴まされる感触。
その瞬間、私の右手から痛みが走った。いや右手だけではない、右腕や身体に足……全身の感覚が戻っていく。
「……これは」
口がちゃんと動く。先ほどとは比べ物にならないほどに。
「命運のスクロールだ! 寿命を延ばす! お前はまだ、ここで死ぬべきじゃない!」
目が開いた。先ほどまで鉛のように重かった身体が動き、私は上半身を起き上がらせることができた。
私の側にはフーヤ様が、少し離れたところでは輿に乗った綾香がいた。
なんだこれは? いったいどうなって……?
思わず右手に握っている紙を見つめる。フーヤ様に手渡された一枚の紙きれを。
……命運のスクロール。聞いたことがある、この紙を持つ者は運命をも反転させるのだと。
ただの噂話だと思っていた。だが明らかにこの紙きれは、私を助けている……。
私はフーヤ様に視線を向けた。彼は真剣な表情で私を心配そうにしている。そうか、やはりこのお方は……。
「……なんということでしょう。死にぞこなってしまった」
……私は本当は、まだ暴れていたい。夢の続きを駆けたかった。
せっかく身命を賭して仕えるに値する主君を得たのだから。
そしてそれはまだ叶うようだ。フーヤ様は……私の望みを叶えて下さる。
「死にぞこなったってお前な……」
「……失礼しました。フーヤ様、助けて頂きありがとうございます」
私は立ち上がると地に膝をつけて、頭を下げた。ようは土下座だ
こんな大恩の前には、これくらいのことはしなければ気が済まない。
「いや土下座なんていらない。それより体調は大丈夫か?」
「万全でございまする! 今ならば敵軍を中央突破することすら可能かと! なんならひとっ走りしてきましょうか!」
「いやそれはやめような……」
今までよりも遥かに体が軽い。なんでもできるのではと錯覚するほどに。
「まったく人騒がせな化け物ですね。やはりこのまま力尽きていた方が、平穏無事だったのでは?」
綾香がパタパタと扇子を仰ぐ。するとフーヤ様がクスリと笑った。
「流石は土天の壺を差し出してまで、命運のスクロールを手に入れてくれた奴の言うことは違うな」
「主様! 余計なことは言わなくてっ……!」
「……すまん、助かった」
「っ……! ウルサイですわっ! 私はただ、喧嘩相手がいなくなったら少し寂しい程度でっ……!」
どうやら私は、主君だけでなく仲間にも恵まれていたようだ。
また借りを増やしてしまったならば、いずれは返さなくてはならない。
…………なら返す算段をつけておかなくてはな。
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