本屋を滅ぼすもの
高村 樹
第1話 本屋を滅ぼすもの
その男の名は
七十歳を過ぎた両親に養われている無職の彼の日課は近所の書店巡りである。
朝の開店時間から読みたい本が無くなるまで何時間でもその店に居座り立ち読みを続け、そして次の店に向かう。
マモルは本が大好きだった。
本を読んでいると、その物語の登場人物になり切ることができ、己の人生の不遇を忘れることができるのだった。
T大を受験し、不合格になること四回。
この失敗で彼はすっかりやる気を失い、一度も就職することなくこの歳に至る。
T大以外を大学とは思えず、浪人生活を終了させた後、マモルはニートの道を選んだ。
マモルには、速読の特技があり、小説なら一冊五分。漫画のコミックなら一分ほどで読破することができる。
同じ本を少し時間を空けて何度も読みなおすのが彼の楽しみの一つであった。
読むごとに理解が深まり、違う感想になる。
その過程を楽しんでいるのだ。
マモルの最近の気に入りは駅前のビルにある大型書店である。
この店はコミックにはビニールの包装が為されているが、小説の文庫本にはそれがない。
しかも、かなり広いフロアなのに店員が少なく、立ち読みを注意されるリスクが小さい。
さあ、今日はどの作家の小説を立ち読みしてやろうかな。
心ときめかせ、エスカレーターを昇るとそこはパラダイスである。
マモルは、速足に書棚の間を抜け、小説コーナーに入ると素早くターゲットを探し始めた。
その時、ある異変に気が付く。
ファック!
小説の文庫本なのにビニールがついてやがる。
全てではなかったが、KD社の文庫本の新刊全てにビニール包装が為されていたのだ。
マモルの脳裏に衝撃と戸惑いが渦巻いていた。
漫画本と違い、知名度の少ない作家の小説はある程度文体などを確かめてから購入を決める客も少なくはない。
それを包装して陳列してしまったら、購入をあきらめてしまう人もいるのではないか。
マモルは立ち読み専門なので、本を購入することは無い。
両親がケチなので小遣いは月に三万円。
スマホ代も必要だし、四十二歳にもなる大人の男には少なすぎる金額だ。
当然、面白いかわからない書籍代などに使う金は無い。
連載漫画はコンビニ、コミックは古本屋、そして小説は本屋で立ち読みするのが俺の流儀だ。
まあいい、ビニール包装などという姑息な防衛を図るKD社など無視してしまえ。
そう思って他社の小説家の本を立ち読みしていると、とんでもない猛者が現れた。
パンダ柄のTシャツを着たくたびれた中年男性である。
店員が周りにいないことを確認すると、カッターナイフでビニール包装を
こいつはアウトだろ。
マモルは義憤にかられ、店員を探し、先ほどの客のことを告げ口した。
間もなくパンダ柄Tシャツの男は店の裏に連れていかれ、そして数十分後近所のおまわりさんに連れていかれることになった。
どうやら注意だけで済むところ、男は裏の事務室でカッターを持って暴れたらしい。
今日は良いことをした。
マモルはいい気分で店を出ると建物内のベンチで母親が握って持たせてくれたおにぎりを頬張った。
開店十時から、少しも休まず立ち読みし続けたのだ。
それは腹も減る。
午前中は少し予定外の出来事に遭遇したので、文庫本二十冊ほどしか読めなかった。
もし購入していたら、一冊八百円くらいだとすると、合計一万六千円ほどの節約になったとマモルは嬉しくなった。
おにぎりの具は、今日はおかかだった。
歯にくっつくし、味もそんなに好きじゃない。
正義執行の高揚感が台無しである。
後で文句を言わねば。
マモルは水筒に入った麦茶でのどを潤し、立ち上がった。
さあ、午後の戦いが始まる。
マモルは書店に戻ると作家名カ行のコーナーに再び向かった。
今日はタ行越えくらいが目標だ。
全集中の珍介がサ行の途中シの作家の制覇を目前にして、
今度は学生服を着た二人組の少年たちが、何やらきょろきょろと怪しい動きを見せているのを見つけてしまった。
一人を壁役にして死角を作り、その陰でもう一人がスポーツバッグの中をがさがさとまさぐるようなそぶりをしている。
周りを窺うような表情もひそひそ声も怪しい。
はい、看破ァ!
あれはきっと万引きだろう。
書店での立ち読み歴二十年をゆうに超える俺を舐めるなよ。
「あいつら、万引きしてますよ」
先ほどの店員を見つけ再び告げ口をする。
尿意を堪えながらだったので少し早口だったが、なんとか伝わったようだ。
俺の目が睨んだ通り、連中は万引きの常習犯だったようで、店員にお礼を言われた。
人気のコミックを万引きして、古本屋で買取してもらうつもりだったらしい。
全国の書店の万引き被害額は、年間約200億円ぐらいだと何かで読んだことがあった。
1店舗における年間の被害額の平均は200万円前後で、この被害額は1店舗の年間売上高の1%~2%相当の金額になるそうだ。
中には一億円を超える被害にあっている書店もあるらしい。
この万引きに対策するのにも防犯カメラやPOSシステム、さらに人件費など経費がかさむし、まさにあの万引き犯たちは「本屋を滅ぼすもの」であるということができる。
マモルにとって、本屋は唯一の居場所となりつつあった。
実家は母親が最近、就職を勧めるようになり、居心地が悪い。
父親も働かず無職のままでいる俺に何か思うところがあるようでため息ばかりついている。
本屋を守らなくては!
本屋が無くなってしまったら、俺は一日どこにいたらいいというのだ。
涼しくて快適、本は無料で読み放題。トイレ、休憩スペースだって完備されている。
こんなパラダイスは他にはない。
偶然だが、俺の苗字は
本屋さんを守るために生まれてきたような名前だ。
俺はこれからも立ち読みを続けなら、「本屋を滅ぼすもの」たちとの戦いをし続けよう。
俺が日本の本屋を守るヒーローになるんだ!
マモルは高ぶる使命感に、尿意を忘れて
「あの、すいません。他のお客さんの迷惑になるんで……」
声をかけてきたのは、この店の店長だった。
本屋を滅ぼすもの 高村 樹 @lynx3novel
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